『yoshiさんは、寄れる家あるんですか?』
と聞かれた。厳密に言うと、なくもないがこの時はときは浮かばなくて
「年々減ってきますよね」と答えてしまう。
今日、そのことを考えながらにをいがけをしていた。
どんなににをいがけにいそしんでも、寄れる家が出来ないってことはどういうことか。
真剣にやってないわけではない。
むしろ真剣だと思う。
寄れる家はあるからよくて、ないからダメだってことではないよね。
戸別訪問とかさせてもらうけど、手応えとか感じないときも多くて
神様の御用をしている実感が湧いてこなくて、、今日なんかも、そうだった。
暇つぶしなんかで家を回っているわけではなく、
自分の大事な時間を使わせていただいてます。
人に言われてやっているわけでもないんだ。
自主的にさせてもらっているつもりでいるんだけど。
ただ、何が良くて何が悪いじゃないんだ、と思う。
”こんなんでいいのかな””これでいいのかな”ってのをコツコツ並べていくしかない。
自分がやっているこの仕事はすごい仕事だと思うんだよな。
自分ってすごいんだ。
おたすけ人さんのお婆様のお話しも逸話のような気持ちになってきました。
時間がゆったりと流れている時代だったんでしょうか。そんな分けないけど、私の出直した祖母も、遊びに実家へ帰ると、私や子供のお腹の様子を気にかけてくれていたなって思い出しました。
なかなかできることではありませんよね。
聞くだけじゃなくて、与える準備もしなくては、、ですものね。
そういうおばあさんになりたいものだな。。
私には無理だと思うなぁ。
教祖がお使いになられた器には接いであるのが幾つかあった。つまり物をまるで命があるが如く扱われた。また、珍しいものや、お作り下された方に、たとえ神様のご用でご飯を食べる事が出来ない時でさえ、作り側に御礼申し上げた。
まとめますとご飯を頂く時は、神様のお与え・天の恵みですから、「神様、教祖ご飯をありがとうございます」こうして食べると恩を重ねない。次に、食べ物に、君のおかげで命を繋いで頂ける。ご飯さんありがとう。そして、器さんに器さんがあるからこうしてご飯を食べれるね。ありがとう。そして、作り手に美味しいありがとう。と言って食べるんです。こうしてご飯一つですが、徳の積み方を一つ、出来たようだとみて、また一つ、そしてまた一つとお教え下されたと思います。 亡くなった私のお婆様は、いつもいつも喜んでいました。お口は静かで余り聞こえませんが、そのように食べられ、いつ行っても、ご飯食べたかい?食べてないと、丁度良かった。冷蔵庫にあるからお食べ、といつもこんな感じで、98歳まで置いて頂けたのでした。
分かるもんであって、あらわれてないから
健康ってわけではないはず。自分も
果たして健康なのかどうか分かりません。
今年はちょっと心配です。
かといって元気でないかというと
そんなこともなくて、元気です。健康と心の元気は違うんですよね。
食べ方一つ、挨拶一つ、立て方一つ、、ですかー。
一つ一つが深いですよね。ちなみに食べ方ってどういうことなんですか?
しかしながら私はよく分からなかった。けど、だんだんと成ってくる事が神様の現れである事が分かり、身の回りで起きてくる事で納得しました。本当に周りでは命に関わる事があって、こうやって見る事やお詫びという形で変えて下さるんだと、悩むという形が病気だったら大変です。いろんな形に変えているという事を分からしてくださっているんだなぁ。と思いました。
道が変わるんだと思いました。そこで喜べました。
だんだん分かるには、逸話編の衣食住のひながたや挨拶が大切です。これは素晴らしい徳の積み方です。食べ方一つ、挨拶一つ、立て方一つ、なんです。
今年は前向きがいいみたいです。
そうですね。正月も終わりです。
にをいがけおたすけ神様の御用、他教内活動に
忙しい一年がまた始まりました。。
ちょっぴり憂うつなんです、正直。
でも、、、でも、、そうも言っておられませんよね。
おたすけ人さんの話だと、
この多忙な御用は神様が私のことを
たすける為にさせて下さっているということになりますね。
心底そう感じさせてもらうようになるまで
まだ時間がかかりそうです。形からでも
合わせていかないとですね。
お正月もそろそろ終わりですね。
昨年は年末に、いろいろありましたが何とか通れました。お道のおかげです。「お道」という通り方。素晴らしいなぁと感じます。神様の話に、お道は、自分でやっておるとお思いでしょうが、そうではないよ。世界一列の親として、神様が我々をたすける為にさせて下さっているのです。お連れ下さっているのです。有り難いですね。今年も頑張ってまいりましょう。
要はどのような気持ちで歩くのかが大事ですから
御礼の気持ちを忘れないでさせていただきます。
『心配ない!』
の一言、効きました!
また頑張ってみます。
種がいつ芽生えるのかは、人間には分からない。ただしかっり蒔いていることは、わかります。
そしてその姿は、何より親が喜んで下さっておられますよ。
心配ない!