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つい先だって鎌倉・江の島七福神のガイドをしました。定番の企画なのでなんとか参加者の興味を引こうとあれこれ考えましたが、どうも消化不良ですっきりしませんでした。そしてこの27日に花園大学サテライトZEN講座に参加し、臨済会が出している「法光」という冊子をいただきました。パラパラとめくっていますと、松原泰道師の書いた「恵比須天と大黒天の対話」というコラムに目がとまり、面白く読ませていただきました。もう少し早く手許にあれば、七福神ガイドでの「えびすさん」の話がもっと充実したものになったと悔やまれました。
その「えびすさん」ですが、一つは蛭子さんと書き、イザナギとイザナミの子供で葦船に乗せられ海に流された水蛭子(蛭子、ひるこ)のことを言います。蛭子(えびす)能員という漫画家がいますが、この蛭子は「えびす」と読みます。先の文章のなかに「私の幼児の病弱と漂浪の生活の体験から」というセンテンスがありますので、はじまりは蛭子で間違いないようです。この蛭子は海に流され、兵庫の西宮の海岸に漂着しました。ここから蛭子は戎になります。関西での戎さんは商売の神様。その姿は釣った鯛を持ってニコニコしています。禅語に吾唯足知(われただたるをしる)という言葉があります。さらに「足ることを知ればこそあの福の神、福を釣ったら鯛はなくとも」という言葉もあります。続いて「人間の欲望は、食べたい。飲みたい、儲けたい・・・のたいづくしで、限りなくたいを望んでいますね。しかし、自分だけが儲けたいよりも、少しだけ他のためになりたいという願いのたいが、戎さんが左手にかかえているこの大きな鯛なのです。」と書かれています。面白いですね、戎さんがかかえている鯛は~したいの「たい」でした。関西での戎さんは「足るを知る」ことの戒めでした。「戎」に釣り竿一つ足せば「戒」になります。これは「釣して網せず」という戒めの言葉でした。
この戎さんは、鎌倉では「夷」になります。源頼朝が鎌倉の東南の方向(裏鬼門)に祀ったのがはじまりと言われています。鎌倉の本覚寺の夷尊堂に祀られている夷さんは、黒々して何か怖い顔をしています。関西の戎さんのようなにこやかなお顔では、とても鬼門の守り神になれませんので、同じ「えびすさん」でも鎌倉の夷さんは、別もののような気がしました。
もうじき立春となりますので、この「えびす話」は、残念ですが来年の七福神めぐりまでお蔵入りです。写真は本覚寺の夷尊堂です。
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