ケンのブログ

日々の雑感や日記

マリスヤンソンスさん亡くなる

2019年12月01日 | 音楽
ニュースを知るのが遅い僕だけれど今日はたまたま指揮者のマリスヤンソンスさんが亡くなられたことを知った。

僕、存命の指揮者ではベルナルド ハイティンクさんとマリス ヤンソンスさんがここ10年位の間、最も好きと認識していた。悲しいなと思う。

きびきびと細やかな棒さばき、厳しさと優しさを兼ね備えたステージでの表情が目に浮かぶ。晩年は優しさの方が際立っていたように思う。演奏が終わったあとのヤンソンスさんのやさしくにこやかな笑顔が忘れられない。

アグレッシブなのだけれど同時にスッキリと音楽を組み建てる指揮者と僕は認識していて聴いていて気持ちよかった。僕はショスタコーヴィチの交響曲第5番が好きでCDは十枚以上持っているのだけれど、その中でレナードバーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニック(東京文化会館での録音ではなく1950年代の録音)のものとヤンソンスさん指揮のオスロフィルハーモニーのものが自分にとってもっとも好きな二枚だった。

両方ともアグレッシブな演奏だけれどバーンスタインのものはやや重い、これに対してヤンソンスさんのものはフレージングのさばきかたにキレがあるのでアグレッシブだけれど必要以上に重くならないという印象を持っていた。そしてこのフレージングのさばき方にキレがあるというのはヤンソンスさんの指揮一般の特色のひとつでもあったように思う。

あとこのヤンソンスさんのショスタコーヴィチ5番のCDは第四楽章の最後の部分の金管楽器のハーモニーの響かせ方がとても分厚くて聴いているとこころにぐっときた。この曲の最後の部分だけCDで何度も繰り返して聴いたことが僕の記憶に強く残っている。

確か2012年にバイエルン放送交響楽団と来日されたとき京都コンサートホールでベートーヴェンの交響曲第5番を聴く機会があった。第一楽章冒頭のタタタターンの音。生演奏であんなにしっかりと音が決まったのを聴いたのは初めてだった。聴いていて胸のすく思いだった。バイエルン放送交響楽団の実力とヤンソンスさんの巧みな棒さばきのたまものと思う。

第三楽章のホルンはよくあれだけ奏者の息が続くなと思うほど長いブレスで演奏され本当に印象深かった。これまで聴いたベートーヴェン5番の生演奏の中であの演奏が一番記憶に残っている。

ショスタコーヴィチは5番のCDは前述したように持っているけれど他の曲のCDは持っていない。4番とか7番、10番、11番なども聴いてみたいなと思う。録音は残っていると思うので。

他の分野の方とちがって好きな音楽家が亡くなるとその人の表情とか音楽とか本当に生きておられたときと同じように心に浮かぶなと思う。

「私達は見えるものにではなく見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり見えないものは永遠に続くのである」というパウロの言葉をこういう機会にしみじみと思い出す。
※新約聖書コリント人への第二の手紙より引用

ご冥福をお祈りします。


マリスヤンソンス指揮レニングラードフィル
ショスタコーヴィチ交響曲第5番第4楽章