唱和ってすごく大切で、
こころをひとつにできるものだと思っています。
そのことがよくわかっているんだけど、私は苦手なんですよ。たとえば、
神殿で朝夕のおつとめの際に唱和することは大丈夫だけど、少人数で、、、
または月次祭で唱和するのは声の音程が違う気がして出来ないんです。
所属教会と上級教会と神殿とあるけど、
いわゆる”おつとめ”のキーがうたい回しが違うような気がして、
自分だけ音痴みたいに唱和しているようで怖いのだよ。はずかしい。
祭典日にお地方についたことはないので、
しっかりと指導されてないから自分の耳に聞こえてくるようにうたうのみだ。
これしか私にはない。
そこが心配なわけよ・・・・・・・・
一回教えてもらっておくといいよね。ウン。。。
んん、、まだ5時前なのに前の家のおじいさんが掃いてる。
少し雨が降ったみたいね。今日は涼しさが期待できるのかなー。
前にも教えてもらいましたね。
私はつい晩御飯の買い物をして帰ってしまうんです。
今度の祭典日のときは
おたすけ人さんのやり方でやってみようかなって思います。
ありがとうございました。
唱和のこと、たいようさんも気にかかっていた時期があったんですね。
私だけかと思ってました。ちょっと嬉しかったです。
地方のキーですが、私は前真柱様のキーに合わせています。人の真は真柱様で、音楽研究会をお作りになったのもおつとめの為。とは言うものの、教会によってキーは結構違いますね。私は大教会の地方2か3に当たりますが、地方1に合わせる同化するように勤めています。堅とう柔らこうです。お道は心が大切ですから、教会で、言われたり、起きた事は、神さんがやったと思って、嫌な事言われたら、「ハイ」怒られたら「ハイ」と言って、埃をとってもらったと思って通ると良いです。どれくらい良いかというと、社会に於いて、同じように、怒られても嫌みを言われたら、町内だったら通りずらいし、会社だったら辞めてしまう。そんな道を変えて頂いている。教会へ行ったら、特に神さんの世界、生活、場所と思って通ると良いようです。帰りはどこにもよらず真っ直ぐ帰ります。そして改めてにをいがけに出ると、先に神様が段取りして下さって、おたすけ場所を与わり、今日、教会でこのように通ったという事がベースになってのおたすけになる事が多い感じです。
お地方、唱和の件、自分も同感です
私の家、親族の家は布教所でありますが、そこで幼少の頃から聞いてきた節や、キーの調子と、上級教会、ご本部では違いがあり、どれが正しいの??と思って過ごした時期があります。
自分はまだ事情があり修養科を出ておりませんが、いづれしっかり勉強できる日が来ればと願っております