「今日の私のお財布、小銭が一杯で持ち重りがするわ。」
って私が友達に言うと、
「何、その持ち重りって?」
「え?持ち重りって言わない?」
「ううん、聞いた事ないよ。」
帰って、ダンナに聞いても、翌日職場で聞いても誰も使ったことも聞いたこともないって言うんです。
小さい頃から母が
「まあ、この南瓜、持ち重りがする、きっと美味しいよ。」
とか
「ま、この赤ちゃん、持ち重りがするね、きっと固太りなんだろうね。」
等と言うのを聞いていたので、私は何気に使っていたのですが。
これは実家の近くの方言なのかなとも思ったのですが、一応辞書を引いてみました。
ありましたよ、持ち重り。
持っているうちに、次第にその重みを感じるようになること。
ですって。
そんな時、10月16日の新聞に角田光代さんが東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」の書評に持ち重りと言う言葉つかっておられたんです。
書評の最後に
どっしりと持ち重りのする小説である。
と。これ読んだとき、なんか砂漠でキラキラ光るダイヤ見つけたようにうれしかったですね。
もうその一行ですっかり角田光代さんの大ファンになりました。
直木賞の「対岸の彼女」読んでなかったわ、早速読まなくては。
ファンになるのってそんな些細なことがきっかけだったりしますね。
ちなみに、ここのところ朝青龍の好感度ががぜんアップしていますが、いまひとつ私の心が動きません。ここで彼が
「持ち重りのする優勝杯を小泉首相が一人で持たれて、僕に渡してくれ感動しました」
な~んて、コメント残してくれたら来場所は声を限りに「頑張れ、朝青龍」って応援するだるうにな~。
今日の私の小さな幸せ
持ち重りするくらい充実した一日を過ごせたこと。
(このつかい方は微妙かな?)