ケンのブログ

日々の雑感や日記

ギャンブル依存保険適用

2019年12月12日 | 日記
今日の新聞を見るとギャンブル依存症の治療に保険を適用する方針を厚生労働省が固めた。と出ている。カジノの合法的開業を可能にする法律が昨年成立しているので、その合法化とギャンブル依存治療への保険の適用はセットなのだと思ってしまう。

なんだかカジノを合法化して依存症患者を生み出す仕組みを作っておいてそれに保険も適用って大丈夫なんだろうかと思ってしまう。無駄の多い仕組みのようにも思えるけれど、、、。

世の中が不景気になってきて立法府や行政府の決めることが合理的な世の中の仕組みを作ると言うよりもまずお金を使わせるというか回転させるということを優先しているのではないかと思ってしまう。思い過ごしだといいけれど。

人口の高齢化が進んで75歳以上の方の医療費の窓口負担が2割に負担増になる方向で考えられているというようなことも最近の新聞に載っていた。医療費がかさんでいるところにまた依存症治療でさらに医療費が増大するようで心配になってくる。厚労省の方でそういう試算はした上で方針は決めていると思うけれど、、、。こういう場合の試算って意外とあていならないこともあるし。

朝のラジオで漫才の大助 花子さんの花子さんが血液の病気で仕事を休むために記者会見したと言っていた。

話を聞いていると化学療法とか放射線療法とかかなりヘビーな治療に取り組んだ来られたらしい。僕の場合おかげさまで強い副作用を伴うような治療が必要な病気はこの年まで経験したことがない。そういうのはありがたいことなんだなと思う。

ラジオでは生きることの大切さと、最初花子さんは抗がん剤をこばんでいたけれどやはり体の不調が大きいので抗がん剤治療を始めてその結果体調はかなり回復したと言っていた。

花子さんは一時は命ということに対して腹をくくったけれど大助さんにお前を見送るのはいややと言われて生きなあかんと思った。というようなことをパーソナリティの浜村さんとアシスタントの女性が語っていた。よりよい治療と生きることの大切さが語られていたように思う。

僕はそんな話をきいて医療が進歩したから治療法や生きることの話になるけれど、鎌倉時代の仏教のように念仏を唱えれば極楽往生できると教えられていた時代というのもそれはそれで現代よりも幸せだった側面もあるのでないかと素朴に考えていた。

現代では念仏を唱えれば極楽往生できると信じている人の割合は鎌倉時代よりも低いのだと思う。実際に極楽往生できるかどうかは死んでみなければわからないし、、、。

でも、もし命に関わるような病気になったとき、念仏でも他の祈りでもいいけれど、祈ることを知っているのと知らないのとでは気持ちのありかたがずいぶん変わってくるのでないかと思った。