拝殿奉仕だった。
自分が長女の子育て時代どう育てていたのかを聞かれた。
正直古い扉を開けるようで、すぐには思い出せなかった。
急に長女が2歳位のときの育児日記を最近、
押入れの片づけをしてて発見したことを思い出した。
日記を読んでいるうちに、自分がいかにダメな母親だったかを、
まざまざと見せ付けられて、長女に申し訳なくて泣いたことを話した。
いつしか私は拝殿をしながら、泣いていた。
どんどん昔の自分を思い出し、どんな感じで子育てをしていたかを思い出してきて、
思い出したくなかったのに・・・正直に話した。
こんなふうにはっぴを着て神様のお話をしたり、
新米ママさんに子育ての話や夫婦仲の話をさせてもらっている自分だけど、
かつては本当にどうしようもない母親をやって通ってきたんだな~~って。。
ひょっとしたら、教会に来てる人はほとんどがそうなのかもしれない。
自分のくせ性分で子育てをしてきて、どうしていいか分らずに毎日、
子供と向き合って、感情をぶつけてきたのかもしれない。
今日はこんな私の話を聞いて、何か感じてくれたようで良かったな。
おみちがなかったら、あの頃のままの自分でいたのかなと思うと、
なんともいえない気持ちになってくる。
辛いけど、あの育児日記をまた読み返してみようと思う。
娘さんは本当に幸せ者なんだなぁって、少しうらやましい気持ちになった。それって中々最近じゃぁ出ない答え…だから今はすばらしいお母さんなんだねw
(^ー^* )
よく奥様も、いかに自分がだめだったか、
語ってくれましたよね。
あれに安心して、勇気づけられてきたなあと。
何でも正直にぶちまけてなんぼでしょう(笑)。
レベルは違うけど、私もそうありたいなあと思います。
「あのさなちゃんができたのだから」と
言ってもらえたら、なによりの喜びですね。
という、話しは以前にしましたね。
たまに見るときもありますが、わたしは、
見るたびに、「若かったな~、何にも知らなかったな・・・。それでも、頑張っていたな~」と、苦笑しながら読み返しています。
幼い時の育児日記もそうですが、小学生時代の担任との連絡通信を見ると、「先生も青かったな~」と、
思えるものと、今、見てもむかつくものもあります。
さらに、中学生のものを見ると、ホント昨日のことのように、腹立たしい怒りが蘇ってくるものもあります。
でも、全て無駄ではないと思ってます。
子ども達もそうですが、私にとっても、「心豊かな人となるため」の時間と出来事だったんだと思いますね。
子どもの数だけ育児書があるんです。
体験を話すことと、決め付けは違うので、
よ~く、聞いてあげてくださいね。
ありがとう。。
今もそんなに素晴らしくもないけど、
おみちのおかげさまでちょっとずつ、まともにならせてもらってます。
ありがたいことです!!
こちらが構えていては、相手は心を開いてくれませんからね。
そこから、本当に深い部分のお話を聞かせてもらえるんですよね。。
それがいいんですよね~~~。
ああ、、私もその感覚分るなあ。
『あの人に出来たんだから私に出来ない訳がない!』と思い、
気持ちをふるい立たせることがありますよ~。
記録のためでもあるし、気持ちの整頓のためでもあるし。
感情がノートのなかにすっぽり収まっている空間。
いや。。はみ出ているのもあるのでしょうか。
私は聞く抜くほうなので、自分の話はあまりしてこなかったんですよ。
でも、自分のほうから話すからこそ相手も話してくれるので、もっと話さなくてはと思ってます。
忘れている記憶を呼び覚まして。
先生、青かったですか?!面白い。
やはり、経験をしたらしただけ人間として厚みも出てくるわけだし、育てられますよね。
相手に合わせてこちらもカラーを変えなければならないので。。
今、自分はなに色かな?!