ケンのブログ

日々の雑感や日記

かえるも鳴き始めた

2019年06月13日 | 日記
田植えはゴールデンウイーク明けくらいから
始まるところが多いと思う。
僕が住んでいる地域は例年それより遅くて
五月下旬から六月上旬になることが多い。
今年はいつだろうと思って気をつけてはいたのだけれど
六月に入って駅のホームでかえるの鳴き声をきいて
気づいたら駅近くの水田はもう田植えが終わっていた。
だから、今年も五月下旬から六月上旬に
田植えがあったことは間違いないけれど
日付がいつなのかはわからなくなってしまった。
以前は駅に行くときに水田の前の道を通っていたのだけれど
新しいコンビニができてから
水田の一本西の道を通る習慣になったので
田植えの時期のチェックが漏れるということにもなっている。
ちょっとした習慣の違いで
見える風景も違ってくるものだなと思う。
今日その水田を見るとそこも無事に田植えが
終わっている。
ことしもそんな時期になったなと思う。
地元の議員のかたの広報を見ていたら
水田の景観をそこなうようなマンションの開発が
夏には決まろうとしているという言葉が書いてあった。
夏っていったいいつなんだろうと思った。
議員のかたの広報には夫と二人の子供と
四人暮らしと書いてあった。
なので、夏と言えば夏休みの時期という
イメージで書いておられるのだろうと思った。
僕も夏と言えばずっと学校が夏休みの時期という
イメージでとらえてきた。
最近は二十四節気などの暦をまめにチェックするようになった。
そうすると八月の上旬にはもう立秋で
暦の上では夏休みの時期は
もう夏も末頃もしくはもう秋ということになってしまう。
何に季節の基準を置くかで言葉の感覚もずいぶん違ってくると感じる。
以前、あるかたが「次回お会いするのは
五月の上旬、初夏の頃に」とおっしゃって
そういえば五月上旬、暦の上では確かに
初夏だなと妙に関心してしまったことがある。
知識というのはあると逆に困ることもあるけれど
知識があるのはいいことかなと思うこともある。
できればあるに越したことはないのかも知れない。
論語に
学びて思わざればすなわちくらし
思いて学ばざればすなわちあやうし
という言葉がある
これをちょっとあるウェブサイトで調べたら
こんな訳が出ていた
「学ぶだけで思考しなければ知識を生かすことができず、
思考するばかりで
知識を学ばなければ賢明な判断ができない」という意味だと。
要するに知識を得ることと
実際に自分の心で感じたり考えたりすることの
バランスが大切ということなのだろう。
本当に古い言葉というのは
そういう事柄をむだなくきれいに表現しているものだな
と思う。
だからそういう言葉はいつまでも
残っているのだろうけど。

駅でゴミ箱を見ると
サミット開催のため6月24日から29日まで
ゴミ箱は使えませんと書いてあった。
以前、東京に何かのおりにいったときに
やはり防犯のために駅のゴミ箱が
すべてガムテープなどでふさがれていて
使えないことがあった。
僕のようにちょっとコンビニでおやつをかって
駅のゴミ箱にほかす
という習慣のあるものには
ゴミ箱が使えないというのはけっこう不便だ。
もうずいぶん昔
レーガン大統領が中曽根首相に会いに来たとき
その数日前に僕は日比谷の図書館に行った。
日比谷の図書館のそばには日本の中央官庁
がいっぱいある。
本を読むあいまの休憩に
ちょっとその中央官庁街を僕は散歩していた。
ここが日本の心臓部かと思って。
するとヘルメットをかぶって
ながい警棒を持った警官が
「ちょっと失礼します」と僕に声をかけてきた。
「なんですか」と僕は言った。
「あなた、同じところをこれで3回通ってますね。
今レーガン大統領の来日前の警戒をしているんです。
すみませんがちょっと荷物見せていただけますか」といって
鞄のチャックを開けさせられた。
別に中には筆箱とかほんとかそんなものしか
入っていないので疑いは晴れた。
ぼーっと考え事をしながら歩いていたので
同じ場所を3回通ったとは気づいていなかった。
今度の大阪サミットでは警官に
声をかけられないように品行方正にしたいとは思う。
職務質問をされるというのは
10年以上たってしまえばいい思い出になるけれど
質問をされた瞬間は
やっぱりあやしまれたのかなあと思ってけっこうへこむので、、、。