この本は、今働いている会社の日本語が堪能なイラン人から「ドイツや欧州では鉄道を利用するとき、ほとんどアナウンスがないけど、日本では駅でアナウンスでうるさくてしょうがない」という話をしていて、この本、「知っていますか、面白いよ、おすすめ」と言われて図書館で探して、本日読了。
まあ、賛否両論てっ感じの本です。
この著者はうるさいと思ったら、その場で直接当事者に意見を言っている。しかも通じないとその組織の長に手紙を送ったり、直接会いに言って、うるさいアナウンスをやめるよう説得している。しかも1回でなく10回近く。すごい行動力。考えるといわゆる変人と言うことになる。しかし、この人の言うように、皆なんで文句を言わないんだろうと思う。
ま、そう言っても私も、とても当事者に直接文句を言う勇気はない。
でも、それが日本人の文化的特徴という指摘はなるほどと思う。今の私の仕事は、日本企業に依頼を受けて、本社であるドイツの会社に提案を出させて、日本の会社の依頼に合わせた提案や問題解決をする仕事なのだが、日本の会社というか日本人は、なかなかはっきり言わない。例えば日程など、今週中にとか数日後にほしいのに、それは難しいだろとか考えて+1週間などに遠慮して言う。そして、ドイツ側は彼らにとっては正当な理由をつけて、すぐ1週間位遅れる。すると「〇〇日には回答すると言っただろう」「期限の翌日には、業者に図面や数字を教えないといけないのに、どうしてくれるんだ」、「それならその日時と理由を、最初に言ってほしかった、いまからはどうしようもできない」ってことが日常茶飯事である。”それは難しいだろうから+1周間”が全く余計だ。だから、ミーティングでは、本当に回答や資料のほしい日を掛け値なく言ってください、後で揉めますからと何度言ったことだろう。
また、このコロナ騒ぎでも、TVでコメンテーターが、思っていても、本音を言ってしまうとたたかれるので、マジョリティの意見を尊重する。全くこれを直さないと日本はどうなるんだろうかと心配になる。
そのようなことを、思い出させる本である。
読んで、気になったキーワードをいつものように以下に示す。
ー「健康のためにタバコの吸いすぎはには注意しましょう」がよければ、「環境を汚染し、他人の健康に害を与えないように、自動車の使いすぎに注意しましょう」は良いはずだが、それはだめらしい。「あなたの健康を害します」はパスするが「周りの人々の健康を害します」はパスしないという理解できないロジック。
ー海水浴場でのアナウンス、「○○に注意しましょう!」というアナウンス。「放送がなかったから、荷物を波にさらわれた!、こどもがやけどした!」などは1%くらいの不注意、怠惰な人の反応、それに向けて「一律な放送」をそれを必要としない数万の人に向かってするように要求する極めて悪質で思慮の足りない人々です。
ー「音」は権力を背景にしている。公共の場で当たり前のようなこと「券をお持ちの方は、そのままお入りください」というような、会場でメガフォンで出すような音は公共の場だから許される。個人がそのようなことをメガフォンで発することは許されない。その結果、権力の発する「音」に無批判的な態度が、つちかわれる。
ーこういう「善良な市民」が猛烈な「音漬け社会」を支持しているのだ。アアせよ、コウせよという「優しい」放送を支持し、個人の人格を破壊し、怠惰な無責任な人々からなる幼稚園国家を作る手助けをしているのである。
ー「自分がされたくないことは人にするな」というルールの危険性。このルールこそ「考えない社会」を「言葉を圧殺する社会」を「音漬け社会」を作る元凶だということである。これは「人々の考え方や感受性はほぼ同じである」という前提がここにあり、マジョリティを養護し、マイノリティを排除する機能をもってしまい、いじめを醸成することにもつながる。
ー「察する美学」から「語る」美学へ、授業で「なにか質問は?」と聞いても無言。「わかった人?」と聞いても無言。「わからニア人?」と聞いても無言。これって、グローバルには異様。
こういう記述に関して、「そうだ、そうだ」と思った方はぜひ図書館などで一読をおすすめします。
以下にアマゾンサイトより。
うるさい日本の私 (日経ビジネス人文庫) | 中島 義道 |本 | 通販 | Amazon
内容(「BOOK」データベースより)
バスや電車の中、駅や観光地、デパートから不用品回収車まで、日本中にいたるところで“おせっかい放送”が聞こえてくる。「戦う哲学者」が孤軍奮闘、静かな街を求めて「音漬け社会」に異議を申し立てた話題の書。
色々感想はあるようですが、以下にいくつか紹介しておきます。
最近話題の「除夜の鐘がウルサイ」という理由を考える上でも・・・。
何故、日本は公共の場所で過剰なアナウンスや音を垂れ流すのか?
その理由と、著者が実際に行っている反対運動などについて書かれた稀少な本。
最近、保育施設の新設に周辺から騒音などの問題が指摘されたり、除夜の鐘がウルサイ、という意見があったりしますが、このような意見が出てくる理由を考える上でも重要な資料になる気がしました。
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発言を抑圧する日本文化
日本の学校ではおしなべて「質問」がない。教師が学生に発言を求めても、相手を特定して発言を求めない限り何も答えない。電車の中で隣の人のかばんが当たって痛くても、こどもがうるさくても、空調が効きすぎて不快でも、何も言わないのである☆日本人が無口なわけでは決してない。教室での私語に教師は手を焼いているし、公共施設でも交通機関の中でも、盛んにおしゃべりする☆パブリックな場で、他人に対して、プライベートな発言をすることが良くないという”暗黙”の了解があるのだ。それは一度権力者を介して「放送」によって伝達されねばならない☆自分では隣人や車掌に乗り換え駅を聞くことすらできない人のために乗換駅をアナウンスさせ、電車で隣人に「窓を開けて欲しい」と言えない人のために「暑ければ窓をお開けになってください」と放送させ、劇場で「きみたちうるさいよ。ここでは音を立ててはいけない」と自分で言えない人のためにスピーカーで「お静かにしてください」と”騒音”を立てさせる☆騒音問題を解決するためには、日本人は積極的に発言し、相手の言うことを聞き、必要があれば反論するという、「対話する態度」を身につけなくてはいけない。察するのではなく語る、聞くことをしなくてはいけない