人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

石橋山古戦場跡で見た景色 ー-③文三堂ー-

2022-02-18 19:53:02 | 日記

佐奈田霊社の脇の階段を20~30m下ったところの幾段か上った先に文三堂というお堂があります。この文三という人物は佐奈田与一義忠の家臣である文三家康ことです。主人の佐奈田与一は大庭景親の弟俣野五郎景久の一騎打ちで相手を組み伏せ、討ち取ろうとしましたが、鞘に血のりが付き刀が抜けず、壮絶な死を遂げました。それを見た文三は決死の覚悟で相手に打ち込み、七人ほど切り倒した後に討ち取られました。のちに源頼朝は伊豆山権現参詣の帰途、石橋山を訪ね、佐奈田与一と文三の墓を前にして落涙したと伝えられています。

石橋山の合戦は平家討伐の旗上げから間もなく始まりました。その合戦で討死した佐奈田与一と文三を弔うために与一塚と文三堂が建てられました。一家臣が討死しただけでこれほどまでに手厚く弔われるには、何か理由があるはずです。合戦のなかでの偶発的な討死であれば、歴史に名を残すことなく忘れさられてしまったでしょう。妄想を働かせば、この二人の討死はあらかじめ予定されたことだったと考えれば納得できる訳で、この石橋山の合戦は綿密に計画された戦いだったと思われます。これは考えすぎでしょうか・・・。

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石橋山古戦場跡で見た景色 ー-②海の彼方に見えるものー-

2022-02-18 16:47:44 | 日記

今回の写真は石橋山古戦場跡にある佐奈田霊社から相模湾を見た景色です。

まず手前はみかんの木。少し実がついているのが見えるでしょうか?この辺りは山のてっぺんまでみかんの木に埋め尽くされており、みかんの黄色と相模湾のブルー・そして青空とのコントラストが見事です。その先にピンクの花をつけている木は紅梅かと思います。源頼朝ゆかりの地で勝ち誇ったように紅(赤)色の花が咲いているのも面白く見えます。

さらに目を転じて、屋根越しの水平線に見える半島は三浦半島で突端は城ヶ島。頼朝支えた三浦一族の本拠地です。大河ドラマでも三浦一族は重要な役割を果します。特に三浦義村と和田義盛からは目が離せません。先週は和田義盛が頼朝に侍所別当の地位を望む場面がありましたが、この和田義盛の楽観的なところが頼朝に好かれたのでしょう。

その先、水平線のように見えますが、実は画面一杯に房総半島が横たわっています。ズームにするとかすかに千葉県の工場群や山々が分かります。この石橋山で戦った頼朝は大敗し、湯河原のししどの窟に隠れ、九死に一生をえて真鶴の岩浦から安房国に逃れることができました。直線距離にして60km位ですが、沖の荒い波のなかを小舟で渡り切るのは困難かと思われ、途中で三浦一族の舟に救出されたものと思われます。

この1枚の写真からいろいろなことを妄想するのはたまりませんね。これだから歴史探訪は止められません。さて次はどんな妄想をしましょうか?新年の誓い「莫妄想」のことはすっかり忘れてしまいました。

 

 

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