ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルハーモニー第501回定期演奏会 ウルトラマンの歌

2022年05月14日 | 日記歌入り
愛知芸術劇場コンサートホールに名古屋フィルハーモニー交響楽団第501回定期演奏会を聴きに行く。

指揮はアンガス ウェブスターさん

最初に演奏されたのは
エルガーの「序奏とロンド」

CD 生演奏を通じて初めて聴く曲だと思う。

弦楽だけの編成だけれど、オーケストラの音がいいなと思う。

チャイコフスキーの弦楽セレナーデに響きの感じがどことなく似ていると思う場面があった。

食品の味の形容みたいだけれど、コクと深みと透明感のある響きでいいなとおもった。

次に演奏されたのは
モーツァルト オーボエ協奏曲K.314

オーボエ独奏 吉井瑞穂さん

第一楽章 ふわっとした感じでオーケストラが出てきていいな と感じたけれど、ちょっと勢いに欠けるかもと思った。

しかし、オーボエの音が出てきたら 素晴らしくて、そんなことは忘れてしまった。

ポーボエ協奏曲ってこれ以外にたぶん聴いたことないと思う。

CDは持っているけれど、生で聴くのは初めてかもしれない。

オーボエの音って豊かでよく響くんだなあと思った。

ホールの高い天井に吸い込まれてそのさき どこまでも音が届いていくという感じに思えた。

山のこちら側でオーボエを吹いたら 山の向こう側まで聞こえるかもしれない そんな風に思った。

それを思ったとき 幻想交響曲の第三楽章 野の風景での オーボエとイングリッシュホルンの掛け合いが心に浮かんだ。

あれも 山のこちらと向こうで呼びかけあっているイメージだなと思った。

モーツァルトの古典様式の曲でそれを感じさせてしまうところが 曲も演奏もすごいのだと思った。

なんだか 今までオーボエの音というものを僕は知らなかったのかもしれないと思った。

そのくらい どこまでも響いていくような印象的な音だった。

第二楽章のゆっくりしたところでは 神々しい感じとも思った。
演奏も曲も素晴らしいと思った。

第二楽章から第三楽章は 間をおかずに すぐに第三楽章に行った。

第三楽章に入った時、ちょっとゆっくり目で音をしっかりと確かめるように進んでいくように思えた。

ちょっと これはすごい演奏だなと思った。


20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ヴォーンウイリアムの交響曲第5番 ニ長調

第一楽章はホルンの音が上から下にさがる音階で始まった。

なんとなく そのさまがラヴェルの ダフニスとクロエのようだと思った。


いい曲 と思ったけれど、初めて聴く曲だし、なんとなく映画音楽のような感じで 途中からちょっと冗長に思えてきた。

第一楽章から第三楽章までいずれも最後は消え入るような感じで終わった。

その音の消えるさまが 本当に最後はホールが静まり返る感じで印象的だった。
第四楽章になって 曲が終わりに近くなった時に トロンボーンを中心とした金管が 冒頭でホルンが奏でた上から下におりる音階を 勇壮に奏でた。

この最後のもっていきかたも ちょっと ダフニスとクロエのようだと思った。

いい曲 という思いと いい曲には違いないけれど どこかで聴いたことがあるような感じ という思いが交錯していた。

でも よかったと思う。

指揮者のアンガス ウェブスターさんは 背が高くていい感じだった。

オーボエのアンコールの時 オーケストラの後ろの方の席で聴いておられて その位置取りもオーボエ独奏の方にやさしい感じと思った。

オーボエのアンコールは テレマンの曲が演奏されたと思う。

帰りは名古屋駅まで歩く 

今日は時間を測ったら 名古屋駅までホールから徒歩で大体35分だった。

7時近くなるまで まだ 明るいんだなと思った。

今まで 同じ時間帯のコンサートで終わって外に出ると暗いと思っていたけれど
今日は終わった時 まだ十分に明るかった。
日が長くなったんだなと思う。

■ウルトラマンの歌
今 街で シンウルトラマンという映画のポスターをよく見かけます。

それを見ていたら ウルトラマンの主題歌を思い出しました。

夢のあるいい歌だなと思います。

子供のころはウルトラセブンの歌を一番よく歌っていて ウルトラマンの歌はそれほどでもなかったけれど 改めて聴いたり歌ったりすると 素晴らしい歌だなと思います。
調べるとウルトラマンは昭和41年から42年にかけての放映。

伸びやかな歌で やはり 昭和の高度成長期 時代がよかったなと思います

↓ウルトラマンの歌 をカラオケDAMの音源で歌いました。

結果オーライ ただお前がいい

2022年05月14日 | 日記歌入り
100円ショップの店員のお姉さんに
「巻き尺はありますか」と聞いた。

「メジャーのことですか?」とお姉さんは言った。

「そう メジャーだわ」と僕は言った。

こちらにあります とお姉さんは言って僕をメジャーのある所まで案内してくれた。

お姉さんの後ろを歩きながら僕は照れ隠しに小声で 「巻き尺は古い言い方だったな」と言った。

小声なのでお姉さんはそれには答えなかった。

お姉さんが 指さしたその先には 日曜大工用の工具としてのメジャーがあった。

僕が探していたのは チェストとか測るためのメジャーだったのに、、、。

まあ いいか あんまりしつこくお姉さんに聞いてもバイトの子だとどこに何があるかすべて把握しているわけではないし、、。

さて、工具用のメジャーを買おうかどうするか。

工具用のメジャーは金属でできていて硬いので 直接チェストなどはかることはできない。

そうか 裁縫のときなどに使うひもで チェストを測って それを金属のメジャーにあてればいいか と思って裁縫用品売り場を見ると チェストを測ったりするメジャーがあった。

結果オーライ OK と思った。

それで、その裁縫コーナーのメジャーをレジにもっていくと さっき案内してくれたお姉さん微妙な顔をしていた。

まあ 結果オーライ 僕は無言で勘定をすませた。

今年発売になった 中島みゆきさんのアルバムのタイトルが「結果オーライ」となっていた。

結果オーライというのはたまたま結果がよかっただけでそういうのはダメ。

必然的にしかるべき結果を得られるようなプロセスを踏まなければならない と僕たちは教えられることが多かったと思う。

科学的な思考方法というのも 言ってみれば その思考のプロセスを踏めば 求めたとおりの結果が得られるという思考方法なのだと思う。

それは 望ましいことかもしれないけれど これだけ 世の中が複雑多岐な状況になると結果オーライでいい と思わなければついていけないということも まま ある。

中島みゆきさんが最新アルバムのタイトルを「結果オーライ」とされたのも そんな考えがあってのことかもしれない。

中身を見たわけではないけれど。

■ただお前がいい
中村雅俊さんの「ただお前がいい」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

小椋佳さんの作詞作曲です。

たぶん 小椋佳さんの作品で僕はこの歌が一番好きと思います。

昭和50年から51年にかけて放映のテレビドラマ「俺たちの旅」の挿入歌です。

僕が中学生の頃のドラマでした。

結構見ていました。

歌詞に「また会う約束などすることもなく それじゃあまたな と別れるときのお前がいい」とあります。
僕は この歌の おまえ というのは女性のことと思っていたので
「それじゃあまたな と別れる」 というくだりは
長年 「それじゃあまたね と別れる」 だと思っていました。

歌詞を読んでみて 「またね」 ではなく 「またな」 だと気づきました。

いずれにしても またな と別れるときのお前がいい というのは奥深い詞ではないでしょうか。

一緒にいるときのお前がいい というよりも 別れるときのお前がいい という方が奥が深いように僕には思えます。

結局 別れた後の印象がいい人 というのは いい人なのだと思うからです。

そして、いつまでも べたべたと 一緒にいるよりも 「またな」 と別れて また 会う とうことを繰り返した方が 自然で長続きするように思うし、、、。

「また会う約束など することもなく それじゃあ またな と別れるときの お前がいい」

本当に中学生のころ ここが大好きでした。今も好きです。

「伝言板の左の端に 今日もまた一つ 忘れ物をしたと 誰にともなく 書く」と歌詞にあります。

ここでいう「忘れ物」とは 比喩的な意味で 文字通り 財布とか かばんとか いわゆるモノの忘れ物ではないと思います。

今日も 何かを忘れた 今日も不完全だった そういう心情を込めて 小椋佳さんは 忘れ物をした と歌詞に書いたと思います。

忘れ物をして 反省 また 別の何かを忘れる 
人生はその繰り返しなのではないでしょうか。

本当にほのぼのとした思いになる詞だと思います。

中村雅俊さんの「ただお前がいい」をカラオケDAMの音源で歌いました。