昨日はシンフォニーホールに大阪フィルハーモニー交響楽団
ベートーベン第九交響曲演奏会に行った。
大植英次さんの指揮。
ワーグナーのジークフリートの葬送行進曲に
続いて
ベートーベンの交響曲第9番ニ短調作品125が演奏された。
シンフォニーホールで大阪フィルを聴くのが
ずいぶん久しぶりのように思うし
大植英次さんも大フィルの音楽監督時代は
ほとんど聴いてなくて
今回が2回目くらいの気がする。
なんか聴いていると重厚だけれどどこかくぐもった音、
ときどき演奏にそこはかとなく漂うぎこちなさ、
管楽器のなんとも乾いた響き
など、朝比奈さんの時代から慣れ親しんだ
大フィルの負の特質なのか、正の特質なのか
よくわからない特質が
他の指揮者の時よりもよりいっそう感じられるように思える。
朝比奈さんがなくなってもう15年以上になるし
新しいオーケストラのメンバーのかたも
いらっしゃるのに昔なつかしい特質が
のこっているのは不思議だなと思う。
指揮者の大植英次さん
見ていると肩をいからせたり両手をからだの手前で組んだり
腕を目いっぱい伸ばしたり、時にはぐるっと回したり、
なかなかユーモラスな指揮姿だなと思う。
そんなことをあれこれ思ったり見たりしているうちに
演奏は第二楽章に
ファゴットの奏者の方がはすに構えるような感じで
一生懸命演奏しておられるのがとても目につく。
第二主題でホルンをかぶせたけれど
それほと音楽がダイナミックになったわけでもない。
そんなことを考えているうちに第二楽章が終わった。
第三楽章が始まる前に
合唱団が入場するだろうと思って
のんびり構えているといつのかにか
アダージオの演奏が始まっている。
そうか第四楽章の前で合唱団をいれるのかと思った。
通常は第三、第四楽章はそれほど合間をいれずに
演奏するけれど、今日はどうするのだろうと思った。
そうこうするうちに第四楽章が始まっている。
まだ合唱の人は誰もステージにいない。
第九交響曲のコンサートたぶん30回以上いっていると思うけれど
誰も合唱の人がいないステージで
第四楽章が始まったのはこれが初めて。
最初、これは何かのジョークで途中で演奏を止めて
大植さんから何かの説明があるかもと思った。
ところが演奏が止まる気配はない。
第一楽章から第三楽章のテーマを回想して
チェロが歓喜のテーマを奏で始める。
柔らかい奏で方でなかなかいい感じ。
そのタイミングでバリトンの方がステージに入ってきた。
こんなタイミングで人が入ってきたら聴き手の集中がそがれるがな
と思った。
それから歓喜のテーマが弦楽器さらにはオーケストラ全体に
受け継がれる過程のなかで独唱者、続いて
合唱団がステージに入ってきた。
オーケストラが高らかに歓喜の歌を奏でるタイミングで
合唱団がステージに入ってきたときには
なんやこんなくさい演出と思いつつも
目に涙がにじんでいた。
やっぱりベートーベンはすごいなと思う。
特にどこがどうということを思った演奏ではなかったけれど
この歳になって、初めてみる演出を見られたことは
よかったと思う。
コンサートがひけたあとおばちゃん二人が
「これを聴いたらやっぱり今年も
あと少しと思うな」と言っていた。
そうだなと思う。
ベートーベン第九交響曲演奏会に行った。
大植英次さんの指揮。
ワーグナーのジークフリートの葬送行進曲に
続いて
ベートーベンの交響曲第9番ニ短調作品125が演奏された。
シンフォニーホールで大阪フィルを聴くのが
ずいぶん久しぶりのように思うし
大植英次さんも大フィルの音楽監督時代は
ほとんど聴いてなくて
今回が2回目くらいの気がする。
なんか聴いていると重厚だけれどどこかくぐもった音、
ときどき演奏にそこはかとなく漂うぎこちなさ、
管楽器のなんとも乾いた響き
など、朝比奈さんの時代から慣れ親しんだ
大フィルの負の特質なのか、正の特質なのか
よくわからない特質が
他の指揮者の時よりもよりいっそう感じられるように思える。
朝比奈さんがなくなってもう15年以上になるし
新しいオーケストラのメンバーのかたも
いらっしゃるのに昔なつかしい特質が
のこっているのは不思議だなと思う。
指揮者の大植英次さん
見ていると肩をいからせたり両手をからだの手前で組んだり
腕を目いっぱい伸ばしたり、時にはぐるっと回したり、
なかなかユーモラスな指揮姿だなと思う。
そんなことをあれこれ思ったり見たりしているうちに
演奏は第二楽章に
ファゴットの奏者の方がはすに構えるような感じで
一生懸命演奏しておられるのがとても目につく。
第二主題でホルンをかぶせたけれど
それほと音楽がダイナミックになったわけでもない。
そんなことを考えているうちに第二楽章が終わった。
第三楽章が始まる前に
合唱団が入場するだろうと思って
のんびり構えているといつのかにか
アダージオの演奏が始まっている。
そうか第四楽章の前で合唱団をいれるのかと思った。
通常は第三、第四楽章はそれほど合間をいれずに
演奏するけれど、今日はどうするのだろうと思った。
そうこうするうちに第四楽章が始まっている。
まだ合唱の人は誰もステージにいない。
第九交響曲のコンサートたぶん30回以上いっていると思うけれど
誰も合唱の人がいないステージで
第四楽章が始まったのはこれが初めて。
最初、これは何かのジョークで途中で演奏を止めて
大植さんから何かの説明があるかもと思った。
ところが演奏が止まる気配はない。
第一楽章から第三楽章のテーマを回想して
チェロが歓喜のテーマを奏で始める。
柔らかい奏で方でなかなかいい感じ。
そのタイミングでバリトンの方がステージに入ってきた。
こんなタイミングで人が入ってきたら聴き手の集中がそがれるがな
と思った。
それから歓喜のテーマが弦楽器さらにはオーケストラ全体に
受け継がれる過程のなかで独唱者、続いて
合唱団がステージに入ってきた。
オーケストラが高らかに歓喜の歌を奏でるタイミングで
合唱団がステージに入ってきたときには
なんやこんなくさい演出と思いつつも
目に涙がにじんでいた。
やっぱりベートーベンはすごいなと思う。
特にどこがどうということを思った演奏ではなかったけれど
この歳になって、初めてみる演出を見られたことは
よかったと思う。
コンサートがひけたあとおばちゃん二人が
「これを聴いたらやっぱり今年も
あと少しと思うな」と言っていた。
そうだなと思う。