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続 江南市縁の七人の戦国武将-10-

2012-05-08 06:34:56 | 郷土の歴史
《 織田 有楽斎 》

犬山ホテルの敷地内にある茶室「如庵」。
現在、国宝に指定されています。

その如庵を建てたのが、織田 有楽斎、織田 長益です。

東京の「有楽町」の名の起源である織田 有楽斎。(異説あり)

織田信長の実の末弟で、甥の信雄も慕っていました。

信雄の兄、信忠に、二条城で自害をすすめた人物といわれています。
自らは、二条城を脱出しました。これも異説ありですが・・・。

小牧・長久手の戦いでは、秀吉と家康の仲介役も務めています。
信長の実弟だからこそできることです。

関ヶ原の戦いでは東軍に属し、西軍の有力武将・蒲生真令を倒す活躍を見せますが、悲しいかな、淀君は姪っ子。豊臣にも力を貸します。
大阪の陣では豊臣に付いていましたが、最後は離れます。
その後は京都に隠れ、茶道に専念し、趣味に生きました。

京都建仁寺の正伝院を再興し、そこに建てた茶室が「如庵」なのです。

この織田 長益も、今回のテーマである、豊臣と徳川の間に揺れた一人といえるでしょう。
その結果、子孫は続きました。

「勝(か)ち馬(うま)に乗る」といいますが、戦国武将が有利な方につくのは、生き残る術なのです。

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