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人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

東海道中膝車 ーー50 水口ーー

2016-01-18 12:42:15 | 旅行

石部宿から水口宿までは14.4キロ。よく整備された石部宿を過ぎ、途中弘法杉などを見ながら歩くと三雲の町に着きます。旧東海道はJR草津線三雲駅より南にある「横田の渡し」で野洲川を渡るのですが、今は手前の横田橋を渡ってから横田渡跡に行くことになります。京都から来るとこの横田の渡しから旧東海道に戻る道が分かりにくいので慎重に地図をみます。ここから水口城下までは田園地帯をただひたすら歩くことになりますが、日差しを遮るものもなく、炎天下の夏に歩くのは避けたいですね。また食堂やコンビニエンスストアも少なく、横田の常夜灯の手前にあるセブンイレブンはオアシスのようで大変助かりました。

水口宿は遠くからみて山の上に天守閣のようなものがあり、それが水口城址かなと思いましたが、こちらは戦国時代に豊臣秀吉の家臣加藤一氏によって造られた岡山城跡で、実際の水口城は東海道の南側にあり、徳川家光上洛時の居館として小堀遠州によって築城されたものでした。ただ宿場は岡山城下に開け、三筋口から宿場東にある本陣までは宿場内に東海道が3本平行してあるという珍しい造りになっています。たぶんこれは城下の街道で大名行列がかち合って揉め事が起きないようにした工夫かと思いました。

今日は草津から水口まで25キロ位の行程。帰りは水口駅から近江鉄道で貴生川駅まで行き、そこからJR草津線で草津まで行き、JR東海道線に乗り換え京都まで戻りました。次回はちょっと短いですが、滋賀県最後の宿場土山までとなります。

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東海道中膝車 ーー51 石部ーー

2016-01-17 09:48:29 | 旅行

2015年4月某日。春の日差しが心地よい日です。今日は草津から水口まで歩きました。

草津の追分から県道116号線をしばらく歩くと和中散本舗の手前に六地蔵という村があります。家並みが切れるところから田ぼ越しに三上山(432メートル)が望めました。近江富士とも言われる山で、琵琶湖の周りではどこからも三角形の美しい姿が眺められるランドマーク的な存在です。一度近くで見たいと思っていた山でしたので迷わず1枚。いい写真が撮れました。昔の旅人はどんな想いでこの山を眺めたのでしょうか?

石部宿は野洲川沿いにあります。その西端の入り口には黒御影石で造られた東海道宿場図もあり、町中もよく整備されています。気持ちよく東海道歩きが楽しめる場所の一つです。江戸時代には京を発った旅人の1泊目は石部宿で、最盛期には商家26軒、旅籠62軒と大変栄えたようです。また「石部の金吉」(頭の堅い、融通の利かない人の意)という言葉は近くの金山(銅山)が由来とのこと。どうも遊女を置かない宿場を揶揄したものと言われています。

 

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東海道中膝車 ーー52 草津ーー

2016-01-16 20:47:23 | 旅行

大津から草津までは10.7キロ。大津の町を過ぎ、膳所(ぜぜ)に入ると義仲寺があります。1184年に粟津(大津市石山寺の近く)で滅ぼされた木曽義仲の墓とその義仲を敬愛していた松尾芭蕉(1694年没)の墓があることから、訪れる人が多いお寺です。かく言う私も芭蕉が好きで4年半の京都滞在の間に3回ほど訪ねました。

旧東海道は石山、瀬戸の唐橋あたりまでは街道らしい雰囲気が残されていますが、唐橋を過ぎてから草津までの間は丘陵地域を歩くのですが、うっかりするとミスルートしかねず、地図が手放せません。広重の浮世絵は琵琶湖の港である矢橋(やばせ)への分岐点にあった「姥が餅屋」を描いたものですが、場所を特定できず、通り過ぎてしまいました。写真は「追分の道標」です。左に行けば中山道、東海道は右です。ここからは琵琶湖を離れ、道は石部宿に続きます。

今回の東海道歩きはJR東海道線の山科駅から草津駅まででした。十数キロの行程でしょうが、江戸時代の旅人は三条大橋から草津を過ぎ、石部宿位かそれ以上歩いたようです。健脚ですね。それに比べ現代人は歩きやすいウオーキングシューズを履いてこれですから、情けなくなります。

 

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東海道中膝車 ーー53 大津ーー

2016-01-13 16:38:05 | 旅行

三条大橋から大津までは10.8キロ。京都からは通過点です。写真は2015年3月に逢坂山の関所跡を写したもの。百人一首で蝉丸が詠んだ「これやこの行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関」で子供のころから名前だけは知っていましたが、京の都への出入り口として重要な天下三関の一つでした。広重の浮世絵は「走井茶屋」の様子が描かれていますが、この逢坂の関より京都より直ぐ、関所を通る順番待ちの旅人が利用したと思われます。湧き出る「走井」の水を利用したのでしょうか、今は「かねよ」という鰻料理の店になっています。また写真の石碑に「大津絵販売の地 ハン六」とありますが、ハン六は浜大津にある印鑑などを扱っている会社で、江戸時代は大津絵という刷り物を土産として販売していたとのことです。

逢坂の関を過ぎれば、あとは下り、琵琶湖畔の大津の町中に着きます。関東にいますと京都観光には行きますが、大津は近すぎてあまり訪ねることはない馴染みのない場所です。私には幸い大津に住んでいる友人がいたことで数回訪ねる機会がありました。三井寺、日吉神社、石山寺など見応えのある場所は多く、食事をするにも近江牛の店とか、鰻料理店、和食の店など、隣の京都より安くて美味しいものが食べられます。非常にコスパの高い街だと私の中での評価点は高いです。

 

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東海道中膝車 ーー京都三条大橋を発つーー

2016-01-13 12:45:44 | 旅行

ご存じ弥次郎兵衛・北八の道中記で知られている「東海道中膝栗毛」ですが、この膝栗毛とは栗毛の馬に代えて膝で歩くという意味だそうで、私の東海道五十三次を徒歩で歩く道中記のタイトルも馬を現代風に電車や自動車にアレンジし「東海道中膝車」にしてみました。

本来ならお江戸の日本橋を起点にして五十三次を歩くのですが、私の場合、昨年7月まで京都に住んでましたので、起点は京の三条大橋。京都に住む町衆が用あって江戸に下るという設定になります。実際のところは、仕事もありますので、一気に日本橋まで歩くわけにもいかず、旅費を節約するために、少なくとも桑名までは京都にいる間に行ってみようと言うことになったわけです。

と言うことで、2015年の1月に橋の西岸にある弥二さん・北さんの銅像に道中の無事を祈り、三条大橋をスタートしました。写真は広重の「三条大橋」とほぼ同じアングルで撮ったものです。遠くに見える山は比叡山。江戸時代には高い建物はなかったでしょうから、浮世絵に描かれているように比叡山は今よりも大きく見えたはずです。手元には、山と渓谷社の「ちゃんと歩ける東海道五十三次(五街道ウオーク・八木牧夫著)を用意しました。ポケットにも入るコンパクトサイズで、旧東海道の道筋も分かりやすく紹介されており、重宝しています。

三条大橋からは三条通りを大津を目指して歩きます。蹴上を過ぎた旧東海道の分岐点までは府道143号線沿いを行き、途中から旧東海道に分かれます。旧道の雰囲気を楽しみながら歩くと山科の町に着きます。そこからは京阪京津線と平行して歩けば、大谷駅を過ぎたところに「逢坂山関所跡」があります。

1年前の道中記を「なんで今UPするの?変じゃない」と言うことになりますが、2016年になり東海道を歩きを再開するために、これまでの道中を振り返ってみることにしました。

 

 

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