ケンのブログ

日々の雑感や日記

諸行無常

2020年07月12日 | 日記
たまたまネットに載っていたみのもんたさんの写真を見てなんか急に老けた感じがするなと思った。

それでほとんど同じ年の人でやはり同時代に似たような分野で活躍をした久米宏さんの最近の写真をネットで見るとこれもなんという偶然かなんか老けたなという気がする。

老けたから一線を退くのか一線を退くから老けたのかわからないけれど、人間が老ける、あるいは老けたように見えるようになるスピードは一様ではないのだなとしみじみと思う。

がくっと老ける人はなんか急にがくっと老けるような気がする。

どうすればがくっと老けるのを防ぐことができるのか、そんな方法があればいいのだけれどこればかりは努力だけでは、、、、。

結局は諸行無常ということなのだとおもう。


愛の心

2020年07月11日 | 日記
僕が定期購読している全国紙に熊本で孤立したお年寄りの女性がたぶん自衛隊の隊員にヘリコプターに乗せられる瞬間の写真が載っている。

二人の自衛隊員が女性の両脇から女性を抱きかかえてヘリコプターに乗せる瞬間の写真だ。

二人の自衛官の身体の構え、そして眼差しは確実に安全に女性をヘリコプターに乗せる。その一点に集中したものであるように見える。

女性は二人の自衛官に両脇から抱きかかえられてなんとも言えない一瞬の安堵に似た表情をしておられるように見える。

せいさんという方の本に「人の心には絶えず様々な愛の心が揺れ動き生じてまいります。それは人間、人というものが創られた動機そのものが、愛というものであったからなのです」ということが書かれているけれど、新聞に載っている二人の自衛官とその自衛官に抱きかかえられるおばあさんの姿を見ると確かにそうだなと思い目頭が熱くなる。


何に気をつけたらいいのかわかりにくい時代

2020年07月10日 | 日記
東京でコロナの一日の感染者が200人を超えたとかオーストラリアのメルボルンで再びロックダウンが始まったというニュースを見ているとなんか不気味だなと思う。

特に東京のニュースは同じ国内のニュースなのでより一層不気味だ。関西では緊急事態宣言が解除されてから人出が戻ってきたように思うけれど、また、この東京での感染拡大のニュースで飲食店などガラ空きのところが多くなったように感じる。

はやり不気味だと感じているのは僕だけではないのだと思う。

そんな世の中でいろいろな対立などもよりいっそう表面化しているように思う。

僕が若い頃は国際対立の代表例といえばそれは米ソの対立だった。そしてその対立の中心は核兵器のバランスをいかにするかということであったと思う。

当時は新聞の国際欄を賑わすニュースは米ソの核軍縮の問題が中心であったように思う。

それが今は対立の中心といえば米ソではなく米中になってしまった。そして少なくとも表面に出てくる問題は核兵器ではなくITによって情報をお互いに盗まれてはならないといういわばITの情報戦が中心になっているように思う。

私達もなにげにITを使い情報を提供しているけれど、そういう情報がどうなっているのかということは本当はコロナ以上に怖いことなのかもしれない。

どこに意識があるかで何が怖いかというのもさまざまに変化してきてしまう。

まあ、怖いと言っていても結局はなるようにしかならないのだろうけれど。

気をつけなければならないと思っても一体何に気をつけたらいいのかわからない。それが今の時代の特徴なのかもしれない。

それでも悲観的にならずに生きていきたいと思う。

昔ながらのやり方

2020年07月09日 | 日記
新聞の国際欄を見ているとコロナによるロックダウン(日本で言う外出の自粛のようなもの)を解除したものの、再びロックダウンということになり、その前にと人々が買い物に殺到している国。

ロックダウンに反対して国の情勢が不安定になっている国。

コロナに対して大したことないと強気の発言をしていた大統領がコロナになってしまった国。本当にいろいろあるようだ。

そんなのを見ているとこのコロナ、少なくとも今年いっぱいは続くのではないか、オリンピックも一年延期になったけれど、はたして一年延期しても実施ができるのだろうかという気持ちになってきた。

日本はもとより世界を見てみるととてもコロナが収まりつつあるとは思えないから、、、。

この暑い季節に中華料理屋のカウンターがひとりひとりのスペースごとにビニールやプラスチックで仕切りがしてあるのを見ると科学的なことは僕にはなにもわからないけれど、ごく直感的な感覚として、この暑い時期にそんなことして気の流れもわるくなるし逆に不衛生なのではないかと思えてくる。


お店のカウンターにビニールの仕切りがしてあると店員の方の声が聞き取りにくい。
「すみません。聞き取れませんでした」と正直に言うと店員の方は声が聞き取れなかったのか、自分の説明の仕方が悪いから話が通じなかったのか判断できずに本当に困ったような、そして場合によっては怯えたような顔をなさる方もいらっしゃる。

コロナの影響は想像以上に大きいし長いなと思う。

コロナによる自粛がとりあえず解除になってまた、催しを始めようという葉書もおかげさまでいただくようになったけれど、その葉書には

平熱を超える発熱がある方

息苦しさ、強いだるさのある方

軽度であっても咳、喉の痛みのある方

二週間以内に海外などに訪問歴のある方

は来場をご遠慮くださいと書いてある。

これは特定の葉書のみに書いてあるのではなく公共の施設を利用する営みを案内する葉書の多くに共通して書かれているからきっとそのようなガイドラインがどこかから出ているのだと思う。

発熱と渡航歴はある程度客観的に判断できるからいいけれど
軽度であっても咳の出る方は来席をご遠慮くださいと書いてあると真面目に考えると行く気がうせてしまう。

特に僕は最近風邪でもないのにちょっと声がかすれていると勘違いされていきなり熱を測られて一般的には平熱と言われる熱の範囲内であったのに帰るように勧奨された記憶がかなり強いので
軽い咳でも来席をご遠慮くださいと書かれていると、どうしようと思ってしまう。

そして咳をしたらあかんと思うとクラシックのコンサートで名曲の演奏中に咳をしたらあかんと思うと余計に意識してしてくなってしまうのと同じような原理で咳がしたくなってしまったりする。

まあ、こういう時は参加、不参加はその時の気分で決めるしかないのだと思う。

ただ、咳がでない工夫ってどんなことだろうと考えてみると、結局昔ながらの飴玉を舐めるとか、マスクを少し湿らせて口を覆って喉に湿気を与えるとか、お茶でうがいするとか、案外昔からいいと言われている方法が一番たよりになるような気がする。

下手にメントール系ののど飴をなめすぎると逆にそのメントールの刺激でのどが痛くなってしまったりすることもある。

やはり昔ながらの方法が頼りになるってことが今でもすくなからずあるなと思う

京都の夏

2020年07月08日 | 日記
今年は京都の祇園祭の山鉾巡行は中止になる見込みのようでなんとなく寂しい感じがする。

毎年この時期になると京都の四条通でも山鉾を見かけるような気がするのだけれど今年はそれを見かけない、。

ただ、通りのスピーカーからコンチキチンのおはやしの音は流れていてやはりいいもんだなあと思う。

暑い時期になんとなく涼しさを感じさせる音色であるような気がする。

それでも毎年山鉾巡行は人通りが多くて暑いという思い出しかないけれど。

今日自宅最寄り駅前広場を見たら七夕の笹に短冊を結わえた飾り付けはもう片付けられていた。
日本の風習だと思うけれど片付けるのは本当に日がすぎるとあっという間だなと思う。

もう少し余韻があってもいいような気もするのだけれど、、、。