硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

清めなければならない心は・・・。

2015-06-02 18:23:42 | 日記
寺社などに油をまいた人が特定された。その動機は「清める為」だという。油をまいた人はキリスト教系の宗教団体幹部であった。

イエス・キリストなら愛のない行いはしないでしょう。だから彼はイエスを信仰しているのではなく、自信を信仰していると捉える事もできます。

また、神に邪悪があるのだとしたら、イエスもブッダもムハンマドも八百万の神も偉大な創造主を信仰したのだから、邪悪なのはそれを都合のいいように利用した人間であるように思います。

そう思うのは「分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」という一休禅師が伝えたといわれている道歌があって僕はこの道歌に本当の信仰心があるように思うからです。

したがって清めなければならないとしたら、それは彼自身の心ではないかと思うのです。