にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

非科学的いいじゃないですか

2011年05月17日 08時23分02秒 | にをいがけ・おたすけ

時間があるときに、よく過去の記事を読み返して、
自分がその時点で考えたこととか、感じさせてもらったことを
振り返ってます。いいことなのか良くないことなのかわかんないけど。

信仰の仕方が自分勝手になっていないんだろうか・・・

それってすごい大事なこと。
親の視点からずれていてはブレる。
できるだけ、ぶれたくはないじゃないか。

 

そうはいってもぶれることもある、、、、

そうそう昨日の戸別であった年配のご婦人さん。
おじいさんは天理教の信仰をしていた方だったそうで、ご本人さんは他の
宗教をされてまして、天理教は年をとってからも続ける教えではないから
いまだったら替えられると、と。
理由ってのが話が細かくて聞き取れなかった・・・。
玄関から外に出て、別れ際に言い出すんだもん。

この世の始まりが泥海だなんて、本気で信じているのか、と。
非科学的な教えが多すぎる、と。

「非科学的でいいじゃないですか」と言いました。

 

自分の信じている宗教が一番だと思っている方が多い。
信念がないと、布教とかなかなか本気になって出来ないんだろうと思うし。

ただ、おみちの教えはたすかると思ってても、聞き分ける魂がないと聞けない。

昨日の年配の方が言うように、
天理教では助からない、自分のやっているのがすごくいい、と
どんなに言ってくれても、
はたして私が聞いても受け容れられるのかというと、わからない。

そんなの当然のこと。
当然のことだけど、にをいがけに出させてもらっているようぼく。
それぞれの宗教には、その教えを学ぶ資格のようなものが
あるのかもしれないなーー。

因縁によって引寄せられるのだから、きっとあるんだろうな。

 

いよいよ帰らなくっちゃと切り出すときに

「・・・・お互いの宗教談義をしててもしょうがないから。」と言うと、

『そうね。こんなふうに話せることがいいのよね。何かあったらまた来てね。』とのこと。

私もそう思うよ。

他宗教の方と話をするのも、自分自身の信仰の確認にあると思うけど、
先を急ぎたいなと思っている自分もいるので、
長い話は避けたいってのが本音。

 



修養科に興味をもったみたいだから、

「修養科、行きますか。。。(゜o゜)」

と聞いちゃった。

あんなふうに人の話を聞きたい姿勢はいいな。