日本史事典.comより【下剋上とは】簡単にわかりやすく解説!!意味や当時の時代背景・その後などを紹介します。
目次です。
- 1 下剋上とは?
- 2 下剋上が行われた時代背景
- ①鎌倉時代の下剋上
- ②南北朝時代(室町時代初期)の下剋上
- ③戦国時代の下剋上
- ④戦国時代の社会風潮は下剋上ではなく主君押込めといった意見も
- 3 下剋上のその後
- 4 まとめ
下剋上は意外と少ないことがわかります。
確かに家臣が主君を倒しても、その子などを擁立しているので、下剋上にはなりませんね。光秀も信長を討ちましたが、地位を変わる前に討たれてしまいました。
やはり、信長が代表か。
まとめを見てみましょう。
✔ 下剋上とは下位の者が上位の者をしのぐ、下位の者が上位の者に実力で打ち勝ちその地位にとって変わるといった意味を持つ。
✔ 身分の低い者が実力のある身分の高い者を打ち破りその地位につくといった社会の風潮を表す言葉として主に鎌倉時代から戦国時代まで使用された。
✔ 鎌倉時代の悪党も、南北朝時代(室町時代初期)のばさらも下剋上の一種として考えられた。
✔ 戦国時代において実際には下位の者が上位の者を倒すも、その座を奪うことがほとんどなく、また必ずしも上位の者を討滅するといったこともはなかった。そのため下位の者が上位の者を倒し、その地位につくといった戦国時代の社会風潮は主君押込めといった意見があげられる。
✔ 主君押込めとは行跡の悪い藩主を、家老たちが強制的に監禁するといったもので、いわば家老たちのクーデターのようなものであった。
✔ 徳川家康によって江戸幕府が開かれ下剋上の風潮が社会から消えたものの、主君押込めの風潮は幕末に至るまで見られた。
このブログでの関連記事は・・・歴史ポータルサイト
丁寧に歴史を追求した "本格派" 戦国Webマガジン歴史ヒストリー