ケンのブログ

日々の雑感や日記

最も速く走った日

2022年03月19日 | 日記
元 近鉄バッファローズの主砲、ブライアントさんが北海道の独立リーグに属するチームの監督になると書いてある。

なつかしいな。

1990年代前半 よく藤井寺球場に野球を見に行っていた。

あの頃は、青空の下でよく野球を見たなと思う。

近鉄阿部野橋の駅から藤井寺に向かう電車に乗っていると、見覚えのある大きな体格の外国人が電車に乗っていた。

よく見ると ブライアント選手だった。

ええ? ブライアント選手 近鉄電車にのって藤井寺球場に行くんだ と思って感動してしまった。

あのころは いろんなことがあったな。

藤井寺の外野席で試合を見ていたら、終盤になってみんなが急に騒ぎ出した。

何の騒ぎかと思って近くの人に聞くと、オリックスの佐藤投手がこの回抑えたらノーヒットノーランとのことだった。

そうか、生で試合を見ているとアナウンサーの実況がないからそういうことに意外と気づかないことが多い。

佐藤投手のノーヒットノーランの時 僕 藤井寺球場にいました。

藤井寺球場には ウエスタンリーグの試合もよく見に行った。

ウエスタンの中日 近鉄戦。

当時は山崎武司選手が中日の二軍でよくウエスタンの試合に出ていた。

外野を守る山崎選手が打球を追って走るたびに 僕の後ろに座っていたおじさんが「おそいなあ」とつぶやいていた。

二軍の試合は 観客が少ないし 鳴り物の応援もないから おじさんのつぶやきが耳に聞こえてしまう。そして、二軍の試合を見に来るおじさんは、めちゃくちゃ野球に詳しい人が多いから、的確なことをつぶやく場合が多い。

まあ、確かに遅かったけれど。

↓それほど足が速いわけではなかった山崎武司選手です。見た目もそれほど足は速くなさそう。


先日、山崎選手が審判の判定に腹を立て暴言を吐いて退場になった動画を見ていた。

審判に退場を宣告されると そこで また山崎選手は、なんだと? という感じで審判のほうにダッシュした。

その動画のコメント欄には「山崎が現役時代に最も速く走った日」と書いてあった。

確かに ベースランニングの時のスピードよりも退場に腹を立て審判のほうにダッシュするスピードのほうが速くは見えた。



1812年 てぶくろ

2022年03月17日 | 日記
新聞のコラムにロシアのウクライナ侵攻で、チャイコフスキーの大序曲1812年の演奏を中止する動きがあることに触れられている。

現状、やむを得ないと思うけれど、ちゃんと聴けば、祖国愛の音楽であって、軍事侵攻を礼賛する音楽でないことはすぐにわかると思う。

演奏が中止されていると聞くと、逆に聴きたくなってしまって、CDの棚を見たらカラヤン ベルリンフィルのものがあったので聴いたけれど、どうもしっくりこない。

僕は、この曲は、小学校高学年のころバーンスタイン指揮、ニューヨークフィルハーモニックの演奏で初めて聴いた。

当時、僕はLPでバーンスタイン指揮 ニューヨークフィルハーモニックのチャイコフスキーの交響曲5番の演奏をよく聴いていて、このLPはA面にチャイコフスキー交響曲第5番の一楽章から三楽章まで、そして、B面にチャイコフスキー交響曲第5番の第四楽章と 大序曲1812年が収められていた。

生まれて初めて聴いた演奏が、素晴らしい演奏だと、その演奏の響きが心の中でスタンダードになってしまうことって誰にでもあると思う。

バーンスタインのチャイコフスキーは本当に素晴らしかった。

交響曲第5番の第一楽章のリズムは 大地を一歩一歩踏みしめるように進んでいったし、大序曲1812年はとても情感豊かだった。

それで、カラヤンの1812年を聴くのをやめて、ネットで「バーンスタイン 大序曲 1812年」と検索すると、僕が当時聴いていたLPの音源と思われる演奏が出てきた。

聴くと、いやあ、懐かしい響き、素晴らしいなと思ってしまう。

それで、記憶の連鎖で思い出したのだけれど、幼稚園の頃から小学校低学年のころにかけて、ウクライナ民話「てぶくろ」の絵本をよく母に読んでもらっていた。

おじいさんが、てぶくろを落として、そのてぶくろの中にいろんな動物が集まってきて、最後はぎゅうぎゅう詰めになってしまうというおはなしだ。

最後にやってくるのは おおきなクマ 

クマはみんなに あなたは 誰ですか と問われて

「うぉー うぉー のっそりぐまだ」と答える。

この「うぉー うぉー のっそりぐまだ」というセリフが僕のお気に入りで、何度もここを自分でも読んでいた。

懐かしいなと思う。

↓うぉー うぉー のっそりぐまだ。わしも入れてくれ。


そして、当時もっともよく聴いていた音楽が 叔父が買っただけでちっとも聴かなかったチャイコフスキーの「白鳥の湖組曲」のレコード。

ロシアの音楽も ウクライナの民話も、暖かいものだと子供のころは心で感じていたなと思う。

もちろん いまもそうだけれど。




生きることを第一に

2022年03月15日 | 日記
芹沢光治良さんの「人間の運命」という小説を読んでいて、太平洋戦争に出征する人に主人公の次郎は「生きて帰ってくるように」と声をかける場面に何度か遭遇した。

お国のために死にます と教育されている時代に、戦争に行く人に「生きて帰ってくるように」と声掛けすることは勇気のいることだと思うし、信念と気概のいることだと思う。

次郎が声をかけた相手が「今度の戦争は生きて帰れるほど生易しいものではない」と言葉を返してきても、「だからと言って戦争に行った人が全員死ぬわけではない。だから生きて帰るんだ」と言い返すほど次郎の生きるということに対するこだわりは徹底したもので、小説の中の話とは言えすごいことだなと思ってしまう。

ここ数日1990年代前半のことを思い出すことが多かった。

僕は、過去に対する記憶力が割といいほうで、そのとき自分が興味を持った出来事はかなり覚えている。

90年代。もう30年も前のことだけれど、あの時、何をしてたとかけっこう思い出すこと多いなあと思っていた。

そして、時の向きを逆にしたら、つまり30年後に向けたら、その時、僕は生きていたとすれば90歳。

もう、その年になったら自動車の運転もしていない可能性が高いだろう。

いずれにしても、これからの30年は老化が加速していく30年。

そんな風に考えたら、急にわびしくなってきてしまった。

それで、晩に、ちょっと「人間の運命」をひもといてみたら、主人公次郎の、生きるということにこだわった言葉が目に飛び込んできた。

やはり、生きると考えるのはいいことだと思った。

年老いたり、死んだりすることを考えてわびしくなる気持ちを、楽にしてくれる、そういう効果があると思った。

戦争があっても生きる という考え方を読んだとき、今の戦争とも、意識がかぶり、そういえば、ショスタコーヴィチも、戦争と人権弾圧の時代に、ソ連を言う国で、生きたからこそ、あれだけ、時代の証言者ともいうべき力強く、また、ある時は怒りにみちた、音楽を残すことができた。と思った。

ウクライナから、ポーランドに逃れる人が多いと新聞で読んだときは、ショパンを思い出して、3年ぶりくらいにルービンシュタインのショパンベストアルバムを聴いてしまった。

戦争を逃れる人に思いをはせられるかと思ったけれど、ルービンシュタインのショパンは優雅で美しく、逆に戦争のことなど忘れてしまいそうで、あまりそういう効果はなかった。



のぞみ 30年

2022年03月14日 | 日記
新聞に、新幹線の「のぞみ」が3月14日にデビュー30年を迎えると書いてある。

超高速運転とともに、5分間隔での運転が可能であることが「のぞみ」の成果であると新聞に書いてある。

大阪では長年、新幹線の線路のすぐそばのマンションに住んでいた。

7階のマンションのベランダから新幹線を見下ろす形でながめるのが好きだったし習慣になっていた。

阪急と新幹線が並走して走る区間だったので、阪急と「のぞみ」が同時にやってくるときは、圧巻だった。

阪急の電車の音がまだ、カタコト 聴こえているのに 「のぞみ」のすがたはもう、かなたに消え去っているという感じだった。

思えば、コロナが始まって間もないころ、「のぞみ」の音があまり聞こえなくなって、寂しかった。

要するに、コロナで新幹線の乗客が減ったから、「のぞみ」の運行本数が減ったのだ。

今はどうなっているのだろう。

あまり、新幹線とは縁のない生活を送っているからそのあたりのことはわからない。
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大相撲関係の動画を見ていたら、朝青龍の話題になって、白鵬親方が「私たちは、朝青龍関を追いかける立場でしたから」と隣のもと嘉風の中村親方に話を振ったら中村親方は「いやあ、俺は追いかけてなんかいなかったから」と応じていた。

スポーツ選手のこういう会話はからっとしていて面白いなと思う。

面白ついでにもう一つ書いてしまうと、江川卓さんの動画を見ていたら、「法政大学の大先輩、山本浩二さんが、明らかに内角を待つ構えで立っているのに、なかなか、外ばかりというのは投げづらいんです。でも、そんなとき内角に球が来るとちゃんと打つからすごいでしょ?」という意味内容のことを語っておられた。

まあ、確かにね、プロでなければ江川の球なんて狙っていても打てないわけだから、、、。


大相撲三月場所 近鉄特急

2022年03月12日 | 日記歌入り
随分、暖かくなったなとは思う。

新聞に、近鉄特急で行く大相撲3月場所。という広告が出ている。

大阪にいるころ、結構3月場所は見に行ったなと思う。

3月場所が終わるまでは寒さがぶり返すから油断してはいけないと思っていた。

事実、府立体育館へ行って、たばこを吸うためにベランダに出ると結構寒く感じることが多かった。

府立体育館のベランダでちょっとした思い出がある。

ある、おじさんが、ベランダで煙草を吸いながら僕に話しかけてきた。

「私は、今日、知り合いと一緒に 奈良県から大真鶴を応援に来たんですよ。十両からなかなか幕内に行けずに伸び悩んでる男ですけど、応援してやってください。」と。

大真鶴は奈良県出身の関取とそのときおじさんに教えてもらった。

それで、今、ネットで大真鶴と検索してみると、確かに2004年から2007年かけて大阪場所では十両に番付がある。

ということは、あのおじさんが僕に話しかけてきたのは、2006年くらいかと思う。

もう、それから16年経過したことになる。

信じられない。

いかにも 奈良から 郷土力士を応援に来たという感じの素朴なおじさんで、本当にたばこを吸いながら5分ほど言葉を交わしただけだけれど、妙に心に残っている。

ちなみに 大真鶴と同じ場所に十両に上がった白鵬は、一気に横綱にまで上り詰めたけれど、大真鶴は幕内一場所だけでまた十両に陥落したとネットにでていた。

おじさんが、僕にも大真鶴を応援するように言ってこられた気持ちがわかるような気がする。

奈良県からなら、大阪府立体育館には来やすいし。

本当に、いろんなことが心に浮かぶなと思う。

難波の駅を降りて高速の下をくぐって、交番の前を通って、と考えていると、飛んでいきたくなってしまう。

それで、近鉄特急で行く大相撲三月場所の広告を詳しく見ると

3か所から選べる昼食会場
1, かに道楽 かに会席プラン
2, がんこ寿司 てっちり会席プラン
3, スイスホテル南海・ブッフェプラン

どれをみても、情景が目に浮かぶけれど、あかん。

僕は、そんな昼食を食べてるくらいなら、府立体育館の近くのコンビニで弁当を買って、はやく相撲を見たいと思うタイプだから。

旅行プランでは 昼食後13時ころに体育館に入場となっている。

その時間に、入場すると、もう、大概は、幕下の後半戦の取り組みという感じで、ほどなく 十両土俵入りになってしまう。

せめて、正午前には、入場して、三段目くらいから見たいなと思ってしまう。

まあ、そういうふうだから、僕は団体行動が昔から苦手なのだと思う。


北海道に旅行に行って、釧路 弟子屈のあたりを周遊するバスに乗った時、屈斜路湖で手漕ぎボートに夢中になり、沖の方まで行ってしまって、必死に戻ってきたら、バスはもう行ってしまっていた。

時間までに戻れない客は周遊バスでは置いてきぼりになってしまう。

あのときは、鉄道や路線バスで、釧路までなんとか戻ったんだなと懐かしく思い出す。