まぶたに浮かぶあの面影 阪神・淡路大震災から28年、祈りの日(神戸新聞) - goo ニュース
2023/01/17 11:26
阪神・淡路大震災は17日朝、発生から丸28年の歳月を刻んだ。死者6434人、行方不明者3人。被災地は未明から厳粛な祈りの空気に包まれ、各地で追悼の催しが営まれた。地震発生時刻の午前5時46分、静寂の時間が流れる。まなこに浮かぶあの面影。胸によみがえったあの日。閉じた目をゆっくり開ける。夜が明け始める。人々はまた、あすへの一歩を踏み出す。
阪神淡路大震災。
28年前の大地震の事をこう呼びますが、
地震の名称は平成7年(1995年)兵庫県南部地震だそうです。
今日の今日まで勘違いをしていました。
ずっとあの地震を「阪神淡路大震災」と思っていましたが
この名称は地震による災害の事だそうです。
でもやはり「阪神淡路大震災」との名称が馴染みます。
子供の頃から地震は前触れもなく、突然揺れるもの。
家の中だと「ガタガタ」と戸や家具が音を立て、じっと揺れが収まるのを待っていました。
しかし大地震だと違うのですね。
阪神淡路大震災で知りました。
あの日はインフルエンザに罹り、やっと熱が下がったのに何かしんどくて、朝方まで眠れない夜でしたが、
そんな中突如、ずっと遠くの方からドドドドドドドドドと何か大きな物がこちらに近付いてくる大きな音が。
例えば巨像の大群が全速力でこちらの方に走ってくるみたいな。
そして何か巨人が両手で地面を上下に揺すぶる様な大きな縦揺れ。
恐ろしかったです。
キャー、何これっ!と何度も何度も叫んだことを覚えています。
地震だと分かっているのに「何これっ!」としか言葉が出ないのです。
それから暫くして外に出ると水道管が破裂し水が吹き上がり、
あちらこちらからガスの臭いが。
そしてスーパーには殆ど食べ物が無く、あるのはレトルトのお粥だけだったと記憶しています。
今にして思えば、水道は止まり、ガスも止まり、不自由な生活でしたが、
犠牲になった人の事を思えば、贅沢だったのですね。
公園も学校の運動場も仮設住宅で埋まり、街全体が異様な雰囲気でした。
あれから28年。
当時は関東から引っ越してきた何人かが地震があればすぐお風呂に水を貯める事を教えてくれ、
そして揺れが収まれば近くの公園に集まる事も。
神戸近郊は地震がないと言われ、防災意識が乏しかったです。
それが大勢の犠牲者を生み、ダイエーの経営が悪くなった一因があの地震だったと思っています。
そんな事、あんな事を思い出す一日です。
犠牲になった方々の冥福を祈ると共に、防災について考えたいですし、
「まさか」の油断が思わぬ大災害に繋がる事を肝に銘じたいです。
災害では最悪を想定して行動しろと。
それは地震も台風も大雨も同じ。
そして一種の災害である感染症の大流行も、軍事侵攻も。
まさかそんな事は起こらないだろう。
そんな気の緩みが後悔に繋がる事もあると。
武漢コロナの拡大もロシアのウクライナ侵攻も、そして安倍元総理の暗殺も。
まさかの事が起こったこの現実。。。
そんな事をぼんやり考える一日になりそうです。
あの地震の後で産まれた子供が、今は20歳後半になり、もう結婚して子供のいる人もいます。💕
その一方で、
あの地震で親族をなくされ、まだ心の傷が残っておられるかたも、おられましょう。
ただ、神戸の街を歩いていても、外見的には、地震の爪痕は残っておりませんね。
みごとに復興しています。✨✨
その点では、日本の底力(そこじから)を感じ、勇気づけられます。
あの地震の犠牲者は建物倒壊による圧死と火災によるものだとか。
特に火災は暖房器具や復旧後の通電が原因だそうです。
どちらにしても悲惨だったことは間違いありません。
また地震後には更地が多い事にも驚きました。
その更地は新しい住宅やマンションが建てられたり、店舗になったりしています。
しかしよく見ると、2、3台しか停められない駐車場が街中の所々に点在しています。
建て直しを諦めたのかなあとか、住んでいた人やお店はどうなったんかなあと思ったりします。