にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

どうしてあげたら母が喜んでくれるのか、、ばっか

2018年11月05日 19時11分07秒 | にをいがけ・おたすけ

今日の母は落ち着いてました。
4時半くらいに病院へ。その前に病院周辺の戸別です。
夕方だったので在宅者が多かった。
半分以上の在宅者でした。話を聞いて下さる方は
ほとんどいませんけど、気安く言葉を発してくださいます。
良かったなぁぁぁ

 

なんとなく暑い、、蒸すような陽気。
何かが起こりそうな、、、急に大手を振って歩きたくなる。

 

 

昨日はなかなか話してくれなくって、
『今夜博の所へ行く。さようなら』とかボードに書いていたし。
いつもよりもうんと身振り手振りで気持ちを訴えてきていた。
帰るよといっても引き止められたし、腕をつかんで。
何をしてやればいいのか分からなくって。。。
看護師さんらは分かっていて黙認しているのかもしれない。
そう思いだしたら、何も出来なくなる。出来ることが少しだけになる。

今日もおさづけをさせて頂く。今日もカーテン締めないで静かにお取次ぎ。
母はいつも受け入れてくださる。今日はお隣の101歳の
おばあちゃんのところに息子さんが面会に来ていたせいか
とても静かでしたよ。101さいのおばあちゃんの声は
聞こえないらしいんだけど、いつだったか隣のお部屋のほうから
歌が聞こえてきたことがあったらしく、”2人酒”だったんだってさ。
私には信じにくかった。すごいなぁぁぁ

 


今日は携帯からお孫の画像を見せてみた。大きめに写っているものを
選んで見せてみた。なんとなく意欲的に見てくれたようにみえた。
長男が顔出しする動画とかが母は嬉しそうだった。
パパになったんだよね。
主人も写っていてびっくりしていた画像があった。お食い始めのやつ。
静かに見てくれて良かったーーー。
理解をしてくれたと思う。


 


今日も一日がなんだか忙しかった。

 

先日の10月16日月次祭の神殿講話は内統領の先生。
テープで拝聴させていただきました。お話の中の内容がとても
良かった。いつもとは雰囲気が違っていたような気がしました。
一部抜粋させていただきました。

『私たちにはそれぞれに与えられた持ち場や立場があります。それは皆が同じではありません。持ち場立場に応じた、それぞれの神一条の通り方があるのであります。』

おぢばの勤務者の膠原病の青年さんのことを話の台にして。
『「一度実家の教会へ帰ってお父さんが一番心配していることは何か尋ねておいで」と
宮森先生が青年に言いました。』

『親の心配事を一つ自分が担わせていただく。ここに自分の心配事を一つ消していただく元があるのであります。』

最後に、皆真柱様の一声を聞かせていただきたい、とありました。
本当にそうだなって思いました。
真柱様のお言葉が私たちの信仰の指針だから、と。

私ももう一度じっくり考えて見たいと思いました。
いつになく大真面目に記事を書いてみました。

 

今日もありがとうございました。