ケンのブログ

日々の雑感や日記

思い出すこと

2018年12月03日 | 日記
昨日、白鵬が後輩の力士にたいして
稽古場で強いことが大切という主旨のことを
言っていたという話を書いてちょっと八王源先生のことを
思い出した。

原辰徳読売巨人軍監督がまだ巨人の
現役の選手だった頃
僕と八王源先生の二人でテレビを見ていた。
テレビでは巨人のキャンプの様子が放送されたいた。
原選手がトスバッティングをやっていた。
当たり前の話かも知れないけれど
原選手はあげられたトスと一球たりとも
空振りすることなく綺麗に打ち返していた。
それを見て八王源先生は僕に
「ケンちゃん、原選手すごいねえ。
一球も空振りせんもんなあ」と言った。
僕はプロの選手がトスバッティングで
空振りしないことなど当たり前だと
思っていたので、八王源先生の
その言葉に驚いてしまった。
一球も空振りせんもんなあという言葉に。
八王源先生という人は何て素直な人なんだろう
と思った。
僕は思うのだけれど
プロだから空振りしないのは当たり前と思うのと
空振りしないのはすごいと思うのでは
後者の思いからの方がいろいろ
感動が広がってくると思う。
当たり前で片付けてしまったらそれは
そこで終わりだけれど
すごいと思うことで
どうするとこんな風にできるのかとか
プロの仕事を見せてくれてありがたいとか
そういう方向に思いが広がる。
例えば、トスバッティングで全く空振りしない人でも
試合では3割しか打てないのだから
プロのピッチャーはすごいとか、、、。
八王源先生は
常々「人は道によってかしこしなんです」とおっしゃっていたけれど
本当にその言葉の通りの思いの方だったなあとしみじみと思う。

新約聖書のフィリピ人への手紙の第二章に
次のように書いてある。

何事も党派心や虚栄からするのではなく
へりくだった心をもって
たがいに人を自分よりも優れたものとしなさい。
おのおの自分のことばかりでなく他人のことも考えなさい。

こういう心を持つことが
おかげをいただく基本だろうけれど
なかなかこの通りにすることは難しいと思う。
ただ、理想の形を心の中においておくのはいいことだと思う。