こんにちは。経済学部2年の長谷川達也です。
今回のゼミは、先週に引き続き答えを教えずに学びを深めることから始まりました。
お題は、『国分寺市に隣接する市はどこだ』で先生役はゼミ長の佐野さんです。
前回は小宮さんが『世界で3番目に人口が多い国は』というお題でした。とても素晴らしい学びでした。さて、国分寺に隣接する市をみなさんはわかりますか?ゼミでは電車の駅で攻めていき、最後は全員で5つの市にありつくことができました。しかし、この学びのミソはその過程での学びです。私は、国立市の名前の由来を初めて知りました。そのほかにもたくさんの学びがありました。あともう一つのお題をぜひ来週やりたいです!
次は、『Show&Tell』今回は私が、初めに今まで着ていたユニフォームを紹介し、次に本題の高校野球の最大の思い出であり最高の宝物を紹介しました。
これは、私の一番尊敬している先生が打ってくれた最後のノックボールです。このボールは土の跡がありますが私が一人で誰にも中継せずホームベースめがけて投げたボールです。このときの私は、泣きそうでした。終わってしまう。まだやりたい。そんな思いがありました。
このボールをみると思い出します。やりきることの大切さ、仲間との絆と大切さ、礼儀などたくさんの事を思い出しまた頑張ろう。そう思えます。
そして次は、『教師のライフヒストリー』です。佐野さんの作品を読みました。
作品の主人公は今年の3月で定年を迎えられた先生でした。
体育の教師でありましたが幼いころは喘息を患っており十分な運動ができていませんでした。小学校の学年が上がるにつれて発作も治まり野球をやり、中学時代、グラウンドがないという理由でバスケと出会う。そこから現在に至るまでバスケと関わっている。まさに人の出会いはわからないと実感しました。自主性を大事にしているが教え方は間接的。それは、まさに学生時代に培った経験からなのではないかと思います。
内輪差の説明をするのに教具を自ら作成するなどその教科が好きではない人でも楽しんで授業を受けられるような工夫、準備をなさっていて感動しました。私も、教師を目指しているものとして楽しい授業をできるようになりたいと思いました。
さて、『生きて帰ってきた男』は第2章に入りました。
収容所へという題名のついた第2章は1944年に満州に行くところから始まります。このとき小熊謙二さんらは水筒や飯盒の代わりで使うようにと渡された大きな竹筒しか持たされませんでした。このことから当時の日本に物資がないことを物語っていることが分かります。軍隊の生活は上のものが下のものをいじめる、殴るなど現代の問題につながるものがあるのではないのかと考えさせられました。
さらに、上の人しか知らないことがあったり一等兵や二等兵の人々には連絡が遅くなったりと当時の軍隊の杜撰さ見えてきました。学校の授業では習うことのできない当時の人々の暮らしを見ることができる。歴史の面白さを感じることができました。
読んでいただきありがとうございました。
今回のゼミは、先週に引き続き答えを教えずに学びを深めることから始まりました。
お題は、『国分寺市に隣接する市はどこだ』で先生役はゼミ長の佐野さんです。
前回は小宮さんが『世界で3番目に人口が多い国は』というお題でした。とても素晴らしい学びでした。さて、国分寺に隣接する市をみなさんはわかりますか?ゼミでは電車の駅で攻めていき、最後は全員で5つの市にありつくことができました。しかし、この学びのミソはその過程での学びです。私は、国立市の名前の由来を初めて知りました。そのほかにもたくさんの学びがありました。あともう一つのお題をぜひ来週やりたいです!
次は、『Show&Tell』今回は私が、初めに今まで着ていたユニフォームを紹介し、次に本題の高校野球の最大の思い出であり最高の宝物を紹介しました。
これは、私の一番尊敬している先生が打ってくれた最後のノックボールです。このボールは土の跡がありますが私が一人で誰にも中継せずホームベースめがけて投げたボールです。このときの私は、泣きそうでした。終わってしまう。まだやりたい。そんな思いがありました。
このボールをみると思い出します。やりきることの大切さ、仲間との絆と大切さ、礼儀などたくさんの事を思い出しまた頑張ろう。そう思えます。
そして次は、『教師のライフヒストリー』です。佐野さんの作品を読みました。
作品の主人公は今年の3月で定年を迎えられた先生でした。
体育の教師でありましたが幼いころは喘息を患っており十分な運動ができていませんでした。小学校の学年が上がるにつれて発作も治まり野球をやり、中学時代、グラウンドがないという理由でバスケと出会う。そこから現在に至るまでバスケと関わっている。まさに人の出会いはわからないと実感しました。自主性を大事にしているが教え方は間接的。それは、まさに学生時代に培った経験からなのではないかと思います。
内輪差の説明をするのに教具を自ら作成するなどその教科が好きではない人でも楽しんで授業を受けられるような工夫、準備をなさっていて感動しました。私も、教師を目指しているものとして楽しい授業をできるようになりたいと思いました。
さて、『生きて帰ってきた男』は第2章に入りました。
収容所へという題名のついた第2章は1944年に満州に行くところから始まります。このとき小熊謙二さんらは水筒や飯盒の代わりで使うようにと渡された大きな竹筒しか持たされませんでした。このことから当時の日本に物資がないことを物語っていることが分かります。軍隊の生活は上のものが下のものをいじめる、殴るなど現代の問題につながるものがあるのではないのかと考えさせられました。
さらに、上の人しか知らないことがあったり一等兵や二等兵の人々には連絡が遅くなったりと当時の軍隊の杜撰さ見えてきました。学校の授業では習うことのできない当時の人々の暮らしを見ることができる。歴史の面白さを感じることができました。
読んでいただきありがとうございました。