お盆のことで皆さんから思いを聞かせていただけて
とっても良かったなって思わせてもらいました。
ありがとうございました!!
で、、
9月は彼岸じゃないですか。
秋季霊祭もあるし、年祭なんです、身内が・・・
春も年祭だったので秋もそうですよね。
お彼岸のときは、墓参りってしますよね。
お道では毎日霊様に手を合わせて、参拝していますが
それでも墓に参るものなんでしょうか。
ずっと前から気になっていたことなんです。
あくまでもお道の人としてどう思ったらいいのか知りたかったんです。
墓参りは、別におっくうでもキライでもないけど
いまひとつスッキリしない出来事があったもので・・・
教えてくださるとありがたいです。
煙となり、または土に返る借りものであった体よりも魂の方に重きがあり、御霊の社の方が墓よりも近い存在。
しかし9・3月に(直属によって違うかも??)御霊祭が特別行われるのに大概の教会は盆や正月彼岸まで土着のしきたりに大方染まっています。
盆や正月には私のところは家の墓のほかに3軒(教会初代会長の墓地・次に入る人は無し。高齢の独居老人信者さんの墓地。絶えた親戚の墓地・今は養女として妹が後継し始めたが・・・)管理しなくてはならない。
今そのバラバラにある墓地を教会の敷地に集結し、納骨堂、慰霊碑、などを作る考えをしているが、あと50年もすれば墓と言うものが無い時代になるかもしれません。
恩になった人が眠る墓にはやはり参りたいですね。
私もすっきりしないですよ。
神の子さ~ん!!いらっしゃ~い。
昭和のいつのころまでかわかりませんが、
火葬ではなく土葬でした。
つまり、棺おけにいれて、墓と称される土地に穴を掘り、埋めていたと聞いています。
だから、墓碑などは、なくなった人の人数分あります。
墓の土地も凄く広かったそうです。
今みたいに墓地公園ではなく、屋敷近くの畑を墓にしてました。
今でも、旦那の実家の墓は、畑の一角にあります。
故に、仏壇に拝むというより、墓に参ることが普通だったと思います。
畑での作業があるたびに、拝むことができたわけですから・・・。
しかし、歳をとり、畑へも行くのも儘ならないようになると、仏壇に日々拝むんですね。
「肉体は滅び、骨は土に返り、魂は天に召される。」
と、私は、亡父から聞きました。
故人を偲び、供養するなら墓だと思います。
「千の風・・・」じゃないけど、そこに眠ってないかもしれませんが、でも、骨の一部分を、墓に埋めたのも事実ですから・・・。
神の子さんは今、こっちにいないと思いますよ。
また帰ってきたら、答えていただくまで保留ということで・・・・
無い世界、無い人間を、親神様によって作られました。 お盆は、人間である、お釈迦の時代からの物です 現在の国民的お盆は、江戸時代から民衆に伝わりました。 それまでは、限られた人たちの中での風習でした。
お盆のいわれと由来
お盆の正式名称は[盂蘭盆会・うらぼんえ]と言います。
先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。
・7月または8月の13日より16日までの4日間をさします。
・13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。
・期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をします。
・16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。
盂蘭盆会・うらぼんえ]とはインドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。
・お盆の行事はお釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来しています。
目連尊者はある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。 そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談したところ、 お釈迦様は言われました。
「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と。
目連尊者がお釈迦様の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。
・それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となりました。
わが国では、推古天皇の14年(606)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられています。
日本各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによってさまざまですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています。
お寺では施餓鬼供養をしますが、家庭では先祖の霊が帰ってくる日としてさまざまな行事を行います。
つづきます
死んだ人間にたいして、供養や想い、尊敬や偲ぶといった事をする期間ですね
人間は、目に見える親や先祖は、敬うが
親・親・親と何万年も坂の登ると、
親神様にたどり着く事は、天理教以外の信仰信の無い人は、解らない人が多いのです
私たち人間は、の魂は、何万年も、生まれ変わって
います
教祖が言う教えの中で私たちの体は、着物のような物なのです
体は、神様からの貸し物です
借りた物は、いっかは、返します
お間白い事言いますと ご先祖様のお墓参りする事は
、反面、前世の自分を拝んでいる事にも成ります
なぜ? 魂は、生まれ変わってます
天理教では、毎日が、お盆みたいな物なんです
朝・夕の時間は、御霊様にもおつとめしますから
墓参りにたいしては、天理教の規定は、御座いません自由なのです
秋の御霊祭ご、墓参りするのも自由です
また、お墓や納骨堂は、あえて決りは、無いのです ようぼくの人でもお寺や霊園に墓がある人もいます また、自宅や教会内に墓のある人もいます
天理教教会関係者で多いのは、豊田山に納骨堂があり利用する人も有ります
一番大事なのは、御霊祭や墓参りして、ご先祖様の良い事を思い出して、今後の自分の私生活に、役立てる事が大事ですね
特にようぼくの人は、自分のいんねの自覚と、世界だすけの指名を、心にきざんでほしいですね
おわり
お待ちもうしておりました!haftarさん共々。
墓参りなど行きたかったら行けばいいということですね。
今月末の青年会のほう集まりそうですかね~。
実は密かに心配してます。
婦人会の押しにかかっているようで、、夫婦の信仰の方々はこういうとき奥さんは大変だな。
お墓参りは、各個人の自由ですので
特別に、天理教では、規定はないのです
私は、祖先の霊を敬うので、行きますよ
青年会は、各支部の会長や所長が、がんばっていますので、大丈夫だと思いますが
集まるのも、神 集まらないの 神ですね
このときばかりは、お道関係なく普通に参ることにします。
実家の仏壇とかで、故人に話しかけたりしますが、
心の中で
「なむてんりおうのみこと」と3回唱えてました。
こんなことしてもしょうがないですよね。
暑かったり、こうすけがややこしかったりという
事情もあってのことですが・・。
一応仏壇には手を合わせましたけどね。
仏壇に飾ってあるじいちゃんの写真を見ながら、
「ほら、こうすけ(次男)、じいちゃんだよ」
と言うと、不思議な気がします。
私はこうすけはじいちゃんの生まれ変わりだと思っているからです。
なんだかこうすけに、ご先祖様というより、
自分の前世を見せている気がします。
鏡を見せているみたい(笑)。
後からよく考えると、まつられているのは
じいちゃんだけじゃなくて
もっと前の語先祖さまもいらっしゃるのだから、
お墓にも行けば良かったかなと思うんですが、
なんだか自分の中では、
顔を知っているじいちゃんがメインで、
「じいちゃん、もうここに(こうすけとして)
帰ってきているから、わざわざ迎えに行くことも
送りに行くこともないや」という気持ちが
どこかにあったというのもありますね。