気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

「ねずさんの ひとりごと」さまのブログより 『韓国建国の詐術と未来』

2013-03-02 18:58:20 | リンク
「ねずさんの ひとりごと」さま本日のブログ『韓国建国の詐術と未来』をご紹介させて頂きます。
 
文中太字は私blueによるものです。
 
 
たまたまWIKIを見たら、韓国の独立は昭和23(1948)年8月15日で、米国の承認を得て李承晩が韓国の独立を宣言した、と書いてありました。
出典がどこなのかはわかりませんが、おもわず苦笑してしまいました。

どういうことかというと、実際には李承晩が韓国の独立を宣言したのが、昭和23年8月13日だからです。
ところがあとになってから、李承晩はこれを8月15日に「変更」しました。

なぜかというと、8月15日だと、日本の終戦記念日と重なり、あたかも日本から韓国が独立したかのように「見える」からです。
で、記念日の名前を「光復節」としています。

韓国の歴史歪曲は、日本に対するものだけではなく、なんと、自国の建国の歴史まで、捏造、変造しているわけです。
人が郷土に対する愛着を持つのは、あたりまえの人間心理ですが、その郷土史にさえも変造を加えるというところに、韓国の施政者の底知れぬ悪意を感じます。
韓国の民衆は、はたしてそういう史実をしっているのでしょうか。

 
ちなみに大東亜戦争が終結したとき、当時朝鮮総督にいた阿部信行陸軍大将と、朝鮮軍司令官上月良夫陸軍中将が、朝鮮総督府から日章旗を降ろして、いまの韓国国旗である太極旗を総督府に掲揚させています。

そして同日に朝鮮総督府政務総監だった遠藤柳作は、日本統治終了以後に人望のあった朝鮮人の呂運亨(りょうんきょう)に、朝鮮建国準備委員会(建準)を設置を要請したのです。

これは、ポツタム宣言の趣旨に沿ったものであるとともに、もとより日本は朝鮮半島を日本の一部にするというよりも、朝鮮が独り立ちして日本と友好的に独立することを望んでいたわけですから、ごく自然な成り行きであったこと、および、朝鮮半島が無政府状態に陥ることがないように、そして民衆保護を目的として、当然の措置であったと思います。

ただし厳密にいえば、この朝鮮建国準備委員会は、国ではありません。
国ならば主権をもっていますが、そうではなくてあくまでも日本の一部としての「自治権」が与えられたにすぎません。

呂運亨らは、この朝鮮建国準備委員会で、朝鮮半島内の治安維持に努める一方、独立主権を持ち、国際的に承認される朝鮮人民共和国の設立のために努力をしました。
ですから本来であれば、朝鮮半島内の治安もキチンと維持できたはずなのです。

ところが、8月24日になるとソ連軍が朝鮮半島に侵入します。
そして産業の中心地であった平壌にその拠点を築いてしまう。
満州にいた日本人居留民の悲劇は、ここからはじまったわけです。

一方、朝鮮建国準備委員会は、いつまでも準備委員会のままでいたら、朝鮮半島の独立の夢は果たせなくなるからと、9月6日に朝鮮人民共和国の独立を宣言します。
北と南にわかれた朝鮮ではなく、あくまで統一朝鮮としての建国です。

ところがその翌日、米国がソウルに進駐軍を送り込んできた。
その米軍が何をしたかというと、実はここがたいへんおもしろいのですが、なんとソウルの町に掲げられた統一朝鮮の象徴である太極旗を、すべて降ろさせたのです。
で、何をしたかというと、そこに日の丸を掲揚させたのです。

つまり米国はこの時点で、朝鮮人による朝鮮半島の独立を認めなかったわけです。
あえて日の丸を掲げさせることで、朝鮮半島を「日本の一部」として取り扱い、そうすることで進駐を正当化したわけです。
つまり、そこは「日本だ」というわけです。

戦勝国である米国が朝鮮半島に進駐するためには、そこが日本の一部でなければならなかったわけです。
もしそこが自主独立した朝鮮共和国なら、米軍の進駐は法的根拠を失なう。

で、さらにその2日後の9月9日には、マッカーサーが朝鮮半島の占領統治を布告します。
そしてこの段階で再び日の丸が降ろされ、こんどは星条旗を掲げたわけです。

つまり米国は、「朝鮮半島の日本からの独立」を認めず、米軍の占領地域にしたわけです。
それからまる3年、平壌以南の朝鮮半島は米軍の占領統治下に置かれました。

一方、統一朝鮮国設立の立役者である呂運亨は、荒縄、棍棒、拳銃、手榴弾などによって、二年間でなんと12回ものテロに遭いますが、それでも統一朝鮮の構築のために、左派にも右派にも属せず、祖国のために戦い続けていました。
ところが、昭和22(1947)年7月19日、ついに弱冠19歳の韓智根(かんちこん)の銃弾に倒れ、そのまま帰らぬ人となります。

この暗殺は、当時は極右団体の仕業と発表されたのですが、最近ではソ連の息のかかった教唆主義者朴憲永(ぱくけんえい)一派による犯行説が有力です。
ちなみに朴憲永は、その後北朝鮮内で金日成と対立し、アメリカ帝国主義のスパイとレッテルを貼られて投獄され、いまでは考えられないような酷い拷問の末、昭和30(1955)年12月15日に、満56歳で北朝鮮で死刑になっています。

さて、混乱を極めた朝鮮半島が、米国の占領下から独立したのは、終戦から3年経った昭和23(1948)年8月13日のことです。

日本よりも早い段階で独立が承認されたのは、北の金日成が、ソ連のバックアップを受けて北朝鮮で統一朝鮮の建国を図るという動きが顕著になり、その北の動きを牽制するために、米国は急遽、李承晩を大統領に仕立てて、統一朝鮮としての大韓民国の建国を宣言させたのです。

ですから、大韓民国の統治は、日本から米国、そして独立という順を踏んでいるわけですから、大韓民国の独立は、米国の占領からの独立です。
ところが李承晩は、これを「日本からの独立」とすり替えました。
さらに独立の日も、8月13日ではなく、独立祝賀会が行われた8月15日に、後に訂正しています。

そうまでして、米国の占領からの独立ではなく、日本からの独立を装ったわけです。

けれど、よくよく史実をみれば、日本は終戦と同時に、朝鮮半島内に独立のための準備機構を立ち上げ、朝鮮総督府の建物に太極旗を掲げることさえも許可した上で、自主的に朝鮮半島から引き揚げてきているのです。
誰がどうみても、韓国は「日本から独立」したことにはなりません。
つまり、韓国の歴史教科書には申し訳ないけれど、韓国は建国の歴史からして、嘘を書いているわけです。

この動きに対し金日成は、危機感を持ちます。
なぜ統一朝鮮に前向きだった金日成が危機感を持ったのか。
それは韓国大統領に李承晩という極端な反共主義者が就任したからです。

器量が小さく、権力主義で人の命を軽んずる嘘つきの李承晩が大統領に就任すれば、早晩、半島内の共産主義者たちは粛正の憂き目に遭う。
そう考えたから、金日成は、同年9月に朝鮮民主主義人民共和国の建国を強行したのです。

これは、はっきり申上げて、韓国民衆の選択ではなく、米国の選択の誤りです。
日本否定に凝り固まった米国は、大統領に李承晩を据えたのですが、このときもし李垠などの朝鮮の皇族か、あるいは呂運亨などのしっかりとした国家観を持った教養人か、あるいは旧陸軍士官学校卒業生の朴将軍や金将軍のような優秀な頭脳を初代大統領に据えていたら、おそらくその後の朝鮮戦争は起こらなかったであろうと思います。

結果は、2年後に現実となりました。
金日成がソ連から兵器を借り受け、昭和25年6月25日午前4時、突如韓国への砲撃を開始し、破竹の勢いで南朝鮮に攻め込みました。朝鮮戦争の勃発したのです。

この朝鮮戦争は、昭和28年7月27日まで続きました。
南北合わせて500万人以上が死亡するという、大惨事を招きました。
当時の朝鮮半島の人口のおよそ10分の1が失われたのです。

しかもこの戦争の結果、自分の国の大統領一派による虐殺をおそれた韓国の民衆が、ボートピープルとなって、日本に大量に押し寄せました。
朝鮮戦争後、日本はこのとき日本にやってきた韓国人を国に帰そうとしましたが、韓国はその受け入れを拒否しました。
そのことが、いまの在日問題を、日韓両国に招いています。

さて韓国は、いまも8月15日を「祖国が解放」され「独立」を勝ち取った「光復節」として祝っています。
けれど、本当の独立記念日は8月13日です。
しかもその祖国が解放されたのは、米国の占領からです。
日付も違えば、その意義、内容も間違っています。

それでも韓国は、建国の理念が「反日」であったことによって、いまもその「反日」を国是としています。
国自体が、嘘を建国の理念としているのです。

はじめの一歩を踏み間違えた国は、どこまでいっても歪みが矯正されることはありません。
歪みは、年とともに拡大するだけです。
国是が嘘ですから、国民が嘘をつくのもあたりまえでしかないのです。

このことは、韓国の大統領が替わるくらいでは、韓国が大韓民国として存在する限り、おそらく未来永劫変わることはありません。
韓国の人々が、嘘から目を覚まし、いまある大韓民国を「別な国家」として樹立しない限り、国も企業も個人も、その歪みは決して治ることはありません。

いま韓国は日本製品の不買運動などをしているとのことですが、私は、もはや日本が韓国と付き合う必要性はさらさらないと思っています。
日韓国交を断絶させたら、たいへんな経済の混乱が起こると言われていますが、混乱が起こって困るのは韓国だけであって、日本が困ることは何もありません。

一方、韓国は、日本という後ろ盾を失った瞬間、まず韓国産業の中心となっている自動車や半導体、家電製品などの輸出品を、つくることさえできなくなります。
なぜなら、その中にある重要部品は、すべて日本製だからです。
日本製をやめて、他の国から部品を調達すれば、ただでさえ性能の悪い韓国製品は、さらに性能が悪化し、もはや支那製以下となって世界中から、それこそ「不買」されることとなります。

さらに国家財政が破綻します。
いくら国家の財源に困っても、日本を殴れば、打出の小槌のようにお金が沸いて来る。
そういう甘えの構造の中にウォンはあります。
そしてそのウォンは、日本の保証によってドルに替えられ、そのドルで韓国はスポーツの審判を買収したり、慰安婦像をつくったり、米国議員を買収したりしているわけです。

逆にいえば、日本が、その後ろ盾から「手を引く」と宣言した途端、ウォンは信用がありませんから、韓国は国際舞台から消えざるを得なくなります。
カネの切れ目が縁の切れ目なのです。
国にも人にもしんようがないから、簡単に切れてしまう。

要するに、日本の意思ひとつで、韓国は財政破綻し、国家そのものを生まれ変わらせざるを得なくなるわけです。

おそらく中共政府も、この先15年を経ずしてこの地上から消滅することでしょう。
支那には、台湾にある中華民国政府がふたたび本国に返り咲くか、あるいはまったく別な王朝が生まれるか。

朝鮮半島では、韓国が先に消滅し、北による統一がなされることでしょう。
新たに起こる支那の政府が、この時点で親日政権であれば、北はむしろ日本との経済的一体性を強めたいと願うかもしれません。

国家の存在が、永続生をもってきたのは、世界の中で日本だけです。
他の国々は、常に流動的な中にある。
私達は、そういうことも視野にいれた日本外交を考える必要があるのではないかと思います。


私たち日本は気長に待ちました。

そして未来志向でお互い協力し合おうと提案しました。

しかし、韓国は常に

「歴史を正しく直視しろ」だとか

「謝罪しろ」

「賠償しろ」

といつもお決まりの強欲発言です。

 
もう止めようではありませんか?
 
歩み寄っても何も変わりません。
 
 
日本は韓国に対する外交を見直す時期だと思います。
 
日本は十分韓国を支援し、
 
屈辱的な事を言われても
 
竹島を不法占拠されても
 
韓国経済に打撃を与える事はしませんでした。
 
でも、もう我慢の限界です。
 
 
経済的支援をしても何も変わらないのです。
 
変わるどころか、悪化しつつあります。
 
 
反日教育を止め、
 
不法占拠している竹島を日本に返還するまで
 
韓国と付き合うのを止める事を考えるべきだと思います。
 
 
 
コメント
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