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10月10日は新聞休刊日

2017-10-10 05:31:55 | 社説を読む
いよいよ選挙の公示。
おもしろい選挙戦になりそうで、ニュースを見るのが毎日楽しみです。
10月10日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介します。

朝日新聞
・ 秋雨の冷たさにコートを着たかと思うと、翌日は汗ばむ陽気で半袖に戻る。この時期の天候は何とも読みがたい。なるほど秋の空は移ろいやすいものである

▼「秋は空が澄んで、雲の位置が高い。雲好きにはたまらない季節です」と語るのは気象予報士の武田康男さん(57)。長く千葉県内の高校で地学を教え、南極で越冬も体験ログイン前の続きした。いわし雲やさば雲に秋を感じるが、この季節は何と言っても夕焼け雲だという。「黄から橙(だいだい)色をへて真っ赤に変わる。色彩のドラマは見あきることがありません」

▼時間の許す限り、天空を写す。飛行機の旅なら陽光や風向きを考えて席を選ぶ。観察のために北海道へ飛び、とんぼ返りすることもある。災害をもたらす危険な台風でさえ、空の研究には役立つ。風によってはレンズ雲、つるし雲など珍種が出現するからだ

▼これまで虹やオーロラ、皆既日食を求めて米国や中国、エジプトなどを旅した。多くの国で市民が雲に寄せる関心は「雨が降るか降らないか」。日本の人々は雲の形や色、流れ方を見て、世の移ろいを感じとってきたと話す

▼〈青空高う散る雲は繊(ほそ)い巻雲、真綿雲、鳥の羽(は)のやうな靡(なび)き雲〉。北原白秋は一編の詩に十数種類もの雲を詠み込んだ。耳慣れない名ではあっても、その響きから空に浮かぶ姿を想像するのは楽しい

▼日ごろ記事の締め切りに追われて、空を何日も見上げぬまま過ごすことがある。たまには立ち止まって雲の流れに目をこらしたい。せめて秋の好日くらいは。


毎日新聞
・ 顔見世(かおみせ)は劇場の年中行事の一つだ。江戸期、江戸では芝居小屋が毎年11月、上方(かみがた)では12月に新しい顔ぶれによる披露公演をした。1年のうちで最も重要な興行だった。役者たちはこの時期に1年間の専属契約を芝居小屋と結んでいた

▲当然顔ぶれも変わっていく。京都・南座の顔見世興行では、出演者の名前が書かれた看板が今も掲げられる。ただの人になった前衆院議員も同じだ。自分の「氏名標」を議場で再び見ることができるかどうかの瀬戸際である。総選挙はあす公示される。国会の表舞台に立つには、国民に契約を更新してもらわなければならない

▲解散劇は最大勢力を誇る自民一座の安倍晋三座長による演出で幕を開けた。回り舞台を使うように、森友・加計学園問題の追及劇から場面を切り替えた。そこへ小池百合子座長が新劇団の希望一座を旗揚げし、客席の空気は一変する

▲その小池座長は民進一座からの合流をめぐり、過去の芸歴を見て役者を選別し、民進一座の分裂を招く。その後も一枚看板で舞台の主役を張り続けているのは確かだが、当初の筋書き通りにことが運んでいるかは分からない

▲一方、安倍座長は「国民の平和で幸せな暮らしを守り抜く」と聴衆をかき口説くが、希望一座との違いが見えにくい。ここは役者の顔ばかり見るのではなく、腹の内を見極めなければならない。観客の目利きが問われる

▲「顔見世や顔にかかりし紙の雪」(市川右団治)。紙吹雪の舞う花道を歩けるか、それとも奈落が待つのか。


日本経済新聞
・ 「忠臣蔵」の吉良邸討ち入りは12月14日とされるが、実はその2日後には早速芝居として上演され、物見高い江戸の庶民を大いに沸かせたらしい。劇作家の別役実さんが、演劇評論誌「悲劇喜劇」(早川書房)の先月号で「真偽は定かでない」と断りつつ紹介している。

▼当時、演劇は「メディア」だった。ゆえに大事件を戯曲として速報するノウハウがあったに違いない。芝居屋は噂話などを通じ、事件の背後を知り、固唾をのんで討ち入りを見守っていた。義士たちは世の空気にも背中を押され、決行したのではないか、と別役さんは推理する。社会と芸能に関する洞察力に満ちた論考だ。

▼先週、東京・両国の寄席をのぞいたら「堪忍袋」という演目が掛かった。ケンカを繰り返す夫婦が、手縫いの袋に不平不満を吐き出し気分をリセットしたところ争いが収まり近所の大評判に、という筋だ。三遊亭竜楽さんは、堪忍袋を借りに来た面々に、「希望の党」を排除された人、排除した人を登場させたから大喝采。

▼トリは質屋の婿養子が相次ぎ早死にする古典落語「短命」。今でいう「美魔女」の妻に活力を奪われたのが原因、という艶っぽい噺(はなし)だ。どこか政局の行方も連想させる演目構成だった。別役さんのいうメディアとしての大衆芸能の面目躍如だ。「劇場型」といわれる総選挙は、あすが公示日。結末は悲劇か喜劇か不条理か。


産経新聞
・ スペイン・カタルーニャ自治州の州都に本拠地を置くサッカーチーム、バルサ(FCバルセロナの通称)は、世界屈指の人気を誇る。地元での試合では、キックオフから17分14秒たつと、サポーターが一斉に「独立!」と叫ぶ。

 ▼スペイン継承戦争で、バルセロナがスペイン国王軍の前に陥落した1714年にちなんでいる。首都を本拠とするライバル、レアル・マドリードが相手だと、熱気はさらに高まっていく。

 ▼両チームの背景には、ローマ帝国の時代にまでさかのぼる「民族」の問題が横たわる(『レアルとバルサ 怨念と確執のルーツ』田沢耕(こう)著)。もっとも民族間の感情が特に険悪になったのは、スペイン内戦後のことだ。フランコ独裁政権は、内戦中に共和国軍の拠点となったカタルーニャを徹底的に弾圧した。文化と言語を奪われた人たちにとって、バルサは心のよりどころとなった。

 ▼現在の自治州は、工業や観光業が盛んで税収も多い。にもかかわらず、他の地域に比べて見返りが少ないとの不満がある。過去の抑圧の記憶と結びついて、独立運動を突き動かしてきた。

中日新聞
・ 【長広舌】…「よどみなく長々としゃべりつづけること」。これは「大辞泉」から引いているが、「長々」というあたりに編者のうんざりした気分を感じる。あまり良い意味で使う人はいない言葉かもしれぬ

▼十日は総選挙の公示日である。いよいよ、本格的な「長広舌」の季節に入ると書けば、皮肉が過ぎるか。ちゃかすつもりは毛頭ない。政権選択、国の将来のかかる大切な機会である

▼この「長広舌」。もともとは「広長舌」だったそうだ。それがいつの間にか、広と長がひっくり返って使われるようになったという

▼興味深いのは「広長舌」が本来はありがたい仏教用語だったこと。仏の舌は広く長く、伸ばせば、顔面を覆えたほどで、その大きな舌によって「真実」を語ることができたそうだ。なるほど「舌先三寸」の三寸(約九センチ)ではないらしい

▼本来良い意味だった、「広長舌」が「長々としゃべり続ける」の「長広舌」へと変化した理由はよく分からないのだが、辞書編集者の神永暁さんによると「長舌」(口数が多いこと)や「広舌」(無責任に大きなことを言うこと)と混同された可能性もあるという

▼さて、各党党首や候補の発言が実現性のある真実の「広長舌」か、それとも人気取りの無責任な「長広舌」かを混同せずに聞き分けなければなるまい。「舌」の季節と書いたが、本当は「耳」の季節である。

※ 雲の朝日、カタルーニャの産経の他は選挙関連のコラムが並びました。

偶然、毎日と日経が芝居の話で被りました。

中でも、毎日は政局を一座でパロディー化しています。
笑いがとれる秀逸な一品です。

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