ケンのブログ

日々の雑感や日記

ど忘れの年頃

2019年12月08日 | 日記
自宅の近所のm神宮のお茶会に行った。神宮の参道のもみじの紅葉は見頃すぎというところだけれどまだ7割くらいの葉は木に残っていた。

お参りを済ませて待合へ。さっそく茶席に呼ばれたので会記を見るひまもないやん。早すぎと思いつつもそちらに向かった。

入り口でみんなかかりの方に札を渡していたけれどその札はみんな赤色。僕だけが青だった。「あれ、青はまだですか」と僕が言うと札を回収するかかりの方は「そうですね、申し訳ありません、一席お待ちください」と言った。

そうですかとまた待合に戻ってきて会記をみた。松とか雪とかそういう冬にちなんだお道具が出ている。床のお軸は紅葉と鳥だった。鳥がうぐいすに見えたのでもう春を先取りかとおもったらそうではなかった。お茶席の軸は無事是貴人と出ていた。本当に無事であることが一番と思う。

待合に来ていた茶道具やさんはランタクロースの茶碗とかひいらぎの茶碗とかけっこうかわいい道具を持ってこられていた。

座ってまっていると年配の男性がフラフラっと僕の隣に来て「死んだら楽になるかなあ」と言った。「それは死んでみなければわかりません」と僕は言った。「死んだら地獄に落ちるかもしれへんから死ぬなんて言ったらあかんわな」と年配の方は言った。「いいえ、おじさん地獄へ行くようなお顔ではありません」と僕は言った。本当にどうみても地獄に行きそうな顔の方ではなかった。

「しかし、こういう場所は女性が多いですなあ」と年配の方は言った。「それはそうです。もうお茶に限らす文化的な場所はどこも8割以上は女性です。女性の社会進出と言いますけど60歳過ぎたら進出してるのは女性ばかりです。男は引きこもってます」と僕は言った。「女性のほうがよく外へ出ますわな」と年配の方は言った。

「ここはなんかお経の声がしますなあ」と年配の方は言った。「いいえ、ここは神宮ですからお経ではありません。祝詞です」と僕は言った。「まあ、死ぬと言ってもピンピンころりと行ければいいなあ」と年配の方は言った。「それは気がついたら死んどったというのが一番いいですわね」と僕は言った。

そのおじさんはキュービクルなフォームのネズミかうさぎの置物を出して「これ、うさぎですわ。」と言った。「すると72歳ですか」と僕は言った。「いいえ81歳です」とその方は言った。「ええ?そうなんですか。とても80すぎには見えないです」と僕は言った。「これ、うさぎですわ」とその方は自分の手にした置物をもって言った。

「ねずみちゃうんですか。来年はねずみですよ」と僕は言った。「いいえ。わたしうさぎです」とその方は言った。「するとこの置物は自分の干支に合わせてお求めになったんですか」と僕は言った。「そうです」とその方は茶道具やさんの奥さんの方を見ながら言った。「それは失礼しました。ではこの置物はねずみじゃないです。うさぎですわ。僕、間違えました」と僕は言った。「ついでに年齢の計算も間違えてました。ねずみで計算してました」と付け加えた。

「いいえ。これかわいいでっしゃろ」とその方は言った。「そうですね。仕入れは奥さんがしてはるか旦那さんがしてはるか知りませんけど、あの茶道具やさんはかわいい品揃えですわ」と僕は言った。

その茶道具やさんは周りの女性を相手に来年の宮中歌はじめのお題の話をしておられた。「今年のお題はね」と言って茶道具やさんの奥さんは言葉につまり「あれ、今年なんやったやろう。出てけえへんわ」と言った。

僕が思い出して助太刀しようかと思ったけれど、僕も去年の今頃茶道具屋の奥さんに今年のお題を聞いた記憶はあるけれどそれは何だったか出てこなかった。僕と茶道具屋の奥さんは年が同じ。お互いにど忘れの激しい年になったなあと思った。家に帰ってきて今年のお題は光だったと思いだした。



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