梅宮辰夫さんが亡くなって翌日くらいのラジオ放送だったと思う。浜村淳さんがラジオで梅宮さんは娘の結婚に反対というときもインタビューを受けてそれをはっきりと話しておられたというようなことを言っていた。要するに浜村さんがそういう捉え方をしておられるんだなと思った。
浜村さんは梅宮さんが何度も手術を受けたけれどもそれでも80歳すぎまで生きたのはよく頑張ったほうというようなことも言っておられた。それも言われてみればなるほどと思う。浜村さんのおっしゃることは僕にとってなるほどど思うことが多く聞いていてこころが落ち着く。
今日のラジオ放送で夫婦間の家庭内暴力(夫が妻に対して暴力をふるう)に関する話題になった時、浜村さんは、要するに暴力振るうって女々しい男ですな。もう今の日本には男らしさという考えはなくなってしまったのでしょうかという趣旨のことをおっしゃった。それを聴いた時、僕は子供の頃好きだった童謡、桃太郎の歌詞が心に思い浮かんだ。
桃から生まれた桃太郎 気は優しくて力持ち
鬼ヶ島をば討たんとて 勇んで国をでかけたり
いつの時代に書かれた詩かちょっと検索したら
桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけたきびだんご
の方が検索の上位に出てきたのでちょっとわからなかったけれど見事な七五調の詩で文語で書かれているので多分明治、大正期のものだと思う。それはこんな七五調の歌詞を歌っていたら日本語としてもリズムも身につくだろうし気は優しくて力持ちというひとつのひながたもちゃんと歌われている。
旧制教育は素晴らしい側面がいくつもあったのだろうなと思ってしまう。歌いながら言語感覚や人格形成的なことやそして物語のストーリーまで学べてしまう。効率のよい方法であるように思う。
しかし、今どき 気は優しくて力持ちなんてそんな人探してもいないようにも思う。男らしくあってほしいと言っても男女平等の時代にそんなこと言われてもとなってしまう可能性も高いと思うし、普段は威張っていて都合のいいときだけ「あんた、男らしくないよ」と言ってくる女性も少なからず世の中にいることも事実のように思う。
あまり平等平等ということにこだわりすぎるとみんなの力を伸ばして平等にするのではなく出る杭を叩いて平等ということになってしまうこともありがちだから注意が必要な気もする。
杭を叩いた結果の平等だと社会全体としての生産性はきっと落ちてしまうように思える。
そんなことをほざいていても平等とは何かという問いには答えられそうもないけど、、、。
僕は恥ずかしながら、梅宮さんのように映画スターとして成功して、男前だった方が亡くなると、きっと人生満足だったのではないかと思ってしまったりする。そういう考え方はどこかいやしいと思いつつも、、、。
しかし、人のことを羨んでいても、何にもならないので、自分は自分で一日一日を大切にしていきたいと思う。