人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

東海道中膝車 ーー53 大津ーー

2016-01-13 16:38:05 | 旅行

三条大橋から大津までは10.8キロ。京都からは通過点です。写真は2015年3月に逢坂山の関所跡を写したもの。百人一首で蝉丸が詠んだ「これやこの行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関」で子供のころから名前だけは知っていましたが、京の都への出入り口として重要な天下三関の一つでした。広重の浮世絵は「走井茶屋」の様子が描かれていますが、この逢坂の関より京都より直ぐ、関所を通る順番待ちの旅人が利用したと思われます。湧き出る「走井」の水を利用したのでしょうか、今は「かねよ」という鰻料理の店になっています。また写真の石碑に「大津絵販売の地 ハン六」とありますが、ハン六は浜大津にある印鑑などを扱っている会社で、江戸時代は大津絵という刷り物を土産として販売していたとのことです。

逢坂の関を過ぎれば、あとは下り、琵琶湖畔の大津の町中に着きます。関東にいますと京都観光には行きますが、大津は近すぎてあまり訪ねることはない馴染みのない場所です。私には幸い大津に住んでいる友人がいたことで数回訪ねる機会がありました。三井寺、日吉神社、石山寺など見応えのある場所は多く、食事をするにも近江牛の店とか、鰻料理店、和食の店など、隣の京都より安くて美味しいものが食べられます。非常にコスパの高い街だと私の中での評価点は高いです。

 

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東海道中膝車 ーー京都三条大橋を発つーー

2016-01-13 12:45:44 | 旅行

ご存じ弥次郎兵衛・北八の道中記で知られている「東海道中膝栗毛」ですが、この膝栗毛とは栗毛の馬に代えて膝で歩くという意味だそうで、私の東海道五十三次を徒歩で歩く道中記のタイトルも馬を現代風に電車や自動車にアレンジし「東海道中膝車」にしてみました。

本来ならお江戸の日本橋を起点にして五十三次を歩くのですが、私の場合、昨年7月まで京都に住んでましたので、起点は京の三条大橋。京都に住む町衆が用あって江戸に下るという設定になります。実際のところは、仕事もありますので、一気に日本橋まで歩くわけにもいかず、旅費を節約するために、少なくとも桑名までは京都にいる間に行ってみようと言うことになったわけです。

と言うことで、2015年の1月に橋の西岸にある弥二さん・北さんの銅像に道中の無事を祈り、三条大橋をスタートしました。写真は広重の「三条大橋」とほぼ同じアングルで撮ったものです。遠くに見える山は比叡山。江戸時代には高い建物はなかったでしょうから、浮世絵に描かれているように比叡山は今よりも大きく見えたはずです。手元には、山と渓谷社の「ちゃんと歩ける東海道五十三次(五街道ウオーク・八木牧夫著)を用意しました。ポケットにも入るコンパクトサイズで、旧東海道の道筋も分かりやすく紹介されており、重宝しています。

三条大橋からは三条通りを大津を目指して歩きます。蹴上を過ぎた旧東海道の分岐点までは府道143号線沿いを行き、途中から旧東海道に分かれます。旧道の雰囲気を楽しみながら歩くと山科の町に着きます。そこからは京阪京津線と平行して歩けば、大谷駅を過ぎたところに「逢坂山関所跡」があります。

1年前の道中記を「なんで今UPするの?変じゃない」と言うことになりますが、2016年になり東海道を歩きを再開するために、これまでの道中を振り返ってみることにしました。

 

 

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