今回の青森秘境の旅では一冊の本を携えて出かけました。太宰治(1909-1948)の『津軽』。戦争中に書かれた本ですが、暗さは微塵もありません。多分、太宰治は鬱積した戦争の暗さから逃げる様に生まれ故郷「津軽」への旅に出たのでしょう。本編一 巡礼の書き出しは、こうはじまります。
「ね、なぜに旅にでるの?」 「苦しいからさ。」 「あなたの(苦しい)は、おさまりで、ちっとも信用できません」 「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」 「それは何のことなの?」 「あいつらの死んだとしさ。ばたばたと死んでいる・・・・。」
太宰治がこの『津軽』を書いた時は数えで36歳。亡くなった年は39歳。まさか自分の死を予感してこの『津軽』を書いたのでしょうか。たまたま『津軽』の紀行文の依頼があったからかもしれませんが、あえて自分の終着点を見据えて生まれ故郷の津軽への旅行を決めたかもしれません。
その割には文章が明かる過ぎます。太宰の師、佐藤春夫は「他のすべての作品は全部抹殺してしまってもこの一作さえあらば彼は不朽の作家の一人だと云えるだろう」。さらに同郷の長谷部日出夫は「これはぼくは、太宰治がわが国の文学史上最高の喜劇作家であったことを示す『お伽草紙』を加えたいとおもいますが、『津軽』がその双璧をなす傑作であることには、全く疑いがありません。」と巻末の解説に書いています。
今回津軽地方を旅行して、さらに太宰治の『津軽』を読み返し感じたのは、この紀行小説は多少のフィクションを加えているかもしれませんが、現代でも十分に通用する旅行案内書になっていることです。太宰自身、道化的要素を加え、読者の興味をそそります。戦争中に国防上重要な津軽半島の龍飛岬まで出かけ、多分検閲ギリギリに、さりげなくその情景を表現してますが、さすがだなと思いました。
なんとも取り留めもない文章になりましたが、是非この『津軽』をカバンに入れ、太宰が育った津軽地方を旅行してみてください。自分発見ができるかもしれません。写真は旅行中、最後に見れた岩木山の姿です。バスの中から写したものなので、余り上手とは言えませんが、貴重な一枚となりました。