昨日は兵庫県立芸術文化センターにドイツカンマーフィルハーモニー
管弦楽団のコンサートを聴きに行った。
指揮はバーヴォ ヤルヴィさん
最初に演奏されたのが
モーツァルト ドンジョバンニ序曲K.527
イントロを聴いた時点の音のキーンという感じ
ちょっとドライな響きで
ピリオド奏法的な演奏であることがわかる。
オーケストラも指揮者の左手にバイオリンがたて3列で
小さい編成、指揮者の左手からファーストバイオリン
チェロ、ビオラ セカンドバイオリンの対向配置になっている。
乾いた響きのなかで音楽の悲劇的な要素が
色濃く出ていたと思う。
音楽がギアチェンジして速度がはやくなるところでは
一気に雰囲気が明るくなるかと思ったけれど
さにあらず、かなり控えめに演奏は展開していく。
普段、僕がドンジョバンニ序曲を聴くときは
ギアチェンジして音楽が明るくなってからは
それなりの高揚感を期待するので
ちょっとこういう演奏の展開はどうなんだろうとも
思ったけれど表現が控えめな分
この曲が内包する悲劇的な要素が現れているのかも知れないと思った。
まあ、フィニッシュに近くなるとそれでも
演奏はそれなりに盛り上がっていったけれど、、、。
次に演奏されたのが
ヒラリー ハーンさんバイオリンソロで
モーツァルト バイオリン協奏曲第5番 トルコ風 K.219
第一楽章
ハーンさんは拍子にあまりためを作らずに演奏されるので
端正でほどよい緊張感がある。
独奏が途切れたところでハーンさんは
オケのファーストバイオリンの奏者に目配せして
何かのサインを送っておられる。
目配せの時のしぐさから想像するときっと
拍子の取り方などのサインを送っておられるように思える。
そのためか、オーケストラとバイオリンソロの
演奏のテンションがよくあっていたと思う。
第二楽章
バイオリンのソロが入る前、オーケストラだけの演奏の部分は
音楽が持つ独特の哀愁が表現されていてよかった。
バイオリンの独奏はオーケストラに比べると端正だったけれど
不必要に華美にならず、内面的なものを表現されていたと思う。
第三楽章
トルコ風メヌエットの直前でおどろおどろしいフレーズの
伏線のようなところでヒラリーさんが
オケのファーストバイオリンの方に
目と脚の踏み込みで何か合図した。
「ここ、頼むわよ」と言いたげな感じで。
いざ音楽がトルコ風メヌエットに突入すると
本当にオーケストラがおどろおどろしいフレーズを
おどろおどろしく弾いていたので
きっとあのときのヒラリーさんの目配せの
合図はこれだったんだなと思い、
なんかあれは興味深かった。
ここでもヒラリーさんの演奏は端正で
ほどよい緊張感があった。
特に華美なステージというわけではなかったかれど
僕の目は指揮者ではなく絶えず
ヒラリーさんの動きを追っていたので
やはり彼女にそれだけ存在感があったのだと思う。
ヒラリーさんはアンコールの一曲目に
バッハの無伴奏パルティータから
プレリュードを演奏してくださった。
これは同じ音型を何度も繰り返すところが
かなり見事でモーツァルトのコンチェルトの時よりも
多くのブラボーの声が演奏に寄せられた。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのは
シューベルト交響曲第9番 ザ グレイト
第一楽章
序奏で出てくるホルンのテンポが速い。
子供の頃ブルーノワルターのレコードでこの曲を
聴いていた僕にとっては何か違った曲のようにも
思える。
ちょっと戸惑いつつも、それでもシューベルトのこの曲が
スピリチュアルであることに変わりないなと思う。
ただ序奏から主部に至る過程のなかで
ブルーノワルターが加速しているところで
ヤルヴィさんも加速していたりするので
そういうところは興味深かった。
目の前にあるものを自分の過去の記憶と
結びつけようとするのは歳をとった証拠かもしれないけれど、、、。
主部に入るとテンポが速い分
この音楽の持つダンスの要素に
今まで以上に気づかされることになる。
そういうところは演奏のお陰だなと思う。
音はオケが対向配置で少人数のわりには
厚みがあったと思う。
随所に音が跳ね上がるような場面があったけれど
そういうところはヤルヴィさんの指揮の気合いが
オーケストラによく伝わり
瞬間的に爆発的な音が出ていた。
第二楽章
速いテンポでマーチ風に演奏が進む。
こんなテンポできくのははじめてと思い
戸惑っていたけれど
中間部はそれなりに美しかったし
楽章が終わる頃には速いテンポが生む緊張感に
自分がひきこまれているのに気づいた。
第三楽章
もともと速い楽章だけれど
演奏のテンポも聴きなれたものより
速かった。
しかし、意外と平板だなと思った。
第四楽章
冒頭はブラスのでかい音がくるかと
心の準備をしたけれど
意外とソフトな音が来た。
それを聴いて第一楽章の終結部も
ソフトに演奏されたことを思い出した。
こういうところは意外と呼応しているのかもしれない。
速いテンポで音楽が流れていった。
本当に遅めのテンポのレコードを聴きなれた
僕にとって戸惑うことも多い演奏だったけれど
それによって気づくことのあり
この機会にこういう演奏が聴けてよかったと思う。
管弦楽団のコンサートを聴きに行った。
指揮はバーヴォ ヤルヴィさん
最初に演奏されたのが
モーツァルト ドンジョバンニ序曲K.527
イントロを聴いた時点の音のキーンという感じ
ちょっとドライな響きで
ピリオド奏法的な演奏であることがわかる。
オーケストラも指揮者の左手にバイオリンがたて3列で
小さい編成、指揮者の左手からファーストバイオリン
チェロ、ビオラ セカンドバイオリンの対向配置になっている。
乾いた響きのなかで音楽の悲劇的な要素が
色濃く出ていたと思う。
音楽がギアチェンジして速度がはやくなるところでは
一気に雰囲気が明るくなるかと思ったけれど
さにあらず、かなり控えめに演奏は展開していく。
普段、僕がドンジョバンニ序曲を聴くときは
ギアチェンジして音楽が明るくなってからは
それなりの高揚感を期待するので
ちょっとこういう演奏の展開はどうなんだろうとも
思ったけれど表現が控えめな分
この曲が内包する悲劇的な要素が現れているのかも知れないと思った。
まあ、フィニッシュに近くなるとそれでも
演奏はそれなりに盛り上がっていったけれど、、、。
次に演奏されたのが
ヒラリー ハーンさんバイオリンソロで
モーツァルト バイオリン協奏曲第5番 トルコ風 K.219
第一楽章
ハーンさんは拍子にあまりためを作らずに演奏されるので
端正でほどよい緊張感がある。
独奏が途切れたところでハーンさんは
オケのファーストバイオリンの奏者に目配せして
何かのサインを送っておられる。
目配せの時のしぐさから想像するときっと
拍子の取り方などのサインを送っておられるように思える。
そのためか、オーケストラとバイオリンソロの
演奏のテンションがよくあっていたと思う。
第二楽章
バイオリンのソロが入る前、オーケストラだけの演奏の部分は
音楽が持つ独特の哀愁が表現されていてよかった。
バイオリンの独奏はオーケストラに比べると端正だったけれど
不必要に華美にならず、内面的なものを表現されていたと思う。
第三楽章
トルコ風メヌエットの直前でおどろおどろしいフレーズの
伏線のようなところでヒラリーさんが
オケのファーストバイオリンの方に
目と脚の踏み込みで何か合図した。
「ここ、頼むわよ」と言いたげな感じで。
いざ音楽がトルコ風メヌエットに突入すると
本当にオーケストラがおどろおどろしいフレーズを
おどろおどろしく弾いていたので
きっとあのときのヒラリーさんの目配せの
合図はこれだったんだなと思い、
なんかあれは興味深かった。
ここでもヒラリーさんの演奏は端正で
ほどよい緊張感があった。
特に華美なステージというわけではなかったかれど
僕の目は指揮者ではなく絶えず
ヒラリーさんの動きを追っていたので
やはり彼女にそれだけ存在感があったのだと思う。
ヒラリーさんはアンコールの一曲目に
バッハの無伴奏パルティータから
プレリュードを演奏してくださった。
これは同じ音型を何度も繰り返すところが
かなり見事でモーツァルトのコンチェルトの時よりも
多くのブラボーの声が演奏に寄せられた。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのは
シューベルト交響曲第9番 ザ グレイト
第一楽章
序奏で出てくるホルンのテンポが速い。
子供の頃ブルーノワルターのレコードでこの曲を
聴いていた僕にとっては何か違った曲のようにも
思える。
ちょっと戸惑いつつも、それでもシューベルトのこの曲が
スピリチュアルであることに変わりないなと思う。
ただ序奏から主部に至る過程のなかで
ブルーノワルターが加速しているところで
ヤルヴィさんも加速していたりするので
そういうところは興味深かった。
目の前にあるものを自分の過去の記憶と
結びつけようとするのは歳をとった証拠かもしれないけれど、、、。
主部に入るとテンポが速い分
この音楽の持つダンスの要素に
今まで以上に気づかされることになる。
そういうところは演奏のお陰だなと思う。
音はオケが対向配置で少人数のわりには
厚みがあったと思う。
随所に音が跳ね上がるような場面があったけれど
そういうところはヤルヴィさんの指揮の気合いが
オーケストラによく伝わり
瞬間的に爆発的な音が出ていた。
第二楽章
速いテンポでマーチ風に演奏が進む。
こんなテンポできくのははじめてと思い
戸惑っていたけれど
中間部はそれなりに美しかったし
楽章が終わる頃には速いテンポが生む緊張感に
自分がひきこまれているのに気づいた。
第三楽章
もともと速い楽章だけれど
演奏のテンポも聴きなれたものより
速かった。
しかし、意外と平板だなと思った。
第四楽章
冒頭はブラスのでかい音がくるかと
心の準備をしたけれど
意外とソフトな音が来た。
それを聴いて第一楽章の終結部も
ソフトに演奏されたことを思い出した。
こういうところは意外と呼応しているのかもしれない。
速いテンポで音楽が流れていった。
本当に遅めのテンポのレコードを聴きなれた
僕にとって戸惑うことも多い演奏だったけれど
それによって気づくことのあり
この機会にこういう演奏が聴けてよかったと思う。