最近ガイドで鎌倉時代の地蔵信仰について話す機会がありました。そのために地蔵信仰について調べたのですが、なかでも速水侑著の『地蔵信仰』(はなわ新書-初版1975年)が参考になりました。2019年で初版11版を重ねていますので名著なのでしょう。いい本に出会い幸運でした。文中に鎌倉時代の説話集『沙石集』の地蔵の徳を賛美している文章がありましたので抜粋します。
地蔵菩薩は、衆生を済度しつくすまでは成仏しないという悲願を発し、仏から仏法を伝えられ、釈迦没後弥勒出世までの無仏の世の導師として、地獄など悪趣に堕ちた人々を救うことを、利益の第一としている。・・地蔵菩薩は、ことにわれわれには縁ある菩薩である。その故は、釈迦は一代の教化の主としての因縁つきて入滅したから、霊山浄土で説法をつづけているとはいえ、この世の衆生にははるかに遠いものとなった。弥陀は、四十八の大願の願主とはいえ、この世から十万億土をへだつという極楽世界にいるのだから、浄土往生を願う正しい心の持ち主でなければ、弥陀の救いの光明からもれてしまう。しかし地蔵は、慈悲深いゆえに浄土にも住まず、この世と縁つきぬゆえに入滅もせず、ただ悪趣を住みかとし、罪人を友とする。釈迦は信者の能力がそなわった時にはじめて現われ、弥陀は信者の臨終の際にはじめて来迎するというが、地蔵は、能力のそなわるのもまたず、臨終の際とも限らず、いつでも六道のちまたに立ち、昼も夜も、生きとし生けるものに交って、縁なき衆生をも救いたまうのである。
この500字くらいの文章に地蔵信仰の要諦が詰まっており、鎌倉武士が何故に地蔵菩薩を信仰したのか端的に述べているような気がします。戦に明け暮れ、いつ死ぬかわからぬ身にとって、釈迦でも、弥勒でも、弥陀でもなく、地蔵を信仰したのでしょう。この考え方は広く庶民にも受け入れられ、辻や村はずれに六地蔵やお地蔵様が安置されたと思います。
さて写真は11月のある日、稲村ケ崎で写した1枚です、遠くの富士山、むこうの江の島、そして近くの波しぶき。特に注目していただきたいのは波しぶきの姿。不思議にもお地蔵様の姿に見えました。確かに妄想ではありますが、写真のこの瞬間のために長々とブログをつづったわけです。
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