子どものころ、お布団の中に湯たんぽを入れて寝ていました
朝、そのまだ温もりの残っている湯たんぽのお湯で顔を洗ったことを思い出します
今は、蛇口をひねれば(レバーを上げれば)温かいお湯がすぐに出ます
朝一だと最初は冷たい水が出ますが、しばらくすると温かいお湯が出始めます
その時の気持ちのいいこと
ちじこまった心臓がふわ~っと緩むような気がします
温かいお湯が好きなように、人も冷たい人より温かい人が好きです
陽だまりを求める猫のように、優しい温かさを持っている人の周りには人が集まります
悩んで落ち込んでいるとき、温かくて優しい人ががそばにいてくれると癒されます
日野原重明さん 「憂いを持つ人であること」より
「小説家の太宰治はこう言っています。
「優しい」という字をよくみると「にんべんの憂い」と書く。
人に対して優しくなるのは自分の中に憂いを持つときである。
私たちが何か心配事や辛い問題を持っていて、誰かに相談したい時に、
あの人ならと思う人は、優しい人や自分の中に憂いを持っている人です。
太宰の文学に表れた優しさというものが医療者になければ、本当の医療が生まれない」
日野原さんも、ご自分の結核療養の経験と照らし合わせて、共感できると書かれています
何も憂うことがない人
健康で、才能があって、ビジュアル的にも何の問題もなくて、金銭的にも恵まれていて
親、伴侶、こどもの七光りまでもある
そんな人とは絶対お友達になりたいと思いません
色んな苦労を重ねているけど、それを少しも卑屈に感じていなくて
その苦労を人生経験としてとらえている
(これは凡人にはとても難しい)
そして、そう思えることをひけらかさない
そんな人とお友達になりたいものです
そういう人はお布団の中の湯たんぽみたい
たまには私も湯たんぽになりたいけど
いつまでたっても冷たい足を押し付けているばかりです
こんばんは。
今日は温かかったですね~。
春が来たみたいでした。
でも、「何か気持ち悪いね~」
っていってる人もいました。
湯たんぽのような優しい温かさを持っていたいものですね。
苦労や悲しみによって成熟するかどうかも、その人の感性次第なあと感じたこともありました。
変にひねくれたりするだけのこともありますものね。
ポイントは、「つらいことがあった時、全て周りのせいと考えるか、自分にも原因があるかもと考えるか」みたいな気がします。
tamiさんは湯たんぽのような人に思えます。
わたしも湯たんぽのような人になりたいです^^