子供の頃に住んでいた家には廊下があり、その先に我々親子が暮らす部屋があった。
昔の家だから、思いっきり寒くて朝は自分の鼻息で布団の襟元に氷ができていた。
当時の家には 断熱構造などという考えは無く、各部屋は襖と障子で仕切られていた。
その障子に間違って穴でも開けようものなら 父親にコブの出来るほど殴られた。
手加減なんてしている気配はない。その痛いこと、目から火が出た。
いつも身体を盾にして祖母が守ってくれたので、私はいつの間にかお婆ちゃんっ子になった。
ある日、突然 障子に穴を開けても良いとお許しが出た。
嘘だろうと躊躇していたら祖母自らがズボッと穴を開けて手本を見せてくれた。
それからは穴あけ大会。障子の張替えをするために古い紙を剥がす前のお遊びだった。
ご飯をトロトロになるまで煮込んで糊の代わり。
ハケで塗って紙を貼りカミソリで余分な部分をカット。
最後に霧吹きで一面を濡らすと乾いた時に紙がピンとなるのだ。
不思議なのは、今でもこの一連の作業を記憶していることだ。
さて、私の今の部屋と隣の和室の境は障子で区切られている。
それも和洋室に合うようにと考えられたのか下半分の障子は上下に動き、その部分にはガラスがはまっているという面倒くさい構造。
至るところに穴が開いて100均で買ってきた補修紙を貼って誤魔化していたのだが、この際頑張ってみようと初めて挑戦してみた。
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子供の頃と違って穴を開けるのも楽しくないし紙が桟から剥がれずにイライラ。
記憶通りには巧くいかない。昔は外へ持ち出して全面を濡らしてタワシで強制的に洗い流したものだが、念の為にwebで見てみたら今は「障子紙はがし」があるらしく急いで追加購入。
後は計画通りに巧くできるハズだった。
しかし紙が斜めになって糊だらけ。
貼った端から剥がれて丸まる。
仕方がないのでセロテープと洗濯バサミを駆使して何とか誤魔化し一面終了。
あと一面残っているけれど、疲れたし 暗くなったし もう良いや。
そのうち気が向いたら頑張れば良いさ。
昔の家だから、思いっきり寒くて朝は自分の鼻息で布団の襟元に氷ができていた。
当時の家には 断熱構造などという考えは無く、各部屋は襖と障子で仕切られていた。
その障子に間違って穴でも開けようものなら 父親にコブの出来るほど殴られた。
手加減なんてしている気配はない。その痛いこと、目から火が出た。
いつも身体を盾にして祖母が守ってくれたので、私はいつの間にかお婆ちゃんっ子になった。
ある日、突然 障子に穴を開けても良いとお許しが出た。
嘘だろうと躊躇していたら祖母自らがズボッと穴を開けて手本を見せてくれた。
それからは穴あけ大会。障子の張替えをするために古い紙を剥がす前のお遊びだった。
ご飯をトロトロになるまで煮込んで糊の代わり。
ハケで塗って紙を貼りカミソリで余分な部分をカット。
最後に霧吹きで一面を濡らすと乾いた時に紙がピンとなるのだ。
不思議なのは、今でもこの一連の作業を記憶していることだ。
さて、私の今の部屋と隣の和室の境は障子で区切られている。
それも和洋室に合うようにと考えられたのか下半分の障子は上下に動き、その部分にはガラスがはまっているという面倒くさい構造。
至るところに穴が開いて100均で買ってきた補修紙を貼って誤魔化していたのだが、この際頑張ってみようと初めて挑戦してみた。
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子供の頃と違って穴を開けるのも楽しくないし紙が桟から剥がれずにイライラ。
記憶通りには巧くいかない。昔は外へ持ち出して全面を濡らしてタワシで強制的に洗い流したものだが、念の為にwebで見てみたら今は「障子紙はがし」があるらしく急いで追加購入。
後は計画通りに巧くできるハズだった。
しかし紙が斜めになって糊だらけ。
貼った端から剥がれて丸まる。
仕方がないのでセロテープと洗濯バサミを駆使して何とか誤魔化し一面終了。
あと一面残っているけれど、疲れたし 暗くなったし もう良いや。
そのうち気が向いたら頑張れば良いさ。