ケンのブログ

日々の雑感や日記

もうすぐ大学入試センター試験

2019年01月11日 | 日記
昨日寒かった分、今日は暖かいと感じる。
どうやらそう感じるのは僕だけではないようで
町を歩いていると昨日よりも軽くマフラーを巻いたり
している感じの人が多いように思う。
大学入試センター試験まであと一週間あまりだなとふと思う。

恵比寿祭り

2019年01月10日 | 日記
朝のラジオで今日は寒くなると言っていた。
ネットの天気予報を見るとなるほど
最低気温は氷点下になっている。
僕がすんでいる地域で氷点下というのは
かなり寒いと思う。
町に出るとなるほど今日はちょっと寒いなと思う。
歩く人を見ていてもマフラーを厚めに巻いていたり
厚手のコートをしっかりと着込んでいる人が多い。
なるほど寒いのだなと思う。
駅の近くのスーパーマーケットに入ったら
出入り口の近くの棚にチョコレートがたくさん
積んであった。
なんの特売だろうと思っていたら
通りかかったおじさんが「バレンタインのチョコレートやなあ」と言った。
そう言うことか。それで間違いないわと思った。
そういえばお店に並ぶチョコレートを見ていると
昔のようにおやつというイメージではなく
鎮静効果のある食べ物という売り方の商品が
多くなったなと思う。
カカオのパーセンテージが表示してあったり、、、。

隣の町の神社は本殿にスサノオノミコトとノミノスクネノミコト
がお祭りしてある。
境内にはその他にもいろんな神様がお祭りしてあって
そのうちのひとつが恵比寿さまだ。
二三年前に恵比寿をお祭りするお堂が新しくなった。
今日は十日の恵比寿ということで神社の縁日のひとつになっている。
この神社には普段から時おり参拝しているので
どうしようかと思ったけれど
やはり神社に行くことにした。
駅から神社にいく通りに進むと
平日だけれど一見していつもより人出が多いことがわかる。
鳥居をくぐって手水のところに進むと
いつもはほとんどだれもいない手水に何人かの人が
並んでいた。
僕の前に並んでいたおじさんは
ひしゃくの使い方の作法をお宮の掲示を見て
確認しながら手と口を清めておられた。
こういうのを見ると
お清めをしてからお参りをするのはいいことだなと思う。
それと同時に急に怪我などをしたときに
お清めをしていたのでは間に合わないから
そういうときはすぐに祈るように
という主旨の金光さんの言葉も思い出す。
本当に金光さんの例えばなしは
日本の習慣がベースになっているから
とても感覚的にわかりやすいなと思う。

恵比寿さんのお堂の傍らで
福娘の方がお授けをしておられた。
どうしようかなと思ったけれど
恵比寿のお堂に参ったあとで
福娘の方にお授けをお願いした。
お授けが終わると福娘のかたは
「よくお参りでした」とおっしゃった。
まあ、そう言っていただけるとありがたいなと思う。


初薬師

2019年01月08日 | 日記
一月八日。初薬師。
一月八日という日付を書いて初薬師の日だなと思う。
僕の住まいの近くに薬師如来をお祭りする神社や寺がないので
あまりぴんと来ないのだけれど
由来のある寺社ではきっと何かの催しがあるのではないかと思う。
ちょっと初薬師ということでネットを開いてみると
薬師如来は無明の病を治す医薬の仏というようなことが書いてある。
そういうことかなと思う。
無明と書いて思い出したけれど
般若心経に
無無明 亦無無明尽 
という一節がある。
これはちょっと調べるとあるサイトに
無明もなければ無明がつきることもないという
訳というか書き下し文が書いてあって
簡単な訳として無知もないし
無知がなくなることもないと書いてある。
ちょっと言い換えると無知はないけれど
つきることもないといっているわけで
いったいなんやねんという話になってしまう。
あるものがなくかつ尽きることもないというのは
あり得ないことのようにも思える。
般若心経は一切は空と言っていて
そのあとはそれの説明という構成に
なっているから無知もなくそれが尽きることもない
という展開になるのだろうけれど
そんなふうに割りきれたらいいのになあとしみじみと思う。
実際にそこまで割りきることはできなくても
過去にそういうことを悟った人がいるということを
思うだけですでに救いになっている面はあるのだと思う。

朝、ラジオで今日はエルビスプレスリーの誕生日と言っていた。
調べるとプレスリーは1935年1月8日生まれになっている。
1977年になくなっているのでなんだか
伝説の人という気がするけれど
年齢的に僕の親の世代なのだなと思う。
1935年生まれのかたが今年84才になるわけだから、、、。
ちょっとユーチューブで1970年頃の
ライブの音源でプレスリーが歌うマイウェイを聴いてみたけれど
柔らかい声、独特の伸びと力強さのある歌唱は
やはりさすがだなと思う。

時間がゆっくりと

2019年01月07日 | 日記
岐阜の実家から昨日、大阪に戻ってきた。
電車に乗るとまだ半分お正月が残っているようにも思える。
乗っている人の雰囲気がどことなく違う。
きっと一週間もたたないうちにお正月気分が抜けるのかなとも思う。
しかし、一方で一月十日は恵比寿さんの縁日。
一月十五日はお宮で古いお札などを燃やす日。
そんなことを考えると一月半ばまでは多少は
お正月の雰囲気が残るかなとも思う。
いつも岐阜から大阪に戻るときJR岐阜駅から
在来線で大阪の僕の自宅最寄り駅まで
乗ってくるのだけれど昨日はふと思うところあって
岐阜から名古屋に出た。
JR名古屋駅の付近を探索した。
ホテルのラウンジ喫茶を覗いてみるとなんだか
この町では大阪や東京に比べて
時間がゆっくり動いているように思える。
若いときにこの町の中心地の飲食店で
まったりしていたことがあるけれど
そのときの感覚をちょっと思いだす。
名古屋から東京や大阪に出ている人で
名古屋に帰ると僕と同じようなことを
感じる方は少なからずいるかもしれないと思う。
大阪出身のある作家の方がその小説で
次のような趣旨のことを書いていた。
大阪は日本で第二の都市かも知れない。
しかし、日本は第一の都市、第二の都市
というわけではなく
東京とそれ以外に二分される。

その通りだなと僕も思う。
新幹線で東京に行くとき列車が東京都内に入ると
なにか別世界に自分が吸い込まれていくような
独特の心の高鳴りを覚える。
電車で大阪に近づいてもそれは感じない。
例えばそういうことだ。
そういう列車が東京に近づくときの
心の高揚感をたしか谷崎潤一郎も何かの
小説に書いていたような気がする。
新幹線ができる前の時代でもそういうことはきっとあったのだろうと思う。
身内のものと東京と大阪の情報を
付き合わせてみてもやはり東京と大阪は全然違うなと思う。

ある作家が書いておられるように
日本は東京とそれ以外だと思う。
東京以外にも規模の大きな町がいくつかあって
それらの町にそれぞれの特色があるということなのだな
と感じる。

朝、ラジオを聴いていたら
娘の卒業式までになんとかせな
というペンネームの方からお便りが来ていた。
そのペンネームを読んだDJは
なんやこれ、やせなあかん言うことかいな と言っていた。
大阪に戻ってくるとラジオのノリも大阪だなと思う。
きっとなんとかせなあかんという気持ちがあるうちが花なのだと思う。