ケンのブログ

日々の雑感や日記

マスクの着用 東へ西へ

2022年05月20日 | 日記歌入り
マスクは屋外で会話がないようなときにはいらない という主旨のことが新聞に書いてある。

自動車に乗る生活になったので忘れていたけれど、先日 ちょっと名古屋の街を歩いてみたら 気温が上がってくると確かにマスクをして呼吸するのはしんどいと感じた。

熱中症も話題になる季節だし。

ただ、僕は割と 歩きながらマスクをするのは関西で歩き中心の生活でそこそこなれているので 適宜 マスクの通気性を工夫すればなんとか大丈夫のようにも思う。

自分自身はマスクをまめにしているけれど 人がしていないのは あまり気にならないという風になるといいな と今は思っている。

それよりも 僕が 本当に感染に効果があるのだろうかと思ってしまうのは
トレーによる金銭の受け渡し。

トレーがかなり汚れているお店も少なからずあり、単に金銭の受け渡しが面倒になっているような気がしなくもない。

宅配なども 非接触の置き配 が増えたけれど、みんな気軽に宅配に頼むので 宅配が回らなくなって、業者の人は長時間休みなしの労働を強いられるとか 荷物がなくなるとかの事故も コロナ以前よりかなり多くなっている という話も時々聞く。

いろいろなことが時の流れの中でよいバランスの中で解決していくことを望んでいる。


■東へ西へ
井上陽水さんの「東へ西へ」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

陽水Ⅱ センチメンタル というアルバムに収められている歌です。

この歌は 歌詞もさることながら 4つの音からなるリズムを何度も繰り返すことが中学生の僕にとってはとても魅力的でした。

とても強烈なリズムです。

リズムが好きだったので ことあるごとに口ずさんでいました。

お風呂の中で 自転車をこぎながら 散歩しながら

本当によくこの歌を口ずさんだ記憶があります。

それほど 僕にとっては魅力的なリズムでした。

これほどリズムが魅力的な歌は僕にとってはまたとないくらいです。

↓井上陽水さんの「東へ西へ」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

祈り サザエさん

2022年05月19日 | 日記歌入り
今日の中日新聞に 根尾君のことが話題になっている。

写真入りの大きな記事で 遊撃を守る根尾君のところに打球が飛び抑えた。

記録は内野安打だがどこにも投げられず 失点を許した と出ている。(この時の走者は二死満塁なので どこにもなげられないことで失点を許したことになる)

勝負どころの失点ではあるけれど、記録は内野安打という守備機会のことを新聞がこれだけ大きく取り上げるのも やっぱり根尾君は眼もクリっとしていてかっこいいし なんとかして話題を作りたいということなのかなと思ってしまう。

打率が.194で本塁打なしの選手を取り上げようと思ったら こういう機会ものがさないようにしないと と新聞社が思っているようにも感じられる。

なんとなく 本人にとってこういうとりあげられかたって 逆にプレッシャーになるかもしれないと思い心配になってくる。

過去にも 人気先行で消えて行った選手って結構いるから。

僕、テレビは見ない代わりに 新聞の写真は結構じっくり見る。

もちろん ド素人の見方で 野球に詳しい人からしたらちゃんちゃらおかしいかもしれないけれど、根尾君のフォームって守備機会をとらえたものも 打撃機会をとらえたものも こじんまりきれいにまとまりすぎて プロの選手が持っている 独特のワイルドさにかけるように思う。

いろいろさわがれすぎて、いろいろ言われすぎて ちいさくまとまりすぎているのでなければいいのだけれど と思う。

今後の活躍に期待します。

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芹沢光治良さんの「人間の運命」という小説に 主人公の次郎が一高の後輩 芝木に語った言葉として次のような記述が出てくる。

「芝木君 信仰についてあまり真剣に考えないほうがいい。僕の親友でやはり新教徒だが、信仰について真剣に考えて、一高を一年留年したのがいるが、今はカトリックになってフランスにいるけれど、彼がつくづく言っていたよ。信仰は言葉や観念でつかめるようなものではなくて、もっと大きくて、自然なもので、神の方から近づいてくれるようなものだから、自分には祈りしかないって。信仰のない僕が、信仰の話をしてもはじまらないが」と。

信仰のない僕 とは 芹沢光治良さんが何度となく言っておられることだと思う。

しかし、その割に 「信仰は言葉や観念でつかめるものではなく 自然なもので神の方から近づいてくれるようなもの。だから祈りしかない」とは 信仰に関した きわめて的を射た記述であると僕は思う。

信仰がないといいつつ 信仰に関して 誰よりも的を射た発言を繰り返す。

これは芹沢光治良さんの一つの特色であると思う。

僕は この光治良さんの態度と 哲学者デカルトの方法的懐疑に基づく哲学の原理とは どこか似ていると思う。

詳しくは書けないけれど デカルトは「方法的懐疑によって疑っても なお 疑い得ないものが残る それは疑っている自分自身の存在だ」と言い これを哲学の第一原理としている。(学研 倫理の要点整理より)

芹沢光治良さんの書き方も 信仰がない つまり 信仰を疑っていても 残っているもの それが 信仰 という論理構成を とっておられるのだと僕は思う。

本人が直接 そういう記述をしておられるわけではないけれど、「信仰を持たない僕」と光治良さんが書くことは そこに疑っている自分を置いているという点でデカルトに似ている。

また、最後に 信仰そして祈りが のこる という論理構成も 最後に疑っている自分の存在が残る というデカルトの論理構成によく似ている。

そして、僕は芹沢光治良さんのこういう記述を読んで 僕は思うのだけれど、信仰の中で最も本質的なもの 必要欠くべからざるものは 祈りだと思う。

最後に残るのは そして 最も大切なのは祈り これは心にとどめておきたいと思う。

■サザエさん
サザエさん の主題歌をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

聴いていただけると幸いです。

サザエさんは 子供のころよく見ていました。

割と主題歌だけ聞いて 中身は見ないか 見ても上の空で見ているということが多かった僕ですが サザエさんは結構真面目に見ていたような記憶があります。

楽しかったです。

筒美京平さんの作曲なのですね。

筒美京平さんの曲って尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」に代表されるように高音がぐっと伸びるタイプの歌が多いです。

このサザエさん主題歌も 「みんなが笑ってるー♪」のるー♪がかなり伸びます。

それを僕が思い切り伸ばすと カラオケのアンプとスピーカーに過大な負荷がかかるようで 急に ブー っと言ったり バリバリ と言ったりします。

なので、これでも、ちょっと控えめに歌ってます。

ボリュームを落とすと バリバリいわなくなりますが 地声がカラオケの音とかわらないくらいの大きさになってしまうので何のためのカラオケかわからなくなってしまいます。

いつか 大阪の知る人ぞ知る カラオケ喫茶で サザエさんの主題歌を歌ったとき 途中でママが ボリュームを下げてしまいました。

僕は 後でママにそれを軽く抗議しましたが ママは 謝ってくれたけれど 「ゴメンやけれど声のパワーは落とすか マイク離して歌うかしてね」という感じで 結局 そういうことかと思いました。
実際 自分で歌って録音してみるとママの気持ちがわかったりします。

↓サザエさんの主題歌をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。








ライバル商法 帰ってきたウルトラマン

2022年05月18日 | 日記歌入り
東海地方に戻ってきてから 例えばコンビニのレジ近くなどに 「なごやん」というお菓子が売りに出ている。

やごやん とはちょっと硬いカステラのような生地で黄味あんを包んだ饅頭だ。

東海地方の結構いろんな場所に売っている。

先日 コンビニに行ったら 入口の所に 「なごやんみたいなパン」というキャッチが出ていて、 見ると それはアンパンくらいの巨大な なごやん だった。

あやかり商法というか まあ、なごやんの会社と連携はできているのだと思うけれど、、、。

今日はスーパーで「尾張の城」という商品を見かけた。

目を凝らすと なごやん にそっくりの饅頭だ。

製造した会社を見ると なごやん を製造している会社のライバルとみられている製パン会社が作っていた。

もう これは 本家○○そば と元祖○○そば の争いだなと思った。

もう、ずいぶん昔のことだけれど 僕が勤めていた会社で バイトの子同士で たぶんシュークリームとかそういう系統のお菓子だったと思うけれど 大阪ヒロタと 洋菓子のヒロタとどっちがうまいんや と真剣に議論をしていていかにも大阪の子だなと思って感心してしまったことがある。

名古屋でも なごやんか 尾張の城 か真剣に議論する人はいるのだろうか? それはちょっとわからない。

ちなみに京都王将か 大阪王将かという話だと 僕は 5回に一回くらいの割合で 大阪王将にも行ってました。

大阪王将も京都王将にはないうまさがあると思っていたので、、、。

■帰ってきたウルトラマン
「帰ってきたウルトラマン」の主題歌をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

シンウルトラマン という映画のポスターをよくみかけるようになりました。

先日、名古屋の繁華街にウルトラマンの巨大な人形が立っていました。

そんなこともあって、ウルトラマンが懐かしくなりました。

僕は子供のころ合成樹脂製のウルトラマンと怪獣の人形を一対持っていました。

おなかのでっぱりかたが当時の大関 大麒麟に似ていたので僕はその怪獣の人形に勝手に大麒麟 とあだ名をつけていました。

本当に怪獣の人形のおなかのでっぱりかたが大麒麟に似ていたのです。

それに対してウルトラマンの人形はおなかもスリムでかっこよかったなあ。

ウルトラマンの人形とリカちゃん人形を相撲のぶつかり稽古と称して ぶつけて遊んで、 リカちゃん人形は ぼこぼこになり 着せ替え人形としての機能を完全に失ってしまったという苦い思い出もあります。

シンウルトラマンときいてなつかしさがこみあげてきたのもそんないろいろな思い出があるからと思います。

「怪獣退治に使命をかけて燃える街にあとわずか」と歌詞にあります。

当時 まだ小学生だった僕はこの 燃える街 を 燃えるマッチ と聞き取っていました。

まあ、マッチが燃えるのはわかるけど、どうしてウルトラマンの歌にマッチなのか でも まあいいか くらいに思い 深くは考えませんでした。

漢字表記の歌詞を見て ウルトラマンが燃える街にたどりつくのにあとわずかという意味と分かりました。

「大地を蹴って流星パンチ 近くに立ってウルトラチョップ」と歌詞にあります。

ほとんど プロレスの世界ですね。さだまさしさんの 親父の一番長い日 という歌の歌詞に 「街頭テレビの空手チョップが白熱したころに 妹の誕生を知った」という一節があります。

元祖空手チョップの力道山はもう帰ってきたウルトラマンの頃はいませんでしたが、ジャイアント馬場など空手チョップを繰り出すレスラーはまだ人気があった時代です。

なつかしいな。

「炎の中に崩れる怪獣 戦いすんで 朝が来る」と歌詞にあります。

怪獣が崩れる という歌詞は涙を誘います。

倒れるではなく 崩れるですからね。歌詞を書いた人は きっと怪獣を悪者とみていなかったのだと思います。

その崩れる時間が 夜明け前と歌詞から読み取れるところも怪獣に対するそしてウルトラマンに対する共感を誘うように思います。

たとえば、今 ゴミを荒らしに来るカラスは人間にとって悪いもののように思えることもありますが ゴミが増えすぎたことがいけないのであってカラスが悪いわけではありません。

怪獣に対しても 歌詞の作者はそれと似たような思いを抱いていたのだと僕は思います。

一番 二番 三番から歌は構成されます

一番と二番の間 そして二番と三番の間に 勇壮にティンパニーがなります。

このティンパニーは 怪獣の恐怖 それに立ち向かうウルトラマンの勇気その両方を表していると思います。

そして このティンパニーの音階とリズムは ショスタコーヴィチの交響曲第5番 第四楽章の冒頭で連打されるティンパニーの音階 リズムと極めてよく似ています というかほぼ同じだと思います(たぶん)。

そのように考えると この「帰ってきたウルトラマン」の主題歌は 芸術の領域の歌だと思えてきます。

本当に 特撮物の主題歌でも 一球入魂 という時代だったのだなと改めて思います。

↓「帰ってきたウルトラマン」の主題歌をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

天然アユの初売り 純情

2022年05月16日 | 日記歌入り
昨日の岐阜の地方紙に 中央卸売市場であゆの競売が始まったと出ています。

競売しているおじさんとおじさんが手にするあゆの写真でざっと大きさを推定すると、スーパーで売っているししゃもくらいの大きさであるようです。

モロコとかわらないくらいのおおきさのいわゆる稚魚よりは大きいけれど まだ十分に成長していないサイズです。

塩焼の写真も載っていましたが 僕の感覚ではまだ 小さいと思います。

小さいのが最高においしいという人もいるようですが、、、。

あゆの塩焼きを見ると 子供のころ やな に連れて行ってもらって 塩焼き そして お味噌をつけて 味噌田楽風に焼いたもの などいくつかあゆを食べた後 最後は アユ雑炊 という コースを食べさせてもらったことを思い出します。

子供のころの記憶なので長良川か その支流か 川の名前はわかりませんが 川の流れやにおいのある場所で食べる あゆは格別だったことは覚えています。

中央卸売市場ときいて八王源先生のことも思い出しました。

先生は よく 中央市場いってくる と言って出かけることがありました。

あれは今にして 中央卸売市場のことだったのだなと思います。

なつかしいな。

■純情
家入レオさんの「純情」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ幸いです。


歌詞の中に「限界点を超えたくて孤独と手を結んだ
友情の意味知りたくて僕の痛みさらした」とあります。

この詞を見るとレオさんはアーチストだなと思います。

友情の意味知りたくて痛みさらすというのは 僕が若いころに聴いていた歌の歌詞にはない発想だと思います。

しかし、僕が若いころよりも もっと 個々の人間がシステムの中に組み込まれて生きている現在は このような歌詞が出てきてしかるべきだと思うことがあります。

そして、こういう歌詞を書くレオさんのことを興味深い人だと思います。

さびで Don’t beat upと何度も繰り返します。

辞書で調べるとDon’t beat up は打ちのめさないで という意味です。

ビートルズの名曲でDon’t let me down =僕をがっかりさせないで
というのがあることを思い出します。

ビートルズで思い出しましたが 昨日コンビニで Hallo good bye が流れていました。

僕がハローというと君はグッドバイという
ことごとく 言うことが逆になる カップルのさまを コミカルに嘆きながら歌った作品です。

まあ、 あるあるという話です。がカップルにかぎらず いろいろと逆になるというのは普遍的な話で そこがビートルズのすごさだと思います。

話しがそれでしまいました。

Don’t beat up と歌う直前にレオさんは yes という音を入れます。

この yes が好き とレオさんの動画に書き込んでいた人がいました。

僕も好きです。

レオさんの音源と聴くと この yesは別テイクでとって合成していることがわかります。

ライブではそれは難しいと思うので ライブでレオさんはどうしているのでしょう。

レオさんのライブの映像を見ると 別テイクではなくて 素でそのままyesと歌っています。

別テイクでとったほうがキレはあると思いますが ライブはライブの良さがあると思います。

カラオケの歌詞表示にはyes は出てきませんが 僕は、これは勢いで入れました。

↓家入レオさんの「純情」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで録音しました。

これからも大丈夫 紙飛行機

2022年05月15日 | 日記歌入り
予備校に勤めていたころ、いくつかの仕事を複数並行してこなしながら、どの仕事も手際よくやってしまう子がいた。

よく仕事のできる子だといつも感心してみていた。

「そんなに いくつも 仕事並行してやってて、納期に間に合うだろうかと心配になることはないの?」とその子に聞いてみたことがある。

そうしたらその子は「今まで大丈夫やったから 今度も大丈夫と自分に言い聞かせるようにしている」と答えてくれた。

割と 淡々として 勢いのある子だったので そんな風に答えてくれたことが その子らしいなと思うと同時に これまで大丈夫だったから これからも大丈夫 って上手な言い聞かせ方だなと思った。

自動車の運転で一時停止を怠って 「今まで大丈夫だったから これからも大丈夫」と自分に言い聞かせていたらそれは あかん というか危険というか いつか事故にあう可能性が高くなってしまう。

しかし、自分なりの誠意をもって仕事を進めて それでも心配な時は 今まで大丈夫だったから 今回も大丈夫 と信じていくことはとてもいいことのように思う。

今でも その子が そんな風に仕事をしているさまを思い出すことが時々ある。

自分に言い聞かせる方法は 今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫 とか
お祈りしたから 大丈夫 とかシンプルな方がいいと思う。

複雑に考えるとますますわからなくなって心配になってしまうから。

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金光さんの言葉に 「しょうじ一枚がままならない 身の上である」というものがある。

本当にその通りだなと思う。

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アスファルトの割れ目から タンポポがいっぱい出てきているのを見かけた。

子供のころはそういう光景 当たり前のように見ていたけれど、都会の暮らしが長くて、こちらに来てからも 自動車で移動することが多いので 久しく忘れていた光景だなと思う。

中島みゆきさんの「彼女の生き方」という歌詞の一節にこんなフレーズがある。

「そうさ 私はタンポポの花 行きたい街へ 行きたい 空へ 落ちると思えば飛び上がる」と。

みゆきさんがこんな歌詞を書いたもの タンポポがどこまでも飛んでいくということと 強いということにあやかったのかもしれないと思う。

■紙飛行機
井上陽水さんの「紙飛行機」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。聴いていただければ幸いです。

「雨が降ったら 弱い翼は 濡れてしまう」と歌詞にあります。

中学生のころ 歌詞のこの部分が一番好きでした。

どこか悲しげで しばらくの間しか 飛べない 紙飛行機のはかなさが
このフレーズによく出ていると思っていました。

A A B Aの楽曲形式でBにあたる部分が 上記の歌詞の部分です。

途中のBにさびが来る形式はビートルズの歌に典型的にみられるものです。

井上陽水さんもビートルズには目がなかったことで有名ですね。

この歌の歌詞で 陽水さんは 紙飛行機に 君 と呼びかけています。

「君は明日まで飛びたいのか 君はプロペラを知らないのか」という具合に。

明日まで飛びたいのか プロペラを知らないのか という言葉も しばらくの間しか飛べない紙飛行機のことを惜しむかのようです。


AABAの楽曲形式で思い出しましたが、
村上春樹さんが なにかのエッセイで チンドン屋がビートルズのオブラディオブラダを演奏しているのが聴こえてきたと書いておられました。

「なかなかいい調子でチンドン屋はやっていた。

ところが しばらく聴いていると なぜか おさまりの悪い気持ちになってきた。

どうしてだろうと考えて チンドン屋の演奏には AABAの楽曲形式のBがない
つまりさびがないことに気づいた」という要旨のことを春樹さんは書いておられました。

まあ あるある という話だなと思いながらそのエッセイを読んでいた記憶があります。

そういえば 最近の歌では 家入レオさんの歌はAABAの形式が多いです。

ビートルズの影響は 間接的にこういうところにも及んでいるのだと思います。
 
↓井上陽水さんの「紙飛行機」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。