近江FWⅡ -2-
令和6年3月30日、いつものメンバー(積知積徳会)で、近江へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせしています。
今回の訪問地です。
今日はその2回目。安土城2 です。①が安土城です。
安土城は整備計画に基づいて整備が進みつつあります。
現在の段階では・・・・
興味のない人は飛ばしてください。
https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/bunakasports/bunkazaihogo/331042.html
中期10年・長期20年を設定し、優先順位を設けて順次事業を実施します。
『特別史跡安土城跡整備基本計画』・整備イメージパース図
- 表紙・第1章「計画策定の経緯と目的」・第2章「計画地の環境」 (PDF:15 MB)
- 第3章「史跡の概要」 (PDF:13 MB)
- 第4章『特別史跡安土城跡の本質的価値と構成要素」・第5章「史跡の現状と課題」 (PDF:12 MB)
- 第6章「整備の理念と基本方針」・第7章「整備基本計画」・第8章「事業計画」・参考資料 (PDF:14 MB)
- 整備イメージパース(安土山全体) (JPEG:8 MB)
- 整備イメージパース(大手南面) (JPEG:7 MB)
- 整備イメージパース(天主台) (JPEG:5 MB)
- 「幻の安土城」復元プロジェクト(別ウィンドウで開く)
下3つのイメージパースは、今後の予想図を見ることができます。
昨日紹介した図です。赤い線のルートしか見ることはできません。
「現在地」から北に180m延びるのが大手道です。
ここで行われたこれまでの整備の様子を、大手道で見てみましょう。
これが空から見た様子です。
次が、考古学博物館にある、発掘前の様子です。
直線の道はありません。寺の境内で隠されています。
次が、発掘中の大手道です。
何と、お寺の境内の下から、幅の広い道が見つかりました。
堂々たるスケールです。
それを再現したのが次です。
現在の様子です。
この両側に、有力家臣の館がありました。
次は、当時の様子の想像図です。
それでは、実際の様子を見てみましょう。
そう、現在の安土城は、摠見寺にお金を払うことで見せてもらえるのです。安土城址は摠見寺の私有地なのです。
かつてはどこでも自由に見ることができましたが、有料化のために、決められたコースは入れなくなりました。
700円は決して安くない!
チケット売り場です。
案内板です。
文字起こししてみましょう。
安土城を象徴する道一大手道
目の前にまっすぐ延びている幅広い道が、 安土城の大手道です。 安土城の正面玄関である大手門から山頂部に築かれた天主・本丸に至る城内では最も重要な道です。 大手道は、その構造から、 直線部分、 横道 七曲がり状部分、主郭外周路部分の三つの部分によって構成されています。
大手門から山腹まで、 約180mにわたって直線的に延びる部分の道幅は、 約6mと広く、その両側に幅1~1.2mの石敷側溝があり、さらにその外側に高い石塁が築かれています。 道の東西には、複数の郭を雛壇状に配した伝羽柴秀吉邸跡 伝前田利家邸跡等の屋敷があり、これらは書院造りの主殿を中心に厩(うまや)や隅櫓(すみやぐら)等、多くの建物で構成されています。 まさに、 安土城の正面玄関を飾るにふさわしい堂々とした屋敷地と言えるでしょう。
山腹部分は、 傾斜が最も急なところで、 ジグザグに屈曲しながら延びています。 この付近は、踏石(ふみいし)や縁石(ふちいし)に石仏が多く使われている他、 屈曲部分に平な踊り場を造ることなく、踏石列を扇状に展開させていることが特徴です。
伝武井夕庵(たけいせきあん)邸跡の北東付近から大手道は東へ屈曲し、 主郭部の外周を構成している高石垣の裾を巡り、 本丸に直接通じる本丸裏門に至ります。 屈曲部分は幅4m程に狭まりますが、本丸裏門近くでは6mを超える広い道になります。
安土城の正面を通る下街道(しもかいどう)から見える直線的な大手道とその延長上に聳える天主は、街道を行き交う人々に信長の力を強く印象付けたことでしょう。
説明板です。
現在の大手道です。
これが説明にあった石仏です。
説明です。
数ある石仏の方向はバラバラでした。
現在の摠見寺です。
鐘つき堂です。当初は大手道の真上にありました。
「天下布武」と書かれています。
この両側には、羽柴秀吉や前田利家、徳川家康の邸宅があったとされています。
私はそれはないと思っているのですが、これについては第5回で説明します。
また、この大手道は、中井均滋賀県立大学名誉教授によると「本来の大手道は百々橋道」という説です。
それも含めた、中井先生の説明を、次でご覧ください。
城郭の見方を中井均先生に学ぶ2回目 安土城
中井先生によると、大手道は、天皇の行幸時の通路ということです。
次の書籍では、当時の想像図が載っています。
ただ、本能寺の変により、天皇の行幸は一度も実現しませんでした。
明日に続きます。 -3- へ
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