硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

上京雑記。

2018-11-04 19:45:44 | 日記
平坦な道ばかり歩いていると起伏のある道が恋しくなる。四季で変わる美しい自然の風景も日常であると、目まぐるしく変貌する都市の姿に憧れを懐いてしまう。

ムンクの「叫び」が来日した。これを見逃せばオスロまで行かねばならない。しかし、残りの人生でノルウェーの渡航は考えられない。しかも、近くにはルーベンスまで来ているという。東京の資本力の凄さに驚きつつも、この機会を逃す理由はない。一月前から、11月2日3日と有休を取得し、観光も兼ねて意を決して一路東京へ。

天気は快晴、少し寒さを感じるが爽やかである。早朝出発したので、直接美術館には行かず、上野駅北口から出て、三ノ輪方面に歩いてゆく。
世間では当たり前のようではあるが、僕にとってスマートフォンを持って東京を行くのは初めてであり、ナビゲーションシステムアプリがこんなにも便利なものなのかと痛感した。

普段、山や田畑の風景の中で生活しているせいか、建物ばかりの風景に圧倒されつつも、ナビは確実に僕を追ってくれている。電車の中で、ほとんどの人がスマホを使用し、電波で何かと繋がっているにもかかわらず、混線もせず、衛星は僕を見失わない。当たり前と言えば当たり前であるけれど、追われているという違和感は残る。

歩きつつ建物を観察してゆくと、仏閣の多さに驚くが、よく考えてみれば、江戸という街は、幾度も大火に見舞われ沢山の人が亡くなっていて、今も、変わらず沢山の人が死に向かっているのであるから、鎮魂と弔いの為には、欠かせないのであろうと思いつつ、右側のビルの合間から時頼みえる、スカイツリーに、思わず「大したもんだ」と呟く。

しばらく歩いて、程よく時間が経過した所で折り返し、上野公園を目指していると、鷲神社に出くわす。酉の市の準備が進んでいる最中のようで、気になり境内へ。世話役であろう人達がにこやかに会話しながら清掃を行っていた。石段を登り、なでおかめを避け、賽銭箱に賽銭をあげ、願いを込め祈り、なでおかめを撫でた。

境内を出て、左に曲がり、ナビを時々確認しながら、大通りを歩き、細い路地を入ってゆくと、右側に線路と上野山が見えた。上野山と言えば、幕末の戦争ではたくさんの兵士が命を落とした場所でもある。あの犠牲がなければ、現代社会はあり得ないのだと思いつつも、彰義隊の武士たちは、この未来の光景にどう思っているだろうかと考えながら、階段を上り、高架橋を渡ると、日本学士院と寛永寺が見えた。
路側帯には、タクシーと観光バスが連なっていた。団体旅行の人達に飲み込まれないように足早に歩き、左に折れると、国立博物館が見え、修学旅行の学生さんたちが楽しそうに話をしながら入館していった。

2年ぶりの西洋美術館。前回は伊勢サミットの真っただ中だったので、最寄りの駅のホームから、新幹線の車内、国立西洋美術館まで、(美術館前では荷物チェックもありましたね)厳重な警備がなされていて驚いた事を想い出す。

平日にもかかわらず、たくさんの人がチケットを求め、列をなしている。女性が多いので、何かの拍子で痴漢行為と誤解されてはと少し気後れする。ようやくの事でチケットを購入し、入館。案内に従って歩いゆくと、17世紀に活躍した、バロック期の画家の作品は、ダ・ビンチやラファエロ、ミケランジェロといったルネサンス期の巨匠たちからの技巧を継承しつつも、対抗宗教改革という思想を作中に込めていて、その作品からは、我々には計り知れぬ、大きな力が働いているのだと、錯覚してしまうのか、それとも感じてしまうものなのかと感動する。
また、拘りの強さというのもカンバスを通して色濃く出ており、外交官という肩書も持ち、貴族階級間での名声を確実なものとし、ナイトの称号を得た成功者であったというのも頷ける。
また、リアルタイムで観ていた「フランダースの犬」のネロ君が最後に観たいと思った気持ちも、ようやく理解できた。それを想うとネロ君はあの年齢でとても成熟していた人だった為に、気苦労が絶えず、疲れてしまったのだなぁと思った。
ショップでポストカードを2枚購入し、次に目指すは東京都美術館のムンク展である。

公園内はたくさんの人であふれかえっていた。平日だというのにお祭りのようだ。両側のカフェは満席のようで、入店を待つ人の姿も見えた。
確かに、「創エネ・あかりパーク」というイベントが行われいて、大道芸人がパフォーマンスをしている様子ではあったが、それが目当ての人ばかりではないのに、この人の多さに閉口する。
足早に往来を横切り、東京都美術館へ向かうと、銀色の球体目の前に現れた。アバンギャルドな球体に感心しつつ、階段を下るとようやく入り口が見えた。地下に降りねば入館できない東京都美術館の構造や、地方ではあまり見受けられない、多国籍な海外の人も多さにも驚いた。

荷物をロッカーに預け、チケット売り場に向かうと、ここでも、チケットの購入を待つ人の列が出来ていた。ルーベンスだけではなく、フェルメールも来ているというのに、また列に並ばねばならないのかと驚きながらも、チケットを購入し、ムンクの作品群を鑑賞する。

ふと、周りを見渡すと、気のせいかルーベンス展の鑑賞者とムンク展の鑑賞者の客層というものが少し異なるのではないかと思った。
たしかに、作品も対照的で、当時は前衛的であり、ニーチェの影響もうけていたというから感じるところも異なるからであろう。しかし、作品「不安」「叫び」「絶望」「嫉妬」は「自己告白」や「生命のフリーズ」というテーマがあったことには感動してしまった。しかし、ゴッホもそうであったが、こういう感性の持ち主は精神を病んでしまうのは、神が与えた試練なのか、運命なのだろうかと作品を鑑賞しながら、今でも、神と信仰に向き合い、思索を重ねた二人の巨匠は、神の右座で、カンバスに向かっているのではないかと考えた。

鑑賞を終えた頃、太陽は西に傾き、館内の照明もアーティスティックである事に気づき、ロッカーから荷物を取り出すと、ベンチに腰掛け、ムンクの様々な絵画に変容してゆくデジタルアートをしばし眺めてから、美術館を出た。影が伸びた銀色の球体の横を通り抜け、再び賑わう中央を横切り、西洋美術館のルーベンスに別れを告げ、文化会館の前で、はしゃいでいる、無理をして背伸びした高校生達に、あんな頃もあったねぇとかみしめながら、上野公園の坂を下って行った。