人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ー-石橋山の合戦とその後 ②しとどの窟ー-

2022-02-12 17:42:06 | 日記

源頼朝船出の地、岩海岸をあとに頼朝たちが隠れた場所であるしとどの窟屋を訪ねました。しとどの窟は真鶴港の魚市場の近くにありますので、場所は直ぐに分かります。実際に見てみると、波に削られたためか非常に狭いところでした。こんな岩窟に多人数では隠れることは出来ないと思いましたが、解説をみますと、かつては高さ2m、奥行き10m以上あったようです。

『石橋山合戦前後』(中野敬次郎著 名著出版社)には、この真鶴半島にあるしとど窟を書いた『新編相模風土記稿』の一文を紹介しています。

しとどの窟。港内海涯にあり、按ずるに正保国図にも載す。窟のひろさおよそ一丈、深さ六間ばかり。古は深さ七十間はかりありしに往々怒浪のために潰しと云。治承の昔、頼朝石橋山の合戦に敗走し大庭三郎景親等が為に迫られ、主従七騎にて潜れし所なり。・・・・。

その後に湯河原町でそれらしきしとど窟が発見され、そちらが梶原景時が頼朝を見逃した窟で神奈川県の文化財になっていることから、間違いないかと思います。窟の説明文にも、石橋山の合戦後に湯河原の窟に隠れ、安房に渡る前に身を隠した場所が真鶴の窟と書いてありました。

今回感じたのは、やはり書籍や資料を読むだけでは足らず、実際に現地に出かけて自分の目で確認することの大切さです。それも自動車での移動は距離感が掴めませんので、自分の足で歩いて体感すべきだと思いました。

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