人生悠遊

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熊野詣 PART8⑤ --大斎原 一遍上人神勅名号碑--

2024-06-13 08:23:43 | 旅行

明治22年の大洪水以前に熊野本宮大社が鎮座していた大斎原には158段の階段を下っていきます。現在の社殿はそれだけ高い場所に遷座されたということです。青々とした田んぼの向こうに高さ約34m、幅約42mある大斎原の大鳥居が立ち、拝む人々は圧倒されます。大鳥居の下には世界遺産の石碑「紀伊山地の霊場と参詣道」があり、熊野本宮大社旧社地大斎原と刻まれています。2004年に登録されましたので、今年で20年、巡礼道としては世界に2つしかない世界遺産だそうです。参道を進めば、中社殿と下社殿の石の祠が鎮座し、それに対面するように一遍上人神勅名号碑が設置されていました。鎌倉には一遍上人ゆかりのお寺は多く、藤沢市にある清浄光寺(遊行寺)は時宗の本山になっています。なによりも筆者が驚いたのは、熊野の神様が鎮座する大斎原の石祠の目の前に一遍上人ゆかりの石碑が設置されている、熊野の神様の懐の深さでした。

前出の『熊野古道』(小山請憲著 岩波新書)に、熊野信仰は「浄・不浄を嫌わず」-女性・障害者の参詣という項だてがありました。平安時代には待賢門院、記録はありませんが鎌倉時代には北条政子、室町時代には北野殿(足利義満の側室)らが参詣してますし、説教節「をぐり」の小栗判官は「餓鬼阿弥」の姿に身をやつし、土車に乗せられて熊野本宮の湯峯まで送られ、湯峯の湯につかり蘇生したという物語がのこされています。また時宗の開祖である一遍上人の話も紹介されています。

一遍は熊野に向かう途中の中辺路で一人の僧に出会い、一念の信を起こして南無阿弥陀仏と唱えて、念仏札を受け給えとすすめる。しかし、僧はいま一念の信が起こらないと断る。一遍は、この僧が受けないと、ほかの人々もたぶん受けないであろうと思い、強引に札を押しつけた。この僧こそ熊野権現の化身であって、一遍が本宮に参拝した時、証誠殿の前に今度は山伏姿で現れた。お前はなぜ念仏を無理強いするのか。一切衆生の往生は阿弥陀仏を信じるところにある。「信・不信を選ばず、浄・不浄を嫌わずその札を配るべし」、と示現したという。(『一遍上人絵巻』)

また一遍上人神勅名号碑の前には、昭和46年4月16日の日付のあるこの碑を説明した石碑が設置されています。この石碑の文章は熊野別当が撰したもの。走り読みですが、一遍上人は伊予の国の豪族の子として延応元年(1239)に生まれました。文永十一年(1275)熊野本宮証成殿に祈念して百日の参籠し、大神の霊徳を感得し、証成を受け獨一念仏を開顕した。熊野本地は弥陀であり、これを弥陀直受の神勅相承と呼ばれる。その後一遍と改名し、全国を遊行。悩める者を助け、病める者を救い、民衆に和と慈愛の心を説き、社会福祉社会教化につとめ、神勅遊行の賦算の途中、正応二年(1290)51歳で神戸で亡くなった。これを顕彰し、熊野本宮の聖地に一遍上人の聖徳を偲び、上人真筆の名号碑を建立。と書かれています。

ツアーで訪れた熊野の地で、改めて一遍上人の偉大さを認識するとは思いもよりませんでした。これも大斎原に身をよせたことによる神徳かもしれません。

 

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