十二月十八日という日付を書いて
今日は終い観音つまり今年最後の観音の日だなと思う。
昔使っていた大きなダイアリー式のノートに
毎月十八日は観音の日と書いてあり
特に十二月十八日は終い観音、一月十八日は
初観音と記してあった。
年末は今年最後を意識するし年始になれば
その年最初を意識するものだなと思う。
金光さんは日々の心がけが大切という考えのようで
毎日が大晦日であり元日のつもりで日々お祈りして
おかげを受けていくことが大切。
なにかが起きてからのうろたえ信心では間に合わないことが
多いという趣旨のことを言っておられるけれど
そういう考え方を大切にしていきたいなと思う。
本当に金光さんの話というのは現実に則したものが多くて
読んでいてありがたいなと思う。
例えば田んぼにいて怪我をしたときは
泥を落としたり肥をおとしたりしてから
祈っていたのでは間に合わない。
その場で泥がついていてもいいから
まず祈ることが大切という趣旨のことが
書いてあるけれど
そういうのは本当にその通りだなと思う。
今日は終い観音つまり今年最後の観音の日だなと思う。
昔使っていた大きなダイアリー式のノートに
毎月十八日は観音の日と書いてあり
特に十二月十八日は終い観音、一月十八日は
初観音と記してあった。
年末は今年最後を意識するし年始になれば
その年最初を意識するものだなと思う。
金光さんは日々の心がけが大切という考えのようで
毎日が大晦日であり元日のつもりで日々お祈りして
おかげを受けていくことが大切。
なにかが起きてからのうろたえ信心では間に合わないことが
多いという趣旨のことを言っておられるけれど
そういう考え方を大切にしていきたいなと思う。
本当に金光さんの話というのは現実に則したものが多くて
読んでいてありがたいなと思う。
例えば田んぼにいて怪我をしたときは
泥を落としたり肥をおとしたりしてから
祈っていたのでは間に合わない。
その場で泥がついていてもいいから
まず祈ることが大切という趣旨のことが
書いてあるけれど
そういうのは本当にその通りだなと思う。