ケンのブログ

日々の雑感や日記

七夕 星に願いを

2020年07月06日 | 音楽
今日の読売新聞の英字紙JapanNewsの見出しにこんなものがある。

Travelers wish upon a star for end to pandemic.

日本語に直訳すると
「旅行者たちはコロナの収束のために星に願いをかけた」ということになると思う。

ここではpandemic=コロナだからコロナと訳した。

ある航空会社が羽田空港のチェックインカウンターを短冊にいろいろ願い事を書いた笹で飾ったというニュースに上記の見出しがついている。

まあ、たぶんそれを狙って見出しをつけているのだと思うけれどwish upon a starで思い出すのは、
ディズニー映画ピノキオで用いられた音楽
When you wish upon a star 「星に願いを」だ。

星に願いをかけるのは洋の東西を問わず共通ということなのだろうか。

When wish upon a starという歌のタイトルでユーチューブで検索をかけると
ルイ アームストロングの歌がかなり検索の上位に出てくる。

今は歌も技術の時代で、カラオケバトルなどの映像を見ていると高い音も伸びのある声で音程を正確に歌う人が多いけれどアームストロングの歌唱は低い声でだみ声で、それでもなぜか心にぐっとくるものがある。

別に高い声で伸びのある声で歌わなくでも歌の心は人にちゃんと伝わるんだよということを教えられるようだ。

ルイ アームストロングの音楽について作家の村上春樹さんはポートレイトインジャズという書物の中で次のように書いている。

‘’ルイが毎日ラッパを吹くようになってから、みんなはなぜかとても楽しい気持ちで目覚め、とても安らかな気持ちで眠りにつけるようになったのだ。どうしてだろう。それはルイのふくラッパの音色があまりにも自然であまりにもなめらかだったからだ。

僕はこの逸話が大好きである。‘’ と。

ルイがちょっとしたいたずらがもとで警察に捕まって入れられたホームでの逸話である。

ルイアームストロングの歌声やラッパの音色がなめらかかどうかはともかくとして、それは決して高い技巧を前面に出すものではないけれど、なぜか聴いていて心にぐっとくるものがある。
音楽は決して技術的に高い仕上がりを目指すばかりが能ではないと教えられるような気がする。

そんなわけで今日は七夕にちなんでルイ アームストロングの「星に願いを」のユーチューブ動画を引用することにする。





思い出すこと

2020年07月04日 | 日記
ネットのニュースに読売ジャイアンツの原監督が通算1034勝上げて長島監督に並んだ。そしてこれは読売ジャイアンツの単独球団の監督勝利数としては川上監督の1066勝に次ぐものであると出ている。

それを見てちょっと思い出したことがある。

昭和56年が57年ころまだ原監督が選手として駆け出しの頃に八王源先生とジャイアンツの春のキャンプの模様をテレビで見ていたことがある。

原選手はキャンプでトスバッティングをしていた。それをみて八王源先生は
「すごいねえ。一球も空振りがないもんねえ」と言った。

僕はそのときプロなんだからトスバッティングくらい空振りがなくて当たり前だろうと思ったけれどなぜかそのときの八王源先生の言葉は印象に残った。

きっと八王源先生は単に空振りをしないという以上のオーラを感じたから思わず「すごいねえ」と言ったのだと思う。

もうひとつ思い出すことがある。

原監督の引退セレモニーのニュースの映像をたまたまテレビのスポーツニュースで見た僕の母が「これはやってきた男の顔やねえ」ととっさに言った。

野球のことなど何も知らない母がそういうということはきっとそうなのだろうと僕は思った。

そして母がとっさに言った一言があとあとになって大きな意味があるということを時々僕は経験してきた。

例えば千代の富士が寺尾という力士を思いっきり吊り落としたとき、それをたまたまテレビの中継で目撃した母はとっさに「あんな、ひどいことせんでもいいのに」と言った。

あとあとになってそれは例えば元小結の板井氏などがいろいろ問題を指摘した相撲だった。母はもちろんそんなこと知らずに言っている。

尾崎豊の卒業というが流行っていた頃、母は
「あの歌って、校舎の窓ガラス壊すとか無茶苦茶の歌やけどなんかいいねえ」と言っていた。

その歌はいまだに結構歌われたり聴かれたりしているまあ名曲の一つだ。

まあ思い出せばそういうことがいくつかあるなあと思う。

単純なやりとり

2020年07月03日 | 日記
大阪でも最もディープな地域の一つと言われているところにあるドラッグストアーにおばちゃんが入ってきた。

「ここに並べてある薬、どっちも同じような感じやけどこっちのほうが値段が高い言うことはこっちのほうが効くんかなあ」とおばちゃんは言った。

店員の方はあっさりと「はい、そうです」と言った。

「ほんならこっちにするわ」とおばちゃんはその高い方を買ってお店を出ていった。

僕は文字を読むということが割と習慣になっているからドラッグストアでも類似の商品が置いてある時は薬の成分を見ることが多い。

大概の場合は類似の市販薬は価格が違っていても成分はほとんど同じということが多いから、見比べて成分が同じ、あるいはほぼ同じというときは価格のやすい方を買うことが僕は多い。まあ、処方薬で言えばジェネリックを選ぶ場合が多いということだろうか。

おばちゃんはその点、僕とは真逆の買い方をしたということになる。

店員さんも違うなとおもう。高いほうが効きますかと問われて、あっさりとそうですと答える店員さんは最近少なくなってきた。

お客様の体質にもよりますし、などど明確な答えを避けて、お客さんの自己責任で薬を買うように誘導する店員の方が多くなってきているように思う。

しかし、おばちゃんの薬の買い方はある意味とても正しいとも言える。

薬には効くと思って飲むと効くという実験結果もあるらしい。

いわゆるプラセボ効果というもので有効成分の全く入っていない錠剤をこれは効きますと言って飲ませるとそれを信じて飲んだ人は症状が治るというものだ。

それをプラセボ効果という。

高いから効くと単純に信じて買っていったおばちゃんはきっと薬が効いたことと思う。

思えば昭和の時代は薬局に行ってお腹が痛いですというと薬剤師の方が、それならこれですと言って出してくれた薬を単純に買うという場合が多かったようにおもう。

僕も学生の頃、友達の家で吐き気をもよおして、友達が単純に薬局で勧められた薬を買ってきてくれてそれを飲んだら見事に治ったという経験がある。

そのさまを見た友達も「やっぱ薬って効くもんやなあ」と感心していた。

ディープな地域でのおばちゃんと店員の方のやり取りはプラセボ効果ということを考慮に入れれば極めてまっとうな言葉のやりとりであるように思う。

最近、こういう素朴な場面に遭遇することが少なくなってきたなと思う。

薬局で薬の成分を見てネットで同じ成分の薬をもっと安く買うという人もいるくらいだから、、、。

たまにこういう素朴なやりとりを聞いていると心がホッとする面があるなと思う。





仲良くできますように

2020年07月02日 | 日記
七夕も近づいて僕の自宅の最寄駅前の広場には願い事を書いた短冊をつけた笹が飾り付けてあった。

近所の幼稚園の園児が書いた短冊が飾り付けてあるようだ。
そのうちの一枚を読むと
「お友達と仲良くできますように」と書いてあった。

子供の願い事だけれど、子供に限らず大人でも会社に勤めていれば職場の人と仲良くできますように、サークルに入っていればサークルの人と仲良くできますように。先生から何かを学んでいれば先生と仲良くできますように。夫婦仲良くできますように。
家族が仲良くできますように。外国の国々とも仲良くできますように。

仲良くできるというのは子供に限らず人間普遍の願い事であると思う。

一人だけで生きていける人は誰もいないから。

僕も自分に関係のある様々な人との関係が良好でありますようにといつも祈っている。

どうか仲良くできますように。

コロナの出来事

2020年07月01日 | 日記
スーパーマーケットの花売り場のところを見ると笹が売っていた。
七夕はところによって7月のところと8月のところがあるけれど七夕を意識して笹を売っているのは間違いないと思う。

ああ、もう七夕かと今さらのように気づく。今年はコロナということでそちらの方に意識が行ってしまって季節感が鈍くなっているような気がする。

今日からレシ袋が有料になった。6月のある日、7月からレシ袋が有料になりますという張り紙が調剤薬局のカウンターの周りにいっぱい貼ってあった。

薬剤師の方が出ていらして真面目な顔をして「レジ袋はどうしましょう」とおっしゃったので
「レジ袋はなしで。今からなしの練習をしておきます」と言ったら薬剤師の方が思わず「ははは」とお笑いになった。別に笑わせるつもりではなく真面目に言ったのに、、、。

その日から毎日6月中は本当に練習のつもりでレジ袋は原則断り続けた。

あるコンビニでレジ袋はいりませんと言ってもレジのかかりの人が袋を出そうとなさるので
「レジ袋はいりません」と重ねていうと。「すみません。習慣でつい手が無意識に動きます」とおっしゃった。習慣とはまさにそういうものであると思う。

これはあまりいい話ではないので書こうかどうかちょっと迷ったのだけれどやはりちょっと書くことにする。

何日か前、駅でおりて改札を出たところから電話をした上でカラオケ喫茶に言った。

お店に行くとママが僕を席に案内して「さっき電話で声がかすれてましたね」とおっしゃった。

確かにそうだと思ったので僕は「はい」と返事した。

僕は地声が大きいので駅の改札付近などで携帯電話で小さい声で話をすると声がかすれることが多い。別に風邪で声がかすれているわけではない。地声が大きいから小さい声で話すと発声の仕方が喉だけになって声がかすれる場合があるというのが正確な言い方であると思う。

小さい声で話すと必ず声がかすれるというわけでもない。

でもそんなことまでいちいち説明していても話がくどくなるし第一僕のことをあまり知らない人にそんな話、信用してもらえるかもどうかもわからない。

あるおじさんが歌をご機嫌さんで歌っていてそんな話する雰囲気でもなかったし。

それで僕は電話で声がかすれてましたねと言われて、ただ「はい」と返事した。

そうしたらママはピストルのおもちゃのような形をした体温計を出してきて
ちょっと体温はかりますねと言って僕の体温を測った。

多分赤外線か何かを測定して体温を測る仕組みになっているらしくて
体温は秒速で測定できた。

ママはそこにデジタル表示された数値を僕に見せてちょっと熱がありますねと言った。
そこに表示された体温を見ると36.7度と表示されていた。

36.7度。熱がありますねと言われる割には極めて平熱ではないかと僕は思った。

多分ママの普段の体温がもっと低いのかもしれない。

ママは「今、歩いてきはったから、ちょっと高いかもしれません。
荷物置いて落ち着いたらまたもう一度測ります」とおっしゃった。

荷物と言っても僕はタブレットや新聞、ノートやペンケースなど目方の重いものばかりリュックサックの中に入れて持ち歩いているから荷物を所定の場所に置くだけでちょっと運動になる。

女性がちょっとポーチやハンドバッグを置くというのとは運動量も違うように思う。

僕が荷物を所定の場所に置いたのを見るとママはまた僕の体温を秒速で測った。

今度は36.9度と表示された。

「あ さっきより上がってますわ。これは今日はお客さんお帰りになったほうがいいです」とおっしゃった。

まあ、36.9とぎりぎりではあるものの36度台なら平熱ではないかと思ったけれど
そんなことお店で言っていても仕方ないと思って
「はい、わかりました。では帰ります」と言ってその場でリュックを背負ってお店を出た。

他の所用をすませて家に帰ってきてもどうも腑に落ちないので体温ということで調べてみると体温計で有名なテルモという会社のサイトに
日本人の平均体温は36.89度と出ている。そして体温37度はむしろ平熱だから心配しないでと書いてある。

この記述に即して言うと僕の測定値、一度目は36.7度 二度目は36.9度、というのは極めて平均に近い言わば正常な値ということになる。

もうこうなると、声のかすれと、体温を理由に家に帰るように勧奨されたのは、何らかの悪意があるかもしれない、あるいはそうせざるを得ない何らかの別の理由があると疑われても仕方のないレベルであるように思う。

もちろん、北海道の昼のカラオケで感染者が出たとかニュースになっていてママも神経質になっているとは思うけれど、、、。

大阪府の要請でしばらく休業を余儀なくされてもいたし、神経質にマイクはちゃんと消毒してカバーもつけているかと言ってくるお客さんも多いことだし。

ここの店には過去に二度ほど行ったけれど、やはりカラオケ喫茶は気を使う面がある。というのも僕は地声が大きいので本気で声を出すと他のお客さんがびっくりしてしまうことがあるのでどこまで声をセーブして歌うかというのが一つのテーマになってしまう。

声をセーブしても普通の年配の方よりは大きい声になってしまう。

そして声をセーブしすぎると逆に声がかすれて何のために歌いに行ったのかわからなくなってしまう。

キーを上げるとどうしても声が大きくなるのでキーもなるべく低めにしたほうがベターということになる。

あと、歌う歌の種類が、他のお客さんと全然かぶらない。

一般にカラオケ喫茶は演歌とムード歌謡。韓流系の歌などが圧倒的に多い。
それもあるいは僕の偏見もしれないけれど、有名な演歌というよりは年配の方でも歌いやすいようにいわばカラオケ用に作曲された平易な音域の歌が多いように思う。(演歌のことはあまりしらないので偏見かもしれないけれど、、、)

そして、演歌、ムード歌謡、韓流系の歌を僕、ほとんど知らない。

大概歌う歌といえばJポップス系のバラードとか逆にハイテンポの歌ということになってしまう。

そんなこともあって僕はママにとってあまり好ましい客ではなかったのかもしれないと思う。

でも、たとえ僕がこのましい客でなかったとしてもコロナ対策にかこつけて僕に店から帰るように勧奨したのはちょっとずるいようにも思う。

過去に、あなたの声が大き過ぎて他の生徒さんから苦情が出るので申し訳ありませんが私の歌声サロンではあなたを受け入れることができませんと、公民館の歌声サロンの先生から電話がかかってきたことがあった。その時も悲しかったけれど、先生が正直に理由を説明してくれたので今でもその先生のことを僕はいい先生だと思っている。

そして「私はオペラ歌手とも一緒にやったことがあるから、あなたの声が大きくても気にしないから大丈夫よ。そのかわり後ろで大きい声を出されると圧迫感を感じる女性がいるから、あなたはいつも必ず一番前の列で歌うこと。だから、一番前に座れるように早めに来て椅子並べを手伝ってくれますか」と言ってくれた先生に今お世話になっている。

ちょっとはなしが横道にそれてしまったけれど、これは僕のこと云々というよりも一般論として、医学的知識のない人が安易に他人の体温を測定してどうこういうというのも他人に失礼な話であるし、誤解や差別を生む原因にもなりかねず、やはり怖いことなのだと思うにいたった。

体温を測るのならば、平熱の範囲は何度くらいか。医学的に発熱と認めるのに妥当なラインの体温は何度であるか。発熱の基準も結局はその人の平熱がどのくらいであるかに関連してくるので、絶対的な温度を見ただけで発熱かどうかを云々するのもこわい。

伝染病の予防として体温を測る場合にどの温度を基準にするべきかがどのソースから出ているか。(ここでいうソースとは例えば厚生労働省とか、各地区の保健所とかそういうものを想定している)。

体温は一日の間でも0.5度程度の変動がある場合があるということも考慮に入れているか。あと測定する機械の誤差の範囲というものを考慮に入れているかということ。

その程度のことは考慮してある程度誰にでもわかるような基準を明示して判断しなければ、体温による人の差別になってしまうことがありうると感じた。

こういう点、大きい会社は上の方の人がそういうことを考慮してマニュアルを作るから、現場で働く人はそのマニュアル通りにやればいいというメリットはある。

個人の店だと結局は個人の資質ということになってしまう。
コロナ対策のつもりが行き過ぎてしまって逆に店の評判を落とすということにもなりかねない。

本当に個人商店にとってはそういう意味でも辛い時代になったなと思う。

体温で、店を出るように勧奨されただけでもなんだかちょっと差別待遇を受けたような気になるのに、実際にコロナになって家に石でも投げられたらどんな気分になるか想像にあまりあることと思う。

※ その日の晩になってやっぱり腑に落ちなくて36度代は調べた結果一般的には平熱と言われていますという主旨のことをママに伝えて関係の修復を図りたいと思ってママに電話した。ママはその電話で36.7度 36.9度のことをそれぞれ7度 9度とおっしゃっていた。9度言ったらかなり熱ありますよね。7度でもちょっと危ないと言われてるじゃないですかという具合に。

僕は、ああ、ママ、老眼である上に慣れない体温計使ったから36.9度と39度を取り違えておられる可能性もあると思った。それで僕が39度ではありませんよ36.9度ですと言ったら、36.9度ならもうちょっとで37度ですよね。そこまでいくと危ないじゃないですかとおっしゃったので、これはもうあかんと思って。「わかりました。もうそれでは話になりませんので失礼します」と電話を切った。

まあ、僕が電話したのは夜のお酒が入る時間帯でお店は騒がしく、ママも僕の話にまともに耳を傾けることができる雰囲気ではなかったとは思うけれど、、、。