中国・人民網が、日本製品を取り上げています。
http://j.peopledaily.com.cn/94473/8461614.html
日本文化は知らぬ間に我々の生活に深く入り込んでいる。1940年代末、日本の三菱電機は世界で初めて自動炊飯器を発明した。我々の生活にとって、これ以上ないほど身近なインスタントラーメン、カラオケ、計算機・・・・・・なども実は日本人が発明したものだ。世界を変えた日本の発明品をまとめてみた。
具体的に見てみましょう。
■電気炊飯器
1940年代末、三菱電機は世界で初の炊飯器を発明した。1955年、東芝は自動式電気釜という名のタイマー付き炊飯器を製品化した。4年後、日本の家庭の半数以上でこの電気炊飯器が使われることになった。炊飯器の誕生は、労力的にも心理的にも家事の負担を大幅に軽減させ、特に主婦は炊飯器を非常に好んだ。毎日毎日サラダやラーメンばかり食べられない、ご飯がなくては耐えられない海外留学生もこの商品をこぞって使った。何人かが共に暮らす宿舎の小さな部屋の中で、炊飯器による暖かいご飯と3菜を食べる光景が毎日見られるようになった。現在の炊飯器は、さらにシチューやスープ、煮物などを作る機能も備えている。2005年に、中国の炊飯器の生産量は6000万台に達した。直火を使って土鍋でご飯を炊ける若者はますます減っている。
■インスタントラーメン
1958年、在日台湾人の安東百福が大阪府池田市にて世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明し、同時に日清食品を創立した。1971年、日清はさらに世界初のカップラーメン「日清カップヌードル」を発明した。インスタントラーメンはある意味孤独なイメージを持つ食品だ。慌ただしい生活を送る都市生活者の多くが、自称唯一作れる料理だと自虐的に語るのがインスタントラーメンだ。正直あまりヘルシーではないが、大都会に暮らす孤独な人々にとっては背に腹はかえられない。海外留学生にとっては、一袋のインスタントラーメンは貴重な宝物だ。
■計算機
1957年、カシオ計算機が比較的小型の自動計算機を発明した。もし計算機が発明されなければ、全世界は恐らくカオスと化していただろう。戦争が終わってすぐ、経済もここまで急速に発展しなかったかもしれない。数字すなわちお金だ。毎日消費し、毎日計算しなければならない。計算間違い、割引や利息の計算、株の上がり下がり、紙幣の交換率、統計の計算・・・・・・なぜこんなにも計算しなければならないのか?なぜならお金は常に足りないものだからだ。現在では計算機はほぼまったく価値がないものとなったが、2006年までに、カシオだけで世界中に10億台の計算機を販売している。パチパチという音が響く伝統的な算盤を、果たして今の学生たちは使えるのだろうか?
■ビデオテープレコーダー
ソニーは1969年、世界初の家庭用ビデオテープのプロトタイプ「ユーマティック(U-matic)ビデオテープ」を発表し、その2年後、世界初のビデオテープレコーダーとビデオテープデッキを発売した。そして1975年、ソニーはベータマックス(Betamax)のビデオテープを発表した。同時期の1976年、日本ビクターはより広く普及した家庭用ビデオテープのVHSの規格を発売した。1980、90年代、ビデオテープは人々にとって、精神的な生活やライフスタイルを彩る重要なアイテムとなった。かつて、我々は時間通りにテレビに出演するアイドル歌手の登場シーンを自動的に録画して、何度も何度も擦り切れるまで見たものだ。デートや接待などで退社時間が不規則な人は、会社に行く前にテープレコーダーで見たい番組を録画したり、興味のある番組や見続けているドラマを録画して、その後時間のあるときに見たりした。退社後もビデオレンタル店に行って映画を1、2本借りて閑な時間をつぶしたりした。現在我々が動画サイトで視聴できる昔の古い映像は、すべて当時ビデオテープに頼って見ていた時代の忘れられない思い出だ。
■カラオケ
1971年、井上大祐氏が世界初のカラオケ機器を発明した。米タイム誌の井上氏への評価は極めて高い。「ガンジーや毛沢東はアジアの昼を変えたが、井上大祐はアジアの夜を変えた」と紹介している。実際、カラオケの登場は、寂しさや失恋といった歌の表現にも変化を与えた。後に、広東語ポップソングのスタイルにも大きな影響を及ぼし、比較的容易に歌えて、心を揺り動かすラブソング、所謂「K歌」(カラオケで歌う曲)を生み出した。
■CD
ソニーは1976年に初めて光ファイバーデジタルオーディオディスクを発表した。その後、1978年に150分録音できるレーザーディスクを打ち出した。1979年、ソニーとフィリップスはフィリップスが開発したプロトタイプのコンパクトディスク(CD)を合同で改良・デザインし、新しいレーザーディスク兼デジタルデータレコーダーのコンパクトディスク(CD)を開発した。CDは1982年に正式に発売された。同年、ソニーは世界で初めてのCDプレイヤーを発売した。CDは基本的に何度でも繰り返し聴けるが、ビデオテープやレコードは毎回流すたびに消耗され、音が劣化する。レコードは1面30分だが、CDは80分聴けるため、一曲のクラシック音楽が分断されずに一気にエンディングまで聴くことができる。CDプレイヤーはリピートの設定ができ、一曲目やアルバムを何度でも繰り返し聴くことができる。しかも、レコードのように30分ごとに裏返さなくてもいい。またCDプレイヤーは曲順に音楽を聴くことも、どれか一つの曲をセレクトして聴くこともできるし、テープのようにひっくり返さなくてもいい。いつの頃からか、CDは雑音のない美しい音が再生されるデジタル新時代の象徴となった。そしてその頃からデジタルは永遠の象徴となった。
■デジタルカメラ
ソニーは1981年、世界初のデジタルカメラ「マピカ」(光を電気信号に変換して磁気ディスクに記録する電子スチルビデオカメラ)を発表した。その後1988年、フジフィルムが世界で初めて画像記録をデジタル化した16MBメモリーのフルデジタルカメラ「DS‐1P」を発売した。以前の銀塩写真フィルムは、1本最大38枚しか撮影できず、フィルムを現像するのも費用が発生した。そのため、毎回カメラのファインダーをしっかりと覗いて、非常に注意深く撮影をしなければならなかった。しかし、デジタルカメラの時代が到来すると、基本的に枚数の限度が取り払われ、フィルムを現像する手間や費用も必要なくなった。その気安さから、毎回の食事の記録や、会う人ごとに写真を撮りまくるようになった。とにかく、まずは撮って、そこから考えるというように人生のすべてを記録することになった。しかし、撮影したものをパソコンのハードディスクに保存するものの、再び見返すことはほとんどない。操作性が簡単なので、現在ではほとんどの親や祖父母の世代までもが写真を撮るようになった。
■ビデオカメラ
1982年、ソニーがベータカム(BETACAM)のビデオカメラを発売すると、瞬く間に新聞・テレビの取材に欠かすことができない標準機材となった。というのも、フィルムを現像する手間や時間が省かれ、突発的な事件・ニュースに遭遇した際に、撮影したものをすぐに放送することができるからだ。1983年、ソニーはベータマックス規格を採用した録画専用の家庭用簡易ビデオカメラ「ベータムービー」(BMC-100)を発売した。その後1985年には、ハンディカムビデオ「video8」を発表した。これ以前の家庭用機器といえば映画の8ミリフィルムを使って撮影する機材しかなく、費用的にも高く、技術が難しかったため、あまり普及しなかった。これに対し、ビデオカメラは操作が簡単で、両手でカメラをしっかりと持つこと以外、他に技術を要しなかった。その上、コスト的にも安く、長い時間撮影できたため、当時人々は、自分たちの子供たちや、ペット、旅行、特別なイベントなど、あらゆるものを現実のままに記録することに夢中になった。多くの学生は短編映画を撮り、ビデオ・アートという芸術ジャンルも誕生した。
■DVD
ソニーとフィリップスは1993年、マルチ光ディスク「マルチメディアCD」を共同研究開発した。これに対し同時期に、東芝、パナソニック、日立、三菱、パイオニア、日本ビクター、タイム・ワーナーの日米欧7社が「SD(Super Density Disc)」を共同研究開発した。その後、「マルチメディアCD規格」と「SD規格」の陣営が一年以上の話し合いを経て最終的にこの二つの規格の長所を合わせた統一規格DVDが生まれた。そして、東芝が1996年にDVDを市場に投入した。CDと比べてパソコンにデータを保存することが容易であるほか、DVDの登場によって最も恩恵を受けた消費者は映画ファンだった。これまでのVHS、LD、VCDと比較して、DVDは比較的安く、保存しやすく、コストも低く、寿命も長い上、さらにハイクオリティの映像と音を楽しめ、インタラクティブな機能まで備えていた。市場の拡大に従って、映画製作会社も大量の映画やドラマのDVDを販売し始め、世の中に埋もれていた作品などが日の目を見たり、古い名作が細部にわたって修復されてデジタルリマスター版として発売されるようになった。映画DVDのコレクターになる人も増え、各人がDVDの収納棚を持つようになった。我々もテレビで連続ドラマを追いかけることは止めて、DVDを購入し、香港、台湾、中国、英国、米国、日本、韓国などの10話、20話の連続ドラマを深夜に見るようになった。(編集MZ)
中国だって、「漢字」という偉大な発明をしています。
かな文字は、漢字をもとに作られました。
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日本文化は知らぬ間に我々の生活に深く入り込んでいる。1940年代末、日本の三菱電機は世界で初めて自動炊飯器を発明した。我々の生活にとって、これ以上ないほど身近なインスタントラーメン、カラオケ、計算機・・・・・・なども実は日本人が発明したものだ。世界を変えた日本の発明品をまとめてみた。
具体的に見てみましょう。
■電気炊飯器
1940年代末、三菱電機は世界で初の炊飯器を発明した。1955年、東芝は自動式電気釜という名のタイマー付き炊飯器を製品化した。4年後、日本の家庭の半数以上でこの電気炊飯器が使われることになった。炊飯器の誕生は、労力的にも心理的にも家事の負担を大幅に軽減させ、特に主婦は炊飯器を非常に好んだ。毎日毎日サラダやラーメンばかり食べられない、ご飯がなくては耐えられない海外留学生もこの商品をこぞって使った。何人かが共に暮らす宿舎の小さな部屋の中で、炊飯器による暖かいご飯と3菜を食べる光景が毎日見られるようになった。現在の炊飯器は、さらにシチューやスープ、煮物などを作る機能も備えている。2005年に、中国の炊飯器の生産量は6000万台に達した。直火を使って土鍋でご飯を炊ける若者はますます減っている。
■インスタントラーメン
1958年、在日台湾人の安東百福が大阪府池田市にて世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明し、同時に日清食品を創立した。1971年、日清はさらに世界初のカップラーメン「日清カップヌードル」を発明した。インスタントラーメンはある意味孤独なイメージを持つ食品だ。慌ただしい生活を送る都市生活者の多くが、自称唯一作れる料理だと自虐的に語るのがインスタントラーメンだ。正直あまりヘルシーではないが、大都会に暮らす孤独な人々にとっては背に腹はかえられない。海外留学生にとっては、一袋のインスタントラーメンは貴重な宝物だ。
■計算機
1957年、カシオ計算機が比較的小型の自動計算機を発明した。もし計算機が発明されなければ、全世界は恐らくカオスと化していただろう。戦争が終わってすぐ、経済もここまで急速に発展しなかったかもしれない。数字すなわちお金だ。毎日消費し、毎日計算しなければならない。計算間違い、割引や利息の計算、株の上がり下がり、紙幣の交換率、統計の計算・・・・・・なぜこんなにも計算しなければならないのか?なぜならお金は常に足りないものだからだ。現在では計算機はほぼまったく価値がないものとなったが、2006年までに、カシオだけで世界中に10億台の計算機を販売している。パチパチという音が響く伝統的な算盤を、果たして今の学生たちは使えるのだろうか?
■ビデオテープレコーダー
ソニーは1969年、世界初の家庭用ビデオテープのプロトタイプ「ユーマティック(U-matic)ビデオテープ」を発表し、その2年後、世界初のビデオテープレコーダーとビデオテープデッキを発売した。そして1975年、ソニーはベータマックス(Betamax)のビデオテープを発表した。同時期の1976年、日本ビクターはより広く普及した家庭用ビデオテープのVHSの規格を発売した。1980、90年代、ビデオテープは人々にとって、精神的な生活やライフスタイルを彩る重要なアイテムとなった。かつて、我々は時間通りにテレビに出演するアイドル歌手の登場シーンを自動的に録画して、何度も何度も擦り切れるまで見たものだ。デートや接待などで退社時間が不規則な人は、会社に行く前にテープレコーダーで見たい番組を録画したり、興味のある番組や見続けているドラマを録画して、その後時間のあるときに見たりした。退社後もビデオレンタル店に行って映画を1、2本借りて閑な時間をつぶしたりした。現在我々が動画サイトで視聴できる昔の古い映像は、すべて当時ビデオテープに頼って見ていた時代の忘れられない思い出だ。
■カラオケ
1971年、井上大祐氏が世界初のカラオケ機器を発明した。米タイム誌の井上氏への評価は極めて高い。「ガンジーや毛沢東はアジアの昼を変えたが、井上大祐はアジアの夜を変えた」と紹介している。実際、カラオケの登場は、寂しさや失恋といった歌の表現にも変化を与えた。後に、広東語ポップソングのスタイルにも大きな影響を及ぼし、比較的容易に歌えて、心を揺り動かすラブソング、所謂「K歌」(カラオケで歌う曲)を生み出した。
■CD
ソニーは1976年に初めて光ファイバーデジタルオーディオディスクを発表した。その後、1978年に150分録音できるレーザーディスクを打ち出した。1979年、ソニーとフィリップスはフィリップスが開発したプロトタイプのコンパクトディスク(CD)を合同で改良・デザインし、新しいレーザーディスク兼デジタルデータレコーダーのコンパクトディスク(CD)を開発した。CDは1982年に正式に発売された。同年、ソニーは世界で初めてのCDプレイヤーを発売した。CDは基本的に何度でも繰り返し聴けるが、ビデオテープやレコードは毎回流すたびに消耗され、音が劣化する。レコードは1面30分だが、CDは80分聴けるため、一曲のクラシック音楽が分断されずに一気にエンディングまで聴くことができる。CDプレイヤーはリピートの設定ができ、一曲目やアルバムを何度でも繰り返し聴くことができる。しかも、レコードのように30分ごとに裏返さなくてもいい。またCDプレイヤーは曲順に音楽を聴くことも、どれか一つの曲をセレクトして聴くこともできるし、テープのようにひっくり返さなくてもいい。いつの頃からか、CDは雑音のない美しい音が再生されるデジタル新時代の象徴となった。そしてその頃からデジタルは永遠の象徴となった。
■デジタルカメラ
ソニーは1981年、世界初のデジタルカメラ「マピカ」(光を電気信号に変換して磁気ディスクに記録する電子スチルビデオカメラ)を発表した。その後1988年、フジフィルムが世界で初めて画像記録をデジタル化した16MBメモリーのフルデジタルカメラ「DS‐1P」を発売した。以前の銀塩写真フィルムは、1本最大38枚しか撮影できず、フィルムを現像するのも費用が発生した。そのため、毎回カメラのファインダーをしっかりと覗いて、非常に注意深く撮影をしなければならなかった。しかし、デジタルカメラの時代が到来すると、基本的に枚数の限度が取り払われ、フィルムを現像する手間や費用も必要なくなった。その気安さから、毎回の食事の記録や、会う人ごとに写真を撮りまくるようになった。とにかく、まずは撮って、そこから考えるというように人生のすべてを記録することになった。しかし、撮影したものをパソコンのハードディスクに保存するものの、再び見返すことはほとんどない。操作性が簡単なので、現在ではほとんどの親や祖父母の世代までもが写真を撮るようになった。
■ビデオカメラ
1982年、ソニーがベータカム(BETACAM)のビデオカメラを発売すると、瞬く間に新聞・テレビの取材に欠かすことができない標準機材となった。というのも、フィルムを現像する手間や時間が省かれ、突発的な事件・ニュースに遭遇した際に、撮影したものをすぐに放送することができるからだ。1983年、ソニーはベータマックス規格を採用した録画専用の家庭用簡易ビデオカメラ「ベータムービー」(BMC-100)を発売した。その後1985年には、ハンディカムビデオ「video8」を発表した。これ以前の家庭用機器といえば映画の8ミリフィルムを使って撮影する機材しかなく、費用的にも高く、技術が難しかったため、あまり普及しなかった。これに対し、ビデオカメラは操作が簡単で、両手でカメラをしっかりと持つこと以外、他に技術を要しなかった。その上、コスト的にも安く、長い時間撮影できたため、当時人々は、自分たちの子供たちや、ペット、旅行、特別なイベントなど、あらゆるものを現実のままに記録することに夢中になった。多くの学生は短編映画を撮り、ビデオ・アートという芸術ジャンルも誕生した。
■DVD
ソニーとフィリップスは1993年、マルチ光ディスク「マルチメディアCD」を共同研究開発した。これに対し同時期に、東芝、パナソニック、日立、三菱、パイオニア、日本ビクター、タイム・ワーナーの日米欧7社が「SD(Super Density Disc)」を共同研究開発した。その後、「マルチメディアCD規格」と「SD規格」の陣営が一年以上の話し合いを経て最終的にこの二つの規格の長所を合わせた統一規格DVDが生まれた。そして、東芝が1996年にDVDを市場に投入した。CDと比べてパソコンにデータを保存することが容易であるほか、DVDの登場によって最も恩恵を受けた消費者は映画ファンだった。これまでのVHS、LD、VCDと比較して、DVDは比較的安く、保存しやすく、コストも低く、寿命も長い上、さらにハイクオリティの映像と音を楽しめ、インタラクティブな機能まで備えていた。市場の拡大に従って、映画製作会社も大量の映画やドラマのDVDを販売し始め、世の中に埋もれていた作品などが日の目を見たり、古い名作が細部にわたって修復されてデジタルリマスター版として発売されるようになった。映画DVDのコレクターになる人も増え、各人がDVDの収納棚を持つようになった。我々もテレビで連続ドラマを追いかけることは止めて、DVDを購入し、香港、台湾、中国、英国、米国、日本、韓国などの10話、20話の連続ドラマを深夜に見るようになった。(編集MZ)
中国だって、「漢字」という偉大な発明をしています。
かな文字は、漢字をもとに作られました。