鎌倉で海棠の花が有名な場所は妙本寺と長谷の光則寺です。少し前は安国論寺の海棠をあわせ鎌倉三海棠といわれていましたが、残念ながら今は妙本寺、光則寺の二海棠になっています。『花のことば辞典』(倉嶋厚監修、宇田川眞人編者 講談社学術文庫)によれば、海棠は五弁の花をやや下向きにつけ、雨に濡れると長い花柄(枝から花にのびる軸)が水滴の重さに耐えきれぬように垂れ下がり、その様子が美人の悩まし気な姿ということで「海棠の雨に濡れたる風情」という成語が生まれたと書いてありました。春の雨に似合う花ということでしょうか。
また唐の玄宗皇帝と楊貴妃にまつわる故事も知られています。酩酊して顔がほのかに赤い楊貴妃に「まだ酔いがさめないのか」と聞いたとき「海棠睡り未だ足らず」と答えたと伝わり、「睡れる花」ともいわれています。この故事から、花言葉は「艶麗」または「美人の眠り」というようです。
妙本寺の海棠には、小林秀雄と中原中也の思い出も残されています。小林秀雄の短編『中原中也の思ひ出』には妙本寺の散り際の海棠の下で一時を過ごした二人の様子が書かれています。久しぶりの再会なのに背負っている過去の出来事が重すぎて、海棠の花の散るのをだまって見ている二人の間には、海棠の花言葉とは無縁な世界が広がっていました。中原中也の小林秀雄への思いは「口惜しい男」であり、ビールを飲みながらの「前途茫洋さ、ボーヨー、ボーヨー」という中也の言葉は、お互い若気の至りの過去の出来事とはいえ、あまりにも悲しく重すぎました。
写真は光則寺の海棠の花。一輪咲いているのを写しました。可憐な花です。満開になるのを今か今かと待ちわび、天気に一喜一憂する。雨に花が濡れれば、それも良しとする。我が身もそうですが、日本人の花見好きには呆れてしまいます。古代から脈々と受け継がれたDNAは如何ともしがたいですね。今年はソメイヨシノも海棠も開花が遅れていますが、4月になれば一気に咲き始めるかと思います。まさに April Come She Will 「四月になれば彼女は」ですね。今日届いたばかりのTHE GRADUATE のCDを聞きながら書いています。
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