高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

「生き様が墓」

2008年07月04日 09時35分10秒 | 職人仲間

昔、我が師から「生き様が墓!」と教えられた。お墓とは、墓石を積んで大きな物を作るのでなく、あなたの今の生き様が墓になる。と、正にその通りで、自分の生きてきた軌跡が人々の心に残り、その記憶が私の墓になる。

昨日、福岡県八女市の石工「倉員さん」がこの日本橋三越での「匠の技展」を最後に引退される、ということで、内輪での打ち上げ会があった。つい最近まで、この「倉員」という名前が読めなくて「クラカズ」と読むそうだ。珍しい名前である。「クライン」と呼びそうだが、そう呼ぶと「カルバン・クライン」を想像してしまう。背が高くて、金髪のカッコいい人を想像してしまうが、「クラカズ」さんと呼ぶと、目のギョロッとした、メタボリックなお腹をした頭の薄くなったおっさんである。カルバン・クラインとは全然似つかないイメージである。

20080703223507この方と初めてお会いしたのは、名古屋の松坂屋での「大九州展」であった。 「眼つきのキツイ怖そうなおっさんだな」と思ったのが第一印象である。コツコツ・コツコツと蛙の置物を彫っていた。見た目のキツイ人は、案外、情に深い男気のある人が多いのだが、この人も、人伝に聞こえてくる人柄は「人情に厚い誠実な、絶対に嘘が言えない信頼できる人。好き嫌いが激しいが、好きになった人には損得、金勘定は一切無しで全面的に応えてくれる人、小まめに料理洗濯を女房の様にしてくれる‥‥」などである。

普段はあまりお付き合いは無かったのだが、この最後の会だけには参加させて頂いた。20人近くが全員で今までのクラカズさんとの思い出を語り、40年間の石工の労をねぎらった。途中で、三越の名物担当者の金子さんの応援の気持ちを込めて「365歩のマーチ」も飛び出した。20080703223113 

「自分の石工としての最後のステージをこの日本橋三越で締めくくる事が出来て私は幸せだ」と挨拶された。

特に印象的だったのは、会が始まる直前に倉員さんの娘さんからメールが入り、そのメールをエンタティナー大川が情感を込めて朗読した。

「お父さん、40年間ご苦労様でした。私も同じ職人として、職人のお父さんを尊敬しています。ありがとう、ご苦労様でした。」と、

こんな言葉が娘から貰えたら本当に良い人生だったと思う、正に「生き様が墓」だな。

竹工房オンセ

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