ケンのブログ

日々の雑感や日記

祈り サザエさん

2022年05月19日 | 日記歌入り
今日の中日新聞に 根尾君のことが話題になっている。

写真入りの大きな記事で 遊撃を守る根尾君のところに打球が飛び抑えた。

記録は内野安打だがどこにも投げられず 失点を許した と出ている。(この時の走者は二死満塁なので どこにもなげられないことで失点を許したことになる)

勝負どころの失点ではあるけれど、記録は内野安打という守備機会のことを新聞がこれだけ大きく取り上げるのも やっぱり根尾君は眼もクリっとしていてかっこいいし なんとかして話題を作りたいということなのかなと思ってしまう。

打率が.194で本塁打なしの選手を取り上げようと思ったら こういう機会ものがさないようにしないと と新聞社が思っているようにも感じられる。

なんとなく 本人にとってこういうとりあげられかたって 逆にプレッシャーになるかもしれないと思い心配になってくる。

過去にも 人気先行で消えて行った選手って結構いるから。

僕、テレビは見ない代わりに 新聞の写真は結構じっくり見る。

もちろん ド素人の見方で 野球に詳しい人からしたらちゃんちゃらおかしいかもしれないけれど、根尾君のフォームって守備機会をとらえたものも 打撃機会をとらえたものも こじんまりきれいにまとまりすぎて プロの選手が持っている 独特のワイルドさにかけるように思う。

いろいろさわがれすぎて、いろいろ言われすぎて ちいさくまとまりすぎているのでなければいいのだけれど と思う。

今後の活躍に期待します。

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芹沢光治良さんの「人間の運命」という小説に 主人公の次郎が一高の後輩 芝木に語った言葉として次のような記述が出てくる。

「芝木君 信仰についてあまり真剣に考えないほうがいい。僕の親友でやはり新教徒だが、信仰について真剣に考えて、一高を一年留年したのがいるが、今はカトリックになってフランスにいるけれど、彼がつくづく言っていたよ。信仰は言葉や観念でつかめるようなものではなくて、もっと大きくて、自然なもので、神の方から近づいてくれるようなものだから、自分には祈りしかないって。信仰のない僕が、信仰の話をしてもはじまらないが」と。

信仰のない僕 とは 芹沢光治良さんが何度となく言っておられることだと思う。

しかし、その割に 「信仰は言葉や観念でつかめるものではなく 自然なもので神の方から近づいてくれるようなもの。だから祈りしかない」とは 信仰に関した きわめて的を射た記述であると僕は思う。

信仰がないといいつつ 信仰に関して 誰よりも的を射た発言を繰り返す。

これは芹沢光治良さんの一つの特色であると思う。

僕は この光治良さんの態度と 哲学者デカルトの方法的懐疑に基づく哲学の原理とは どこか似ていると思う。

詳しくは書けないけれど デカルトは「方法的懐疑によって疑っても なお 疑い得ないものが残る それは疑っている自分自身の存在だ」と言い これを哲学の第一原理としている。(学研 倫理の要点整理より)

芹沢光治良さんの書き方も 信仰がない つまり 信仰を疑っていても 残っているもの それが 信仰 という論理構成を とっておられるのだと僕は思う。

本人が直接 そういう記述をしておられるわけではないけれど、「信仰を持たない僕」と光治良さんが書くことは そこに疑っている自分を置いているという点でデカルトに似ている。

また、最後に 信仰そして祈りが のこる という論理構成も 最後に疑っている自分の存在が残る というデカルトの論理構成によく似ている。

そして、僕は芹沢光治良さんのこういう記述を読んで 僕は思うのだけれど、信仰の中で最も本質的なもの 必要欠くべからざるものは 祈りだと思う。

最後に残るのは そして 最も大切なのは祈り これは心にとどめておきたいと思う。

■サザエさん
サザエさん の主題歌をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

聴いていただけると幸いです。

サザエさんは 子供のころよく見ていました。

割と主題歌だけ聞いて 中身は見ないか 見ても上の空で見ているということが多かった僕ですが サザエさんは結構真面目に見ていたような記憶があります。

楽しかったです。

筒美京平さんの作曲なのですね。

筒美京平さんの曲って尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」に代表されるように高音がぐっと伸びるタイプの歌が多いです。

このサザエさん主題歌も 「みんなが笑ってるー♪」のるー♪がかなり伸びます。

それを僕が思い切り伸ばすと カラオケのアンプとスピーカーに過大な負荷がかかるようで 急に ブー っと言ったり バリバリ と言ったりします。

なので、これでも、ちょっと控えめに歌ってます。

ボリュームを落とすと バリバリいわなくなりますが 地声がカラオケの音とかわらないくらいの大きさになってしまうので何のためのカラオケかわからなくなってしまいます。

いつか 大阪の知る人ぞ知る カラオケ喫茶で サザエさんの主題歌を歌ったとき 途中でママが ボリュームを下げてしまいました。

僕は 後でママにそれを軽く抗議しましたが ママは 謝ってくれたけれど 「ゴメンやけれど声のパワーは落とすか マイク離して歌うかしてね」という感じで 結局 そういうことかと思いました。
実際 自分で歌って録音してみるとママの気持ちがわかったりします。

↓サザエさんの主題歌をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。