ケンのブログ

日々の雑感や日記

朧月夜

2022年03月06日 | 日記歌入り
本当に 僕が生まれてからの時間ということで言えば未曽有の戦争になってしまいました。

拡大しないことを祈ります。

割と気温が上がったかと思うと 風が出てきてあられが ふったりして きっと大気の状態が春先で不安定だったのだと思います。


■朧月夜
「朧月夜」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

会社の昼休みに、春先 ある人と話をしていて、「やっぱり春は桜ですね」 と僕が言ったら、「桜もいいけど 菜の花が好きです」 と言った人がいました。

そういわれれば、そうかも とその時は思いました。

大阪に住んでいたころは、駅に行く途中に線路の土手に菜の花が毎年咲いていたので、いつも眺めていました。

こちらにきたら、自動車に乗る機会が増えて、実は、まだ菜の花を見ていません。

田舎に来たから花を見る機会が増えるというわけではないです。

歩く頻度が下がると、花を見る頻度も下がるということだと思います。

先日、ある方に 「つくしも もう顔を出しました」と言われて、「そうですね」 と返したのですが、実はつくしも 僕はまだ見ていませんでした。

それで、「つくしは どこで見ましたか」 と僕が言ったら、そのかたは ちょっと考えて 「線路です  それに田んぼですね」 と言いました。

そうか、やはり、線路脇とか歩かなくなると つくし も観る機会がないんだなと思いました。

さて、朧月夜という歌。

僕は、音楽の専門的な教育は受けていませんが、なにしろ、人生の中で、テレビを見ていた時間よりも 音楽を聴いていた時間の方が長いので、感覚的に 朧月夜は三拍子の歌だとなんとなくわかります。

それで、カラオケに朧月夜をいれて、いち に さん のタイミングで歌いだすと、カラオケの伴奏と、僕の歌と微妙にタイミングがあいません。

僕が なのはなばたけに入日うすれ の なのは と歌いだしたとき カラオケの字幕は なのはなの は のところまで進んでいます。

あれ、 微妙に 字幕の タイミングが はやいやん と思いました。

よし、地声の大きさで、カラオケの伴奏をぶっちぎってやれ と一瞬思いましたが、やはりそれは気持ち悪い。

それで、一度、カラオケの演奏をやめて 歌を歌わずに カラオケの伴奏だけ流しました。

そのようにして、カラオケの字幕を見ていくと

この歌は三拍子には違いないけれど
 
いち に さん でタイミングをとるのではなく 
さん いち に さん いち に さん と さん からタイミングをとらなければ、カラオケの伴奏と歌がずれてしまうことに気づきました。

要するに 三拍子の 三拍目から歌が始まるのです。

このように歌が始まるので いち に さん でタイミングをとっていたのを 

さん いち に さん に修正しなければなりません。

最初 いち と思っていたタイミングを 前の区切りの さん まで巻き戻さなければならないのです。

この いち を さん に巻き戻すときに生まれる、ちょっとしたズレの感覚が この歌のリズムに 独特の ゆらぎを もたらしていることに気づきました。

このように さん から始まる三拍子のクラシックの音楽の例としては、古典音楽 特にハイドンなどに典型的にみられる メヌエットがあります。

ハイドンの メヌエットも 多くは さん いち に さん と さん から始まるリズムなので、やはり独特の揺らぎがあって、楽しいのです。

朧月夜を作曲した岡野貞一さんのプロフィールを見ると 東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の卒業となっています。

今から100年以上前の 1914年に リリースされた歌ですが、岡野貞一さんは、西洋の古典音楽を参考にリズムを考えた可能性はとても高いと思います。

本当に 昔の唱歌は、旋律やリズムも基本に忠実、歌詞も 日本語のリズムと情緒を大切にしている。

もう一度、こういう時代の心を思い出してみるべきだと思うことが最近しばしばあります。

↓「朧月夜」をカラオケDAMの音源で歌い、ICレコーダーで簡易に録音しました。


発言小町 絶体絶命

2022年03月05日 | 日記歌入り
ロシア軍がウクライナの原発を攻撃したと新聞に出ています。

第三次世界大戦にならないことを祈っています。

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同日付の新聞に48歳の女性のこんな発言が載っています。

「結婚して5年。女性性を意識せざるを得ない不安から、結婚したくありませんでした。

しかし『女だから○○しなければならない』という考えが薄い4歳上の男性と結婚。

生活には満足しているのですが、ときどきモヤモヤとするのは、夫が『お茶を飲みたい』と言って自分で入れようとしないこと。

私はいまだに女性がお茶当番をしている職場があることに卒倒しそうになります。私が担当するのが当たり前を変えたいです」と。

これは 読売新聞の発言小町というサイトからの引用です。

この、女性の発言をもとに、女性がいろいろネット上で井戸端会議をしているわけです。

なので、男の発言は入っていません。

この女性の発言だけでは、あまりリアルな状況がわかりません。

しかし、僕は、この女性は、動かない旦那さんに悩んでいるという側面と、ジェンダーの平等という社会の圧力があるのにそれを実現できていないことに悩んでいるという側面があるのではないかと思います。

旦那さんがお茶を入れてくれたらくれたで、お茶を入れるだけで結局カップを洗うのは自分だ とか カップの洗い方が気に入らない、とか カップは洗っても食器棚にちゃんと片付けられないとか、もう どこまでもきりがないようにも思います。

それで、結局、入れてあげたほうが楽だわ となったりして。

あまり、冷たくしていると旦那がへそを曲げて帰ってこなくなったり、喫茶店のママのほうに行ってしまったりとか、、、。

男もひとりで暮らしているとのどが乾いたら、ペットボトルでも缶入りでも飲むけれど、入れるとなると、後付けまで含めて嫁にダメだしされるかと思うと、つい 入れるのが面倒になって、ちょっと散歩に行ってくるとか言って、コンビニで店員のお姉さんに入れてもらったマチカフェのコーヒーを飲んで帰ってくるとか。

その方が 「亭主元気で留守がいい」 となるかもしれません。

まあ、それは僕の想像のしすぎとは思います。

まあ、お茶入れや後片付けとは文脈が違うかもしれませんが、駅や商業施設のトイレでこのコロナ渦でも、手を洗わずに出ていく男の比率がどれくらい高いかを知ったらきっと女性は卒倒すると思います。

コロナが始まったころラジオで手洗いは30秒とか言ってました。

実際、やってみるとわかると思いますが、テレビを見ていたりすると30秒ってあっという間ですが、手洗い30秒ってかなり長い時間です。

駅や商業施設のトイレで30秒も手を洗っていたら、後ろに列ができてしまって、「はよせんかい」という圧力がかかることは必至ですし 何をもたもたしとるんや という視線を投げかけて 手を洗わずに出ていく人も30秒の間に一人や二人は必ずいるというのが現状かと思います。

まあ、10秒間 手を洗えば それでも十分に長い部類だと僕は感覚的に思っています。

個人の感想として現実と理想は常に乖離があるかと思います。


■絶体絶命 
山口百恵さんの「絶体絶命」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

山口百恵さんが久米宏さんと黒柳徹子さんの歌謡ベストテンに出演して この歌を歌った動画を見ました。

この歌は男一人に女性二人の三角関係の歌です。

久米宏さんが、その三角関係の比喩として「もし僕と黒柳さんが夫婦だと仮定して、そこにあなたが現れたら、あなたは身を引きますか?」と山口百恵さんに話を振ります。

百恵さんは「久米さん身を引いていただけますか」と返します。

すごい 返しだなと思いました。

百恵さんの前では久米宏さんも単なる、親父ギャグ風のおじさんです。

でも、そんな風に久米宏さんにちょっといじられた直後にもう歌の世界に入り込むのですから、やっぱり百恵さんは すごいというか並みの人ではないなと思います。

昭和50年代って本当にいろんなアイドルがいたけれど、僕にとって最高なのは百恵さんだと思います。(個人の感想です)

↓山口百恵さんの「絶体絶命」をカラオケDAMの音源で歌いました。


戦争の影響 春一番

2022年03月04日 | 日記歌入り
読売新聞に掲載された愛知県のローカルニュースで、中部フィルハーモニー交響楽団が演奏会でチャイコフスキーの大序曲「1812年」を演奏する予定をシベリウスの「フィンランディア」に切り替えたと出ている。

大序曲「1812年」はロシア軍によるナポレオン軍の撃退を表現しているから、戦争を連想させるというのが同曲演奏取りやめの理由と書いてある。

一方「フィンランディア」は帝政ロシアからのフィンランドの独立を表現しているという。

ニュースを読んで 現状やむを得ないと思った。

「フィンランディア」 も「1812年」に劣らず、勇壮な曲で、「1812年」を 「フィンランディア」に変えるのは、うまく考えたものだなあと思った。

そう思ったら急にフィンランディアが聴きたくなり、CDの棚を探したら、カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニーのものがあったので 思わず聴いてしまった。

指揮者のゲルギエフさんも プーチンと仲が良いけれど、ロシアの侵攻に対して沈黙しているとかでミュンヘンフィルの音楽監督を解任されたと出ている。

本当に、戦争の影響が、文化的な側面でもいろいろ出てきているなと思う。

僕の世代はあまり戦争によって演奏会のプログラムが変更になるって経験したことがないから、悲しいというより怖いことになったなと思う。

事態が穏やかに収束することを願っている。


■春一番
キャンディーズの「春一番」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

キャンディーズが歌う「春一番」を聴いてみましたが3人の声の質がそろっていてとても うまく感じます。

昭和の時代のアイドルは歌を歌うことは必須でしたから、トップを走っていた人はみんなとても歌がうまいように思います。

キャンディーズは僕が中三の時に解散を発表し、キャンディーズのファンだった子は大変ショックを受けていました。

解散発表のコンサートでキャンディーズのメンバーが泣いたことも話題になりました。

「泣くんやったら やめるなよ」と 冷めたことを言ったいた子もいましたが、まだ 中三だったので、やめると決まったからこそいろいろ泣けるという感情が理解できなかった可能性が高いと思います。

本当はキャンディーズが好きなのに照れ隠しで「泣くなら やめるなよ」と言った可能性もあると思います。

暖かくなってくると、僕は、しばしばキャンディーズの「春一番」を思い出します。

↓キャンディーズの「春一番」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いました。




淡きこと水のごとし

2022年03月04日 | 日記
名古屋の地下鉄の窓に貼ってあった「新しい生活様式あるある川柳」から。

■“”ウェブ会議 映るとこだけ片付ける“”

まあね、映るとこだけ片付けると考えると楽なようだけれど、映るところは片づけなければならないと考えると大変ですね。

ウェブ会議のため家に生活臭の出ないコーナーを設けている人もいると聞きます。

本当に、それこそ新しい生活様式の家の作り方だなと思います。

■“”娘とは もともと ソーシャルディスタンス“”

作者は書いてないか、もしくは僕が座った場所からは見えなかったけれど、たぶんこれを作ったのはお父さんと思います。

というかお母さんだったら面白くないですね。

しかし、あまり娘の領域に踏み込んではいけないと思っているお父さんの方が娘とうまくいくかもと思ったりします。

もちろん お母さんでも同じことだけれど。

それで思い出したのが中国 荘子の次のような言葉。

“”君子の交わりは淡きこと水のごとし“”

これは、このことわざを検索ボックスに入れて最初に出てきたサイトの解説をコピペします。

“”くんしのまじわりはあわきことみずのごとし・・・・
よくできた人物の交際を見ていると、あまり他人の実情に深入りをしないことが多いようです。良好な人間関係を長く維持して行くためには、水のようにアッサリしたお付き合いもいいでしょう。

 「荘子」の「山木篇」に「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」とあり、我々の職場の付き合いや、日常での交友関係に参考となる格言を遺しています。

「物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ」と述べた後に続いて「つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ」と述べています。“”
https://iec.co.jp/media/corner/kojijyukugo/24より引用。

僕もおおむね、そういうことではないかと考えています。

ブッダの言葉に次のようなものがあります。

“”愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか“”と。
岩波文庫「ブッダ感興のことば」より引用。

愛していても、そこから執着が生まれて、愛する対象にこだわりを持ちすぎると、自分にも相手にも憂いが生じる という意味だと僕は考えています。

こういう機会に 自分の心にもとどめておきたい考え方だと思います。

それで、記憶の連鎖で次々と関連したことを思い出してしまう僕の癖でもう少し話を続けます。

茶道の裏千家に淡交会という会があります。

関西にいるときに、それを知りました。

読んで字のごとくで淡い交わりの会 ということだと思い、きっと荘子から引用して会の名前を決めたはずだと思って 「淡交会」で検索してみると次のような記述のあるサイトが出てきました。

“”「淡交会」とは、十四代家元淡々斎宗匠の斎号に因み命名されたもので、荘子の「君子之交淡若水」 (君子の交わりは、淡きこと水の若し)に典拠するものです。

淡々としてあたかも水が流れるようになにごとにも執着せず、 どんなときにも感情に流されない平常心の交わりを意味し、茶禅一味の精神を根本とします。“”と。
http://www.urasenke.or.jp/textc/tan/より引用。

僕も、できるだけ執着を離れた平常心に努めるように心がけたいと思います。






未来予想図Ⅱ

2022年03月03日 | 日記歌入り
気づけばもう3月ですね。

けっこう 寒いですけど。

■未来予想図Ⅱ
ドリームズカムトゥルーの「未来予想図Ⅱ」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

僕の記憶では、この歌にはまっていた人はなぜか昭和40年代後半の生まれの人が多かったです。

僕は、予備校に勤めていましたが、クラスのホームルームの資料に 未来予想図 というサブタイトルをつけていた人が昭和40年代後半の生まれの方でした。

ほかにも、この歌に出てくる、ブレーキランプを点滅させるサインのことを言っていた人も昭和40年代後半生まれの方だったなと思います。

それで、調べると作曲の吉田美和さんは昭和40年の生まれなのですね。

「ずっと心に描く 未来予想図は ほら 思った通りに かなえられてく」って、そんな、思った通りにならないから、みんな、しんどいめしてるのに。

せめて、歌の中では、そういう夢を見たいということでしょうか。

なにしろ、ドリームズ カム トゥルーの歌なのですから。

ドリームズ カム トゥルーで思い出しましたが、ディズニー映画ピノキオの音楽 「星に願いを」の中にも
When you wish upon a star your dreams come true.という一節があります。

日本語に訳すと「星に願いをかけるとき 君の夢はかなうよ」となるでしょうか。

あと、メロディラインがのびのびした感じがするのもこの歌の特色だと思います。

おお、メロディラインが伸びるなあと思って歌っていたら、声が大きくなりすぎて、たぶんアンプの出力か入力か僕はメカに弱いのでわかりませんが、とにかく、過大な負荷がアンプにかかり、音がバリバリ となり ところどころ マイクの接触不良のような感じになってしまいました。

↓ドリームズカムトゥルーの「未来予想図Ⅱ」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いました。