狐の剃刀(キツネノカミソリ)
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落葉樹林の下に群生
昨日は、団地の中の高齢者と小学生との交流会でした。
朝9時から、私達ボランティアと子供達と一緒に食事作りです。
メニューは、ハヤシライスと野菜サラダとスープ。
デザートはスイカ。
不思議なんですね!!
もう、数年お手伝いに参加しているのですが、子供達の雰囲気がその年で違うんです。
とっても素直な子供達ばかりの年もあれば、ウンともスンとも返事をしない子供達ばかりの年もあるんですよ。
今年は、とっても元気もよくて、ハキハキしていて、
「次は何をしましょうか?」
なんて言ってきました。
もうめちゃめちゃ可愛いです。
食事の後は、高齢者の方々も参加できるゲーム。
そして、私は紙芝居担当。
図書館で何を読もうかと迷ったのですが、新美南吉の「ごんぎつね」にしました。
一番最後の一番感動的なシーンをおもいっきりかんでしまいました。
あ~。(自己嫌悪)
また、今度はクリスマス会があるので、その時はもう少し気合をいれるということで・・・・。
さて、今夜は米原万里さんの「愛の法則」第3章
理解と誤解のあいだ・・・通訳の限界と可能性
これは、1998年10月 愛知県主催 シリーズ講演会「文化夜話」より
米原さんの同時通訳という仕事について講演されています。
発信者の言いたいことを、瞬時に訳して伝える。
調べたりする暇もない・・・。
物知りで、記憶力がよくて、判断力がないと絶対勤まらないお仕事ですね。
環境も文化も違う国に、その国しかわからないことも訳さなければならないんです。
一部抜粋
同じ言葉を使っているのに、人によって思い浮かべるものがみんな違う。
このお話のように、自分の前に突然神様が現れて、どんな願い事でも三つだけかなえてあげると言われたら、皆さんならどうしますか。
あらかじめ考えておいたほうがいいですよ。
こういう事態が、いつ起こるかわかりませんからね。
私だったら、まず「美人にしてください」と言うと思います。
けれども、次の瞬間、私の思い描いている美人と、神様が思い浮かべている美人とは全然違うもんじゃないかと心配になってくるわけです。
だって、浮世絵風の美人にされたら困ります。
それなら、今のままのほうがいいと思います。
モナリザ風でもちょっと困るなとか、いろいろと考えていますと、もっと怖いのは、ピカソ風の美人になることですね。
神様がピカソと同じ美意識の持ち主でないという保証はどこにもないわけです。
それならば、もう少し具体的にお願いしてみたらどうか。
例えば、
「顔をもっと小さくしてください」
とか
「目をもっと大きくしてください」
とか
「鼻をもっと高くしてください」
といったように。
美容整形に行く人で、何度もやり直している人がいますね。
アラジンの魔法のランプみたいに、何度でもお願いできるといいのですが、これが三回だけしかお願いできません。
そうすると、
「顔を小さく」
と言っても、米粒みたいに小さくなってしまったら困るし、
「目を大きく」
と言ってもスイカみたいに大きくなっては困るし、
「鼻を高く」
と言っても東京タワーみたいに高くなってしまっては困ります。
米原さんは、言葉が受け取る環境で意味するものが違ってくるということをわかりやすい具体例で説明されています。
この講演でも、また、下ネタがかなり入ってます。
最後に、なぜ米原さんがこんな神様でも難しい同時通訳者を目指したかというお話で締めくくられています。
明日は最後の章「通訳と翻訳の違い」です。
今日の私の小さな幸せ
近頃、通勤途中、余りお花を見つけることができません。
それで、信号待ちの間、空を見上げることが多くなりました。
色んな形の雲がなんだか楽しい。
雲の名前も知ってたら素敵ですね。