ケンのブログ

日々の雑感や日記

平穏な心に

2019年09月19日 | 日記
朝ラジオを聞いていたら筋美女子の話題になった。
「最近はやせるよりもいっそのこと鍛えてしまえという
女性も多いんですよ。筋美女子といってね。
私も週三回トレーニングしてますよ。腕なんかも綺麗でしょ。
お腹も見せたいんだけどね。それはちょっと」と女性アナウンサーは言った。
それを聞いて僕はああ、やっぱり鍛えていて
それなりに自信があったら見せたいというのはきっと
ある部分本音なんだろうなと思った。
ちょっとした言葉のトーンがなんだかそんな感じだった。
そういうモチベーションがいきる励みになれば
それはきっといいことなのだと思う。

昨日の新聞に明石市が離婚相手が養育費を払わない場合
その払わない人の氏名を市のホームページなどで
公表する条例を制定する準備を進めているという記事が出ていた。
これは僕の想像なのだけれど
市の職員が養育費を払うように説得してもなかなか
応じない人がいるからもうそういう人は
氏名を公表してしまえということになったのではないだろうか。
あくまで想像だけれど。
ただ、これってちょっと見方を変えれば
債務を履行しないひとはインターネットで
広く氏名を知らしめてこらしめてやれ
ということではないのだろうか。
インターネットは誰でも様々な目的で
参照するから田舎の町だったら
あの人別れた嫁さんに債務履行してへんで
ということになったら八分になって
生きていけないかも知れない。
そういう意味ではなんか前近代的な
刑罰であるような気がする。
江戸時代のさらし者の刑のようで
なんか陰湿な臭いがする。
僕の考えすぎかもしれないけれど
そうしてさらしものになった人が
社会の地下に潜っていったら
それはそれでまた新たな問題を引き起こしてしまう。
なんだかいたちごっこであるようにも見える。
八王源先生は
やたらめった人間を罪人にしてしまうのはよくない
と常々言っておられた。
なんかそのことを思い出す。

最近はある大手の放送局も
しかるべき債務を履行しない人には
電話、訪問、そして裁判という流れを作ろうとしているようだけれど
それって有り体に言えば
借金取りの手法のような気がする。
そのようなやり方ではたして
国民の信頼を得られるのだろうか
はななだ疑問であると思う。

マツコ デラックスさんがある政党の党首に
ぼこぼこにやられているようだけれど
きっとマツコさん都会で一人暮らしして
放送局の集金人に何度も部屋をノックされた
経験がないから党首の気持ちをさかなでするようなことを
ポロっとテレビで言ってしまうのだと思う。

なるべくみんなが穏やかな心で過ごせる世の中がいいなと思う。

九月十八日

2019年09月18日 | 日記
日本相撲協会の井筒親方が亡くなって
スポーツ新聞に井筒親方の弟
元関脇寺尾のしころやま親方へのインタビューの
一問一答が載った。
そのなかで僕の気に留まった部分を
コピペしてみた。

井筒親方はどういう存在でしたか

やっぱり兄弟なんだよね、基本的には。ま、俺ら※3人の自慢と言ったら、おやじとおふくろの子どもで生まれてきたこと。それが一番の自慢だと思うけど、井筒は一番最初におふくろとおやじの元に戻ったんかな。そう思うとね、気持ちも少し楽になる。

これからお兄さんの分も背負っていく

錣山親方 いや、背負うとか、ねえ。井筒は横綱育てた。背負うとかそんなんじゃない。やっぱり俺ら相撲一家で生まれて、相撲で飯食わしてもらって、相撲で多分終わっていくと思う。それだけです。だから、相撲協会に恩返し、井筒ができなかった分も少しでも協会にプラスになるように、汗かくしかないんじゃないですか。

※3人というのは井筒親方三兄弟のことです

しころやま親方が大相撲のテレビ中継で解説をしたとき
アナウンサーが土俵にあがっている力士の怪我について
言及したことがある。
するとしころやま親方は
「土俵に上がったらいたい、かゆいを言ったらいけません。
いたいかゆいのない人はいません。
いたいかゆいを言うのは相手に失礼です」という趣旨の発言をされた。
それを聞いたとき僕は
もし僕が相撲取りでこの人の弟子だったら
厳しい親方と感じるだろうな
毎日ピリピリだろうなと思った。
しかし、他方で勝負の世界ではとてもまっとうな考え方
いさぎよい考え方だなとも思った。

井筒親方にちなんだインタビューでは
上記の引用のように両親の元に生まれたのが自慢。
兄も先に両親の元に帰ったとおもうと気が楽
という趣旨のことをのべておられる。
本当に人間の死生観としてこんなに全うで
健全な感じ方はないのではないだろうかと
このインタビューの記事を読んだとき思った。

相撲一家に生まれて相撲で飯食わせてもらって
たぶん相撲で終わっていく
だから相撲に恩返しというのも
本当にいさぎよい考え方だなと思った。

伝統ある家に生まれた人は願わくば
こういう考え方をもっていただきたいものだとしみじみと思った。

今日、娘が虐待で死んでしまった女性の裁判の
判決が新聞に載っていた。
娘は死んでしまって元に戻らない。
そしてこの女性も死ぬときは来る。
その時この女性はどう思うのだろうとふと僕は思った。

死ぬときは願わくば念仏を唱えて
親の元へ帰っていくと思いたいものだなあとしみじみと思った。

蛇足だけれど横綱千代の富士が現役時代のしころやま親方
つまり寺尾を土俵に激しくたたきつけるように吊り落とした瞬間を
たまたま僕の母がテレビで見ていて
あれ、千代の富士あんなにひどい叩きつけ方
せんでもいいのに。といっていたことを思い出す。



ちょっとしたつぶやき

2019年09月17日 | 日記
今日、ちょっと岐阜のあるお店をネットで見ていて
電話で問い合わせたくなった。
それで電話を掛けて質問をした。
すると
「僕、この店に入ったばかりで
わかりませんのでちょっと聞いてきます。
お待ちしていただいていいですか」と電話に出た人が言った。
それで僕もちゃんと待っていると
その人もちゃんと聞いてきて
質問の答えが返ってくるからすごいと思う。
普通だったらそういうとき
ベテランの人が電話に出てくる場合が多いけれど
わざわざ聞いてきてその人がそのまま答えるというのも
岐阜らしいと言えば岐阜らしいように思える。
大阪のお店に電話して
店に入ったばかりなのでわかりませんと言う人って
まずいないと思う。
しかし岐阜だとそれは十分にあり得ることのように思える。
もちろん大阪にもいろんな人がいて
岐阜にもいろんな人がいる。
大阪はこう岐阜はこうと安易に
一般化できものではない。
しかし、一方で岐阜には岐阜なりのひとがら
大阪には大阪なりのひとがらと言うものが
あるもんだなあとしみじみと思う。

アスリートを見ていろいろ思うこと

2019年09月17日 | 日記
ネットのニュースフィードを見たら
井筒親方逝去と出ていた。
えっと驚いてしまった。
すい臓ガンでなくなった可能性が
ニュースでは示唆されている。
そう思って最近の井筒親方の姿を
Googleの画像検索で見ると確かに
目に精気がなくあれだけ現役時代
はりのあった肌もなんか病的にたるんでいるように見える。
本当に病気って怖いなとしみじみと思った。
やはり、人生いろいろあっても
まず健康でいられることが一番のおかげなのだと思う。
つい忘れていたけれど
九月場所を休場した横綱鶴竜は井筒親方の弟子である。
鶴竜は心の優しい人だからどんな気持ちでいるのだろうと
思った。
同じ相撲部屋で生活を共にしていれば
親方が悪いことはいやでもわかるはず。
やはり鶴竜も人にも言えずつらいことがあったような気がする。
九月場所を鶴竜が休場すると知ったとき
北の富士さんは鶴竜のことをぼろかすに言った
「四連勝していたときには膝のヒの字も出なかった。
それが三連敗して急に膝が悪いから休むのでは
負けて優勝の可能性がなくなったから急に休んだと
とられても仕方がない」という趣旨の発言を北の富士さんはされた。
基本的に無理してでるより休んだ方が
長い目で見たときによいというのが北の富士さんの考え方のはず。
それに北の富士さんがこんな風に横綱のことを
ぼろかすに言うのは通常ないこと。
なんか不自然だと思った。
隠れた意図があるのかと。
例えば心ないファンが言いそうな悪口を
早めに自分の口から言ってしまって横綱を
楽にしてあげようとか、、、。
北の富士さんの性格ならありうることだと思った。
しかし、井筒親方がこんなに悪いとは知らなかった。
北の富士さんは知っていたのだろうか。
知っていた可能性もあるような気がする。
本人はとぼけるかも知れないけれど。

昨日マラソングランドチャンピオンシップで優勝した
前田穂南選手のゴールの瞬間の写真が新聞に
載っていた。
とてもかわいい感じの方だけれど
腕が異様に細いようも見える。
もちろん鍛えておられるから上腕に柔らかい筋肉が
ついていてきれいだけれど細いと言えば
いかにも細いと思う。
軽いので走るときの運動エネルギーが少なくてすむのは
物理的に考えれば明らかだ。
しかし、細い分体力が持つのかと素人なりに思ってしまう。
もうマラソンという競技も
どこまで体格を絞ってそれに耐えられるかということも込みの
勝負なのだなと思ってしまう。
そういう点ではボクシングの計量にも通じるものがあるのかもしれない。
過酷な練習に加えて体力と体格のバランスが
絶妙のところでとれないと優勝できない競技ではないのだろうかと
思ってしまった。
本当にそういうところをクリアして勝つのはすごいことと
思ってしまった。
二位の鈴木選手は前田さんよりはまだ腕が太いように見えるけれど
それでも新聞には154センチ38キロと出ていた。
本当にすごい世界なんだなと思う。
もうストイックに自分を高めていくことに
集中できる人でないととてもできることではないような気がする。
先のことを言っても仕方がないけれど
競技をやめたら一般的な体重に戻してほしいなと
しみじみと思う。

ここ一週間くらいの間に
イチロー選手や橋本聖子さんの写真を新聞で見て
もちろん二人ともその道でしっかり励んでこられたかたなので
いい顔をしておられるのだけれど
意外と年齢のわりには老けて見えるなということも
感じた。
やはり現役のころに体力をかなり使っておられるのだろうか
と素人の頭で考えてしまう。
もちろん少々老けて見えても
魅力的な方なので全然構わないのだけれど、、、。




バッキーさんの逝去 王さんのコメント

2019年09月16日 | 日記
新聞の社会欄を見ていたら元阪神投手の
バッキーさんが亡くなったと出ていた。
記事を見たとき真っ先に王貞治さんのことを思い出した。
プロ野球では王さんとバッキーさんをめぐる
有名なシーンがある。

昭和43年9月18日甲子園球場、阪神 巨人戦。
ダブルヘッダー第二試合四回
阪神バッキー投手は前の打席で死球を与えていた
王に2球続けてあわやからだに当たるのではないかという
厳しいコースをつく。
たまりかねた王がマウンドへ歩み寄ったのをきっかけに
阪神 巨人の選手が入り乱れ大乱闘に発展。
この乱闘でバッキー投手は巨人荒川コーチとの揉み合いで
右手親指を骨折。
バッキー投手と交代した阪神の権藤正利投手は
なんと王の後頭部に死球を与えてしまう。
王はその場で昏倒して病院へ。
またも阪神 巨人選手の大乱闘となる。
大乱闘のあとで球場が殺気立つ中で
続く長嶋は権藤投手からホームラン。

この長嶋が球場が殺気立つ中で
冷静に闘志を燃やして見事ホームランというのも
巨人のファン、とりわか長嶋のファンにとっては
こたえられない場面となった。

と当時のことを書いたスポーツ新聞の記事をベースに
まとめると上記のような話となる。
本当に荒れた試合と言えば荒れた試合だけれど
今の野球にはあまり見られない
野武士のようなシーンだなとは思う。
乱闘が起きた試合なので決してよいことではないのだけれど、、、。
でも、あの頃の野球は今とはまた違い
こらえられないドラマがあったなとこんなことをきっかけに
しみじみと思い出してしまう。

新聞にはバッキーさんの逝去にちなんで
王貞治さんのこんな談話が載っている。
「阪神の強力なエースの一人でした。
コントロールもよく変化球も多彩で打ちにくい投手でした。
慎んでご冥福を祈ります」
いかにも王さんらしい無駄のないコメントだと思う。
こういう場面で飾り気のないシンプルでかつ
思いやりのあるコメントを出す。
これは一種の武士道の精神であると思う。
そういう気持ちって私たち日本人が
忘れかけているけれど忘れてはならない気持ちなのだと思う。