にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

ご存命の時代

2022年04月28日 09時35分34秒 | にをいがけ・おたすけ
昨日は狭山方面ににをいがけに行かせてもらった。
コンビ二に車を置かせてもらって
近所を戸別させてもらった。2度目の場所。
気に入っているので又来てみたかった次第です。

コンビ二だけに時間制限を30分間とした。大きな駐車場なので
停めやすかったけど長時間は気が引けるから。

次につながる方に出会わせてくださいと心の中で思う。

だんだんと家を回る中にこういう方は初めてだと思う方がいた。
70代の後半か80になったかならないか、、品のいい方なので
分かりにくかった女性が出てきてくださった家があって。
「天理教の布教をさせてもらっています」と言うと
しばらくして天理教を知っているとおっしゃる。
ご実家が奈良ではないけど関西。ご自身の祖母にあたる方が
おやさまの存命の頃の方で、若き当時のころの事をお孫さんに
話して聞かせて下さっていたようだ。

おやさまがご存命の時代っていうと、すごい大昔の印象だったけど
最近の朝ドラで女3代にわたる百年の物語が記憶に新しくって、
なるほど、百年と考えたら大昔のことではないのかもしれない。

勘違いではないだろうかと最初は思ったけど
”おやさま”の存在だったり『監獄に捕まったんだよね』と
どきっとするようなことを聞かせてくれて間違いないと
思わせてもらって、ワクワクしてきました。
信仰はしていなかったけど、読み物のようなものを唱えていたとのこと。
そっこりと内緒でされていたのかと聞くと、そんなこともないって。

おやさまが隣の県にいらっしゃったら、
会いに行こうと思えば行けたわけだし(簡単ではなかったかもしれないけど)
信仰という事ではなくてもお慕いもうしていたら、
それで満足だったりするんだろうか。
唱えることでありがたかったりするのでしょうか。
そんな勝手な思いに馳せてしまう。

ありがたい時間を、出会いをいただけました。
おそらく元気づけようとしてくださったんでしょう。
良くも悪くも神様を感じさせてもらいたい。
でもさ日常の中で感じられなくなってしまうことも多々あって
自分もそうだった。体調が悪かったので不安の中にいたし。

帰りながら、ファッションセンターにも置かせていただき
30分だけ戸別をさせていただきました。両方合わせて在宅者が
半分以上いらっしゃって、こんな自分だけど耳を傾けて
いただけて感謝しかないです。